テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
【異世界・王都イルダ/解析室】
結晶板の地図から、ひとつの“塊”が抜けた。
抜けた、というより
――引きちぎられたみたいに、座標の線が途切れている。
ノノ=シュタインは椅子から立ち上がり、指先で線の端をなぞった。
端は、まだ熱い。切れた直後の熱。
「……学園、丸ごと……?」
数値が、変だ。
大きすぎる。人が多すぎる。建物が多すぎる。
それが一気に“こちら側の森”の中へ刺さったような反応をしている。
イヤーカフを叩く。
「リオ、アデル。聞こえる?」
返事はすぐ来た。風の音が混じっている。
『聞こえる』リオの声。短い。息が走っている。
『今の揺れ、王都まで来てる』アデル。落ち着いた低さ。
ノノは言葉を噛まずに投げた。
「現実側の学園が、切り取られた。……こっちの森に落ちたみたい」
「繋ぎがゼロに近い。セラの線も、たぶん通らない」
『ハレルたちは?』リオの声が少し硬くなる。
「分かんない。地図が“建物”しか拾えてない。人の反応が、ノイズで埋もれてる」
ノノは唇を噛んで、次を足した。
「でもね、落ちた場所の地形が“削れてる”。
森の中に、学園の敷地ぶんだけ平らな空白ができてる感じ」
「外周のほうに、でかい獣の反応がいくつも寄ってきてる。
……たぶん、匂いに釣られてる」
アデルが一拍だけ黙る。
『……考えてるより、見に行ったほうが早い』
その声は命令じゃない。ただの判断だ。友人に言う速さ。
リオがすぐに続ける。
『行く。部隊、組める?』
「うん。王都の外縁で合流して。私、座標投げる」
ノノは結晶板を弾き、光の点を二つに分けて走らせた。
「ただ――見えたものを“決め”すぎないで。今の境界、噛みつく」
『分かってる』リオ。
『……気をつける』アデル。
ノノは最後に、息だけで言った。
「間に合って。……お願い」
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地/外周道路】
サイレンが二つ、同時に止まった。
赤色灯の回転が、森の葉に反射して不気味に揺れる。
地元警察の車が到着し、制服の警官がフェンス越しに立ち尽くす。
目の前にあるのは校舎ではない。
湿った土と、見たことのない密度の緑。
そして、森の奥に見える“石の建物”。
「……本当に、森だ……」
若い警官が呟いて、喉が鳴った。
木崎はフェンスの外側で、カメラを下ろさなかった。
フラッシュも切らない。光で刺激したくない。
でも、撮る。証拠にする。
「さっきまで、あったんだよ。校舎。グラウンド。全部」
木崎の声は掠れているのに、妙に冷静だった。
「ノイズが走って、白くなって――消えて、森になった」
警官が無線に手を伸ばし、周囲を見回す。
「立ち入りは――」
言いかけた瞬間、森の中から“低い唸り”が返ってきた。
犬の唸りじゃない。
胸の奥が震える音。
数がいる、音。
警官の顔色が変わり、フェンスから一歩退く。
「……動物、いるな」
木崎はレンズを森へ向けたまま、短く言った。
「“動物”って言い方で済むか、見てからにしろ」
枝が、折れた。
葉の陰が大きく揺れ、黒い影が一瞬だけ見える。
馬より大きい。肩が高い。
そして、目だけが――こちらを測るみたいに光った。
警官が咄嗟に警戒テープを引き始める。
「一般人、下げろ! フェンスに寄るな!」
木崎はテープの内側に残り、唾を飲んだ。
(学園の中は……どうなってる)
(生徒は、先生は)
答えのないまま、森が呼吸している。
◆ ◆ ◆
【現実世界・警視庁/城ヶ峰・移動中】
城ヶ峰は車内で無線を握り、短く言った。
「現場は封鎖。周辺住民は下げろ。消防にも待機を頼む」
「未知の生物がいる可能性がある。銃器の許可は上で取る。
――先に、人の安全を確保しろ」
助手席の隊員が頷く。
「特殊部隊、要請通りました」
城ヶ峰は窓の外の街を一瞬見て、視線を前に戻した。
(学園が消えた)
その事実だけで、もう“事件”じゃない。
“境界”が街に口を開けた。
「木崎は現場にいる」
城ヶ峰は淡々と言い、しかし語尾にだけ圧を落とす。
「……木崎。勝手に入るなよ」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/職員室】
職員室は、いつもの職員室だった。
机が並び、プリントが積まれ、コーヒーの匂いが残っている。
なのに窓の外だけが、完全に違う。
森。
そして、遠吠え。
教頭が震える声で言う。
「……電気は戻りません。電話も繋がりません。携帯も圏外です」
「まず、全出入口を――」
「封鎖です!」
ベテランの先生が遮るように言った。声が強い。強くしないと崩れる。
「正門、裏門、非常口、全部。子どもを外に出したら終わる!」
別の先生が泣きそうな顔で首を振る。
「でも、外に助けを――」
「繋がらない!」教頭が叫び、すぐに自分で息を整えた。
「……放送で、まず全校に指示します。外に出ない。窓に近づかない」
その瞬間、窓の外を見ていた若い先生が、声にならない声を漏らした。
「……あれ……」
カーテンの隙間。
木々の間を、巨大な影がゆっくり横切った。
狼に似ている。けれど牛より大きい。
首が太く、背中が高い。尾が鞭みたいに揺れる。
「見ない!」
ベテランがカーテンを引き、窓を完全に隠した。
「見ると、出たくなる! だから見ない!」
職員室が一瞬だけ静まり返る。
怖さが、形になって部屋に落ちた。
「……生徒の点呼」
教頭が絞り出すように言う。
「各担任、今すぐ。でも、動かすな。――守る」
その言葉で、先生たちが動き出した。
鍵の束が鳴り、机の引き出しが開き、ロープとガムテープが集められる。
封鎖は“自分たちの手”でやるしかない。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/廊下(葛原レア)】
廊下は暗い。非常灯も死んでいる。
窓から入る森の緑が、床に揺れる影を作っていた。
葛原レアは、その影の中をゆっくり歩く。
教師の歩き方だ。慌てない。生徒を不安にさせない。
――そう見える。
(封鎖する)
(いい判断。逃げ場が減る)
レアは視線を横に滑らせ、遠くの棟を見た。
生徒の群れ。先生の声。泣き声。
その全部が、“材料”として揃っている音に聞こえる。
そして――
レアの目が、ひとつの点を拾う。
黒いバッグ。
抱えるように持って走る少年。
鍵の熱。あの“主鍵”の気配。
(そこにある)
(コアも、鍵も)
レアは笑みを薄くして、声だけを優しく整えた。
「みんな、落ち着いて。職員の指示に従って」
言いながら、指先でイヤーカフの位置を撫でる。
見えない相手に、合図を送る仕草。
(来て)
(もう、来ていい)
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/連絡通路】
ハレルはサキの手を離さず、走るのをやめた。
走れば走るほど、息が浅くなる。
息が浅くなると、視野が狭くなる。
狭い視野は、こういう時に危ない。
「……サキ、息。合わせて」
「う、うん……」
二人は壁際に寄り、廊下の窓から外を見ないようにしながら進む。
廊下の突き当たりで、先生がドアに鎖を回していた。
ガチャ、と金属の音。
その音が“守る音”に聞こえてしまって、ハレルは少しだけ救われる。
バッグが重い。
中にはユナのコア。青い光。
今はまだ、割れていない。
けれど脈が一定じゃない。引かれるみたいに、小さく揺れる。
(ここにあるのに、落ち着かない)
(……レアが、狙ってる)
森の匂いが濃くなる。
遠くでまた唸り声。今度は、校舎の近くから。
サキが震える声で言った。
「先生たち……閉めてる……」
「閉めるしかない」
ハレルは短く返し、声を落とす。
「外に出たら、たぶん……戻れない」
その時、窓の外の影が止まった。
葉の隙間。
黒いものが“こちら”を見ている気配。
ハレルは反射でサキを背中側へ引いた。
「見るな。……近づくな」
サキは頷いた。怖いのに、頷ける。
その強さが今はありがたい。
廊下の角で、誰かの泣き声がした。
先生の低い声が続く。
「大丈夫。ここにいる。絶対、外へ出ない」
ハレルは唇を噛む。
(セラも、リオたちも繋がらない)
(なら――今は、こっちのルールで守る)
森の唸り声が、もう一段近づいた。
封鎖の“理由”が、音だけで分かってしまう距離。
その音に、別の音が重なる。
遠い、遠い馬蹄。
森を割って、こちらへ向かってくるような足音。
――きっとリオたちが来る。それまで先生たちの封鎖が持ってくれ。
ハレルは言葉にせず、胸の奥でだけ願った。