ミルフィーが御使いの聖女として崇められるのは、本当にすぐだった。
数日の内に町の主要な人物に引き合わされ、一週間もしない内に、町全体のうわさになった。
町を歩けなくなるくらいには、もう知らぬ者は居ない。
なにせ、ミルフィーくらいの子どもが極端に少ないせいで、一目でそれと分かってしまうからだ。
町の規模は小さい方だとはいえ、なぜそんな状態なのかというと、かなり新しい町だったからというのが理由だった。
聞くところによると、ここは勇者が作った町らしい。
魔王討伐のために、最前線の拠点が必要だと猛者たちに声をかけ、強力な魔物が攻めてくるのを防ぎながら作り上げたのだという。
国に頼んでも、新しい拠点作りに人員は割けないと断られ、一切動いてはくれなかった。それを、勇者が苦労して人を集め、なんとか形にしたのがこの町なのだそうだ。
だから最初は、ここまでの城壁も無かったし、人ももっと少なかったらしい。
――それが、今や活気あふれる城砦町になっている。
今の規模にするために、どれほど尽力したのかなんてのは、とてもじゃないが計り知れない。
そんな猛者以外は住めないような所に、激戦地だった頃から子ども連れで来る人間が居るわけがないのだ。
だから、今は居たとしても乳幼児程度で、大人がほとんどだからミルフィーが目立つ。
そういえばここに送り届けたリエラたちも、本当なら旦那さんと暮らすつもりだったんだろう。ただ、少人数で来るには、無念なことに実力が足りなかったらしい。
御使いの聖女活動は、バルザーグが表立って行ってくれた。
彼はこの町で顔が効く上に、潤沢な資金でその宣伝などを一気に展開している。
拠点はバルザーグの屋敷だったが、どうやら広い空き地を買い取り、神殿まで建設するつもりらしかった。
だが、それが何よりも優先すべき事項だったというのは、一週間で理解出来た。
本当に、ミルフィーはもう町を歩けないのだ。すぐに囲まれて、治癒のお願いが殺到する。
それもそのはずで、いくら猛者の集まりだといっても、魔物との戦いで負傷する。急ピッチで砦作りをすれば建設中の怪我も発生する。彼らは傷だらけなのだ。
そうした古傷、後遺症さえも治癒する力があると聞けば、誰もが治して欲しいと願うのは自然なことだろう。
だからこそ、奇跡のような治癒力を持つ(ということになった)ミルフィーは、瞬く間に『御使いの聖女』としてその名を轟かせてしまったのだ。
バルザーグは言った。その聖女様には、神殿という特別な場所に住まわって頂くのが当然なのだと。そしてその筋書きは全て、ミルフィーを俺たちの代理人にしたいと伝えたその瞬間から、描かれていたらしい。
そして俺は、俺の力を使って代理人にするというのがどういうことになるのか、かなり安易に考え過ぎていたらしい。
――忙し過ぎる。
常にミルフィーと一緒に居て、治癒の力を使い続ける日々。
相手はベイルが上手く選んでくれているが、もう無料でまとめて、全員にホーリーヒールすればいいのではと嘆くほどに、忙しい。
もちろんその提案はした。
だが、それでは価値が薄れてしまうと、その一言で俺の提案は却下された。
簡単に癒せるような姿を、見せるものではないと。
しかも慈善事業的にしてしまうと、人は必ず悪用を考えるものですから、と告げられた。それに、ミルフィーを守る上でもお金はいくらあっても足りないかもしれない、とも。
ベイルの言う事は最もだし、正直なところ、俺もお人好しの部類だから商売は苦手だ。だから考え無しに、慈善的な方向に考えがちな所がある。つまりは、素人は口を出さない方が良い、ということを言われてしまった。
それにしても……ミルフィーは年の割にかなり落ち着いている。
あちこち連れ回されても、魔法を使うフリをするのも、文句ひとつ言わずにやってくれる。いくら素直で大人しい子だといっても、疲れればダダをこねたりしそうなものなのに。
本当によく出来た子だ。聞けば実母を病で失ったことも、継母に売られたのも理解してそうだという。奴隷という立ち位置は理解できなくても、自由な身の上ではないと分かっていて、それでなお、ここまで朗らかでいられるとは。
「ミルフィーは偉いなぁ。どこかのタマゴと違ってよ」
バルザーグ屋敷の一室で、穏やかな顔で眠るミルフィーを見るとつい、銀タマゴに嫌味を言ってしまった。
「……ラースウェイト。それ、私のことを言っているのでしょうか?」
「はて。治癒してる俺の後ろで、タイクツだのヒマだのと、ぶつくさ言うだけのやつとはえらく違うものだと思ってな」
「だって。今だって治癒が終わったのに、疲れたと言って相手してくれないじゃないですか」
……留守番させ過ぎた日のネコかよ。
日が暮れてミルフィーが寝たあとは、こうして少しリグレザの相手をしなくてはいけない。
霊体とはいえ、治癒魔法を使うと疲れた気がするから、面倒だというのに。
スティアも俺の代わりに言葉を伝えなきゃだし、日中は気を張っているせいか早々にミルフィーと並んで眠っている。俺も眠りたいが……この体になってから眠気が来ない。
「そういえばさ、ミルフィーの側に居て思ったんだ。この子、治癒魔法を使えるんじゃないか? どうにか教えてやれないかと思ってるんだが」
「あぁ……そうですねぇ。あなたの使う力を教えるのは、あまり良くないので言いませんでしたけど」
「いや、出来るのかよ!」
「スティアが使う程度のものなら良いですけど……ちょっと、私では決めかねます」
「ホーリーヒールって、やっぱ凄いのか。さすがにレベチだなとは思っていたが」
受傷直後の傷を一瞬で癒すだけではなく、後遺症も病気もこれ一発。というのは、さすがに度を越した力だと思ってはいる。
「レベチって……レベルが違う、ってことですか? まぁ、そういうことです。人ごときが使って良い代物ではありませんよ」
人ごときが、と言う時のこいつの声だけは、あまり好きになれない。とても冷たくて、人間という生き物に微塵も価値を感じていないような、見下しさえしていない別次元からの声に聞こえるからだ。
「まぁでも……人を攻撃するものじゃないから、よくないか?」
「……信じられない…………。あなたの判断に委ねる。だそうですよ」
「お、女神セラに聞いてくれたのか」
「あなたに神格を与えてこっちに寄越した時点で、神の介入に等しいから。ですって。本当に女神セラ様は、あなたに甘いですね」
「そうか……ならば俺は、女神セラの期待に応えるのみだ」
「また調子に乗る……」
そう言ってリグレザは、おやすみなさいと告げて俺の頭にちょこんと乗った。
「お前も寝れんのかよ。ずるいぞ」
……しかし、この会話でリグレザについて、はっきりと分かったことがある。
俺が偉そうな口をきいても怒らないのは、神格を持っているからだ。彼女の意見は反対だったとしても逆らわない。小言は言うが。これは推測だが、霊格が対等か俺の方が少し上なのだろう。
そして、スティアに対してお姉さん的な立ち位置でいるのは、リグレザの神格に次いで位の高い聖霊だからだ。少々甘いのではと思うが、スティア自身が格を理解していて、リグレザに逆らわないのも理由のひとつだろう。
ミルフィーに対しては、俺が利用しているから黙認している。そういう感じだろうと思う。聖霊級の魂を持っているとしても、人間として生きている以上は、その格は定まっていない仮のものなのだろう。だから冷たい。
というか、人という存在は皆等しく「死んだ時に初めて導いてあげるもの」という認識なのかもしれない。見ていることはあっても、手を下すのも貸すのも、ありえないのだろう。あの「人ごとき」と言った時のリグレザからは、そういうものを感じた。
長く天使をしてきたリグレザにとって、それは当然で無意識の態度なのかもしれないが。
――だとしたら、俺は?
特別な神格を授かって、女神セラの気を引きたいというのを原動力に動いているが……それでいいのか?
おそらくは女神セラに、何かしらの考えがあるのだろうが。
……まぁ、よほど変なことをすれば、リグレザが本気で止めてくれるか。
ミルフィーに『ホーリーヒール』を教える許可も下りたので、日に一度はミルフィーの体を通して治癒魔法を使っている。
それが一番早い習得方法だそうだ。スティアにもまだ伝えない様にと言ってあるから、本人は全く気付いていないし、魔力の流れ的にもまだその方がいいだろう。
そんな御使いの聖女活動は、土台固めをバルザーグが、人選びをベイルが担って順調に進んでいる。
二週間もしない内に、ミルフィー専属の従者が付いた。なんという偶然か、それは街道で助けたリエラだった。
リエラは聡明で、身の回りのことが一通り出来る上に、面倒見がいい。ミルフィーもすぐに懐いたし、相性も良いのだろう。
護衛も二人付いた。明らかに屈強だと分かる体躯の、筋骨隆々でスキンヘッドの男どもだった。
ミルフィーが怯えるのではと思ったが、お馬さんや高い高いといったベーシックなスキンシップで点数を稼いでいる。そこまで幼い子とは思わないが……。恐らくは、人格優先で決めたのだと見ている。そして、咄嗟の時の盾要員なのだろう。
護衛として万が一の時に重要なのは、盾代わりになる面積と厚みがあることだ。強さは、他の人員が囲んでいればいい。そしてその通りと言わんばかりに、距離を置いて十人か、もしくはそれ以上が等間隔に張り付いているのが分かった。
「抜かりなさは、予想以上だな」
「何がですか~?」
「スティアは知らなくていい」
こういうシステムを追求していくと、場合によっては残酷な面が見えてしまうからなぁ。
そして、半年が経つ頃。
ミルフィーは見事に、自身でホーリーヒールを使えるようになった。
俺がするようにはいかないが、祈りの姿勢を取り、「女神セラ様の威光のもとに」といった言葉を添えると使える。言うなればルーティンが必要らしい。
それでも大いに喜んだ。……ベイルが。
当の本人は不思議そうにした後で、「すごぉい」と、まぁテンポの遅れた喜びを見せていた。しみじみと感動していたのかもしれないが、ミルフィーらしい反応だった。
だがもしくは、使えるようになるのをどこかで理解していたのではないか……と、勘ぐってしまう俺は少々荒んでいるだろうか。
もう一つ、バルザーグは神殿を完成させた。まだ途中だそうだが、住居兼要塞の一画として移れる程度だと言う。この辺はもう、したいようにしてもらうだけだ。
ただ、一体何を想定しているのかを聞くと、国だと彼は答えた。
実はこの城砦町は、王国の直轄ではなく、自治の町だそうだ。
王国の直轄になると政治腐敗の進みが早い。それを嫌った勇者たちが、その武力を示すようにして自治をもぎ取ったというのだから、軋轢は大きいと分かる。
魔王を討ってすぐに他国と戦争をするくらいの国だから、直轄となっていれば有能な戦力を無理にでも引き抜いただろうし、一気に町の力を失われていたことだろう。
――そういうことだったか。
しかも今度は、『御使いの聖女』が現れたともなれば、再び難癖をつけてくるに違いないと、バルザーグは要塞神殿を建てているのだ。
ともかくも、一応の目標は達成した。
地盤固めもミルフィーの聖女化も、なんとか形になった。
ということは、俺の本来の目的に戻れるというものだ。
ミルフィーを通して、ベイルとバルザーグに、しばらく離れることを伝えた。
治癒の回数を懸念されたが、一日に数十人だったのが今では数人程度だし、流行り病でも蔓延しない限りは問題ないだろうと説得をした。
スティアに懐いていたミルフィーの悲しい顔を見るのは、少し辛かったが。
――だが、俺が魔王になれれば、どうせもう一度関わることになる。
しばらくすれば戻ると重ねて伝えると、安堵して納得してくれた。それがミルフィーと彼らにとって、良いことか悪いことかは……分からないが。
ようやく俺たちは、この最前線と称された城砦町を出ることとなった。
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