ご本人様・関係者様にご迷惑をおかけする意図は一切ございません。問題がありましたら削除いたします。
この作品は、世間一般的に「ハッピーエンド」と呼ばれるものにはなっていません。
本日のロスサントスは快晴。起床人口の五分の一が警察官。数分前に銀行強盗が一件発生していたが、それ以外は三十分前まで遡っても車両窃盗すら起きていない。救急隊がワンオペでも、滞りなく街はまわっている。
嵐の前の静けさかと疑うほどにおそろしく穏やかな日和である。しかし、S.G.P.D警察署・通称本署屋上には、澄み切った青空とは裏腹に、暗い顔をした一人の男・成瀬力二がいた。
ことロスサントスにおいて、「恋をしない者」は決して珍しくない。
つい先日までは力二もそのひとりであった。しかし、人は変化する生き物である。力二はまんまと変化した。ロケットランチャーを撃たれるような衝撃的な出来事があったわけではない。己を包む燃えるような、しかし心地よい熱の出どころが、頭上でギラギラと燃え盛っている眩い太陽だと、ふとした瞬間に気がついただけだ。
ただし、その太陽はロスサントスの太陽ではなく南国の太陽である。
さて、ここで問題が一つ浮上する。太陽は恋をするのか、というものだ。
特殊刑事課No.1、自由と腹ペコ。法的外の国家ギャング。爆走するハプニングマス。領域展開・ギャグ漫画。
あらゆる例外・特殊刑事課のつぼ浦匠が恋をしている姿を想像できる人なんて、はたしてこの世にいるのだろうか。
しかしてここはロスサントス。夢が叶う街。あのつぼ浦匠が恋をする生き物になったとしてもまったくおかしくない。
──本当に? いや。解釈違いも甚だしい。無理だろ、あの人には。だって、なんか、違うだろ。
つぼ浦匠が恋をするよりも、太陽が西から昇る方がまだ確率が高い。
成瀬力二はそう結論づけて、己の中の小さな、それでいて強固な恋心をそっとしまうことにした。いつかそれが霧散する日まで、以前と同じように、彼を尊敬する先輩の一人として見れるようになるまで、大切な宝物のひとつとして扱うことにした。
しかしてここはロスサントス!!
起こってしまった!!
大・確・変!!!!
太陽は西から昇り、ペンギンがハワイに住み、降る雪がすべてビターメルティーチョコレート略してBMCになった。嘘だ、なってない。
とにもかくにも、最近のつぼ浦は自覚こそしてないものの、力二に対する恋の芽が顔を出そうとしているような気がする。というか出している。
何を隠そう、力二は己の恋心をそっとしまうどころか、つぼ浦の好きそうな車両をプレゼントしたり、つぼ浦が喜びそうな作戦を積極的に考えたり、つぼ浦のダウン通知が多い日にそれとなく一緒にいる時間を増やしたり、「つぼ浦さんと食う飯は美味い」とか「つぼ浦さんと話すのが楽しい」とか「つぼ浦さんに会えると嬉しい」とかをけっこうガンガンに伝えまくっていた。
最初は力二がつぼ浦への恋を自覚する以前と同様の「尊敬する先輩」への好意の伝え方しかしていなかったのに、だんだんと力二の恋心はむき出しになり、そしてそれは積極的なアプローチへと変わっていった。
つぼ浦匠はなんだかんだ後輩に甘いところがある。力二はそこに漬け込んだ。それはもう漬け込みまくった。梅酒くらい漬けた。
各飲食店のおすすめを教えて欲しいという名目の実質飲食店巡りデート。一人で搬入作業をしているとたまに無性に寂しくなると言ったら搬入のときに助手席に乗ってくれるようになったので実質ドライブデート。つぼ浦が「そういえば俺この街の遊園地で遊んだことねえな」と言ったことからこぎつけた実質遊園地デート。遊園地デートはつぼ浦が善意で第三者を誘おうとするので二人きりで行くための理由付けをするのが大変だった、本当に。
接点が増えたことでつぼ浦の破茶滅茶で滅茶苦茶な言動に振り回される回数も格段に増えたが、力二にとってはそれすらも喜びであった。
そんなこんなで。
霧散するどころかむしろ肥大し、心の奥底にしまうどころかあっさりとスーパーアウトドア派に成長した力二の恋心がガソリンとなった行動は、すでにほぼ報われたと言っても過言ではない。
最近のつぼ浦は、力二が出勤するとわざわざ探して挨拶してくれる。退勤前には顔を見てお疲れ様と言ってくれる。こんなこと、あの青いのにすらやってないだろう。
あと力二と話してるときだけ、ことさら瞳がキラキラしてる気がする。いや絶対。なんなら後光もさしてる。
そして何より、無性に力二にロケランを撃ち込みたくなるらしい。それは力二と二人で話しているときや、力二がつぼ浦との会話の中で笑っているときだという。しかし、それと同時に「撃ちたくない」という気持ちもあるらしく、その折衷案としてロケランの弾や手榴弾を現物で渡されるようになった。おかげで力二の個人ロッカーは今や小さなボブキャットと化している。
つぼ浦匠の感情は主に喜怒殺楽で構成されており、そのすべてが200%で出力されることが多い。故にロケラン。故に、爆発。
そんなつぼ浦が、喜びも怒りも、そしておそらく悲しみでさえも爆発させるつぼ浦匠が、「ロケランを撃ちたいけど撃ちたくない」なんて言うのだ。
──これが愛の告白でないというなら、なんなのか。
その言葉を聞いたとき、力二はまさに天にも昇るような心地であった。生きていてよかったと目を覆い、夢じゃないかと頭を打ちつけた。痛かったので病院でアイスパックをして貰った。
そもそも、以前つぼ浦が記憶をなくした際は、力二がプレゼントしたバギーがトリガーとなって記憶を取り戻したという話だった。その頃は力二も恋愛感情を抱いていなかったが、とにかく、特別に好かれる土壌はその時点ですでにあったと考えられる。
というわけで、力二が一度手放しかけた恋心は成就の兆しを見せているため、力二は大変にご機嫌な日々を送っていた。
力二は大変にご機嫌な日々を送っていた。過去形である。
ここ数日、力二はご不安な気持ちを抱えているing。
それは「つぼ浦さんてこんなに最高にカッコよくて可愛くておもしろいんだから、実はもっとたくさんの人がつぼ浦さんを好きなのでは?」というものだ。
卵が先か鶏が先か。惚れているから良く見えるのか、いい人だから惚れたのか。ただひとつ確実なのは、ロスサントスの彼氏・成瀬力二は恋に浮かれるととんでもない阿呆になるということだけだった。
つぼ浦匠はどストレートな好意に弱い、と力二は考えている。
自分が人々に愛されてることを自覚していない。少しは自覚しているかもしれないが、それは向けられてる愛の十分の一にも満たないだろう。つぼ浦が常に自信に満ち溢れていることと、己の価値を低く見積ってることは矛盾しない。
先輩たちから可愛がられ、後輩たちから慕われ、同期から信頼されるつぼ浦匠は、それでもどこか線を引いている。誰に対しても。
力二はその線を飛び越えることが出来たと自負している。それは力二がブレーキの壊れたコメットなみにまっすぐに、超スピードでつぼ浦へアプローチしたからだ。
では、もし、力二と同じかそれ以上のアプローチを仕掛ける者が現れたら、つぼ浦の天秤はどう動くのだろうか。
あの陽の光が宿った瞳が、力二ではない他人に向けられてしまうのだろうか。
つぼ浦匠を恋愛対象として考えている人間は、きっとおそらくmaybeたぶん極々々少数である。しかし、彼が人間的魅力に溢れる存在だと認識している者自体は多くいるだろう。そして、そんな彼のその魅力に触れたことがある者ならば、小さなきっかけ一つさえあれば、間違いのような化学反応が起こってしまえば、つぼ浦に対して抱いている好意に加え、さらに恋心が芽生えたとて、なんら不思議ではない──自分と同じように。成瀬力二はそう考えていた。
焦燥。
──つぼ浦さんには早急に恋心を自覚して、そして俺の恋人になって貰わねばならない。
力二の長所である視野の広さ、そしてよく気を回す性格が、恋で阿呆になった力二に変に作用してしまった。
急がば回れ。違う。善は急げ。
力二はずっと腰掛けていた屋上の縁からすっと立ち上がり、署内へ戻ろうとした。少し前につぼ浦がハイライトを連行していたがその後外へ出た姿を見ていないので、まだ牢屋対応をしているか、そうでなくても署内にいるだろうと踏んだからだ。
逸る気持ちからか、力二の足は速歩きよりも速く動いていた。というか最早走っていた。制御の効かないBMXか、暴走する恋心か。そのまま勢いよくドアノブを掴む──ことはなかった。タイミング悪く、ちょうど扉が開けられたからだ。そしてその思いがけない動作により、力二の頭はペンギンマスク越しに扉とぶつかってしまった。
「いだっ」
「あ!? すまん! 大丈夫か!?」
そのはきはきとした大きな声を聞いた瞬間、小さな不運が限りない幸運へと変わった。思った通り、扉から顔を出したのは、申し訳なさそうに眉を下げて力二を見るつぼ浦だった。
力二は、探し人兼片想い相手が突然目の前に現れ飛び跳ねる心臓を押さえつけ、つとめて平静を装った。
「全然大丈夫ですよ。アーマーもミリも削れてないんで」
「そうか、それならよかったぜ。でもやっぱり悪いからな、お詫びに包帯やるよ」
「ありがとうございます。これ包帯じゃなくてダクトテープっすね」
「そうとも言うな」
「そうとしか言わねえっす」
「なんだ? 拉致があかねぇな」
普段とさして変わらない会話をしながらも、力二は脳みそをフル回転させていた。
つぼ浦が屋上に来るのは珍しい。大型対応でアタックヘリとして出動することもあるが、警察端末の故障を疑うほどに今日は事件が起きていない。すると、ヘリ練か、はたまた北の方からインパウンド依頼でもあったのか。
「どっか行こうとしてたんすか?」
「あ? まあどっか行こうとしてはいたな」
「俺 つぼ浦さんに話したいことあるんですけど、結構時間かかりそうですかね」
「いや、そんなことないぞ。そもそも俺はカニくんに会いに来たんだし」
力二は目を丸くした。
つぼ浦の、暖かな色を宿した目が緩く弧を描いている。つぼ浦は、自分が何を言ったかわかっているのだろうか。
「……俺に?」
「ああ。さっき、カニくんがここいるの見えたからさ、カニくんまだいるかなーって来たんだよ。だから俺が行こうとしてた『どっか』はまさにここだな」
「えーっと、じゃあ、つぼ浦さんが俺に用あるって感じですかね」
「いや、特にないぜ。しいて言うならカニくんの顔を見るのが用だったから俺の用はもう済んだな」
蝋の羽根が溶けるほどに眩しい笑顔で、つぼ浦はさらっと言ってのけた。
──アプローチでもなんでもなく、素でこれが出てくる人なんだよ。
力二は深く息を吐き出しながら空を仰ぐ。これから為そうとしていたすべてをすっ飛ばしてつぼ浦を抱きしめたくなった己を律した。
「で、なんだ? カニくんの話って」
その言葉で本題を思い出すと同時に、駐車場から署員たちの楽しげな笑い声が耳に入ってきた。いかに今日が平和と言えど、この街はいつ事件が発生してもおかしくはないし、そうしたら屋上からヘリで出動する者も出てくるだろう。
「……ここじゃアレなんで、ちょっと、移動しましょ」
本署二階、宿直室。署内にGPSがあるのは不自然ではないし、この部屋の壁は防音性に優れているから聞き耳を立てられる心配もない。そもそも使う人がほとんどいないので、邪魔が入る可能性は低いだろう。
──とっさの判断としては100点でなかろうか。
力二は内心で自画自賛した。
テーブルを挟んだ向こう側には、誰が見てもそわそわしたつぼ浦が、それでも大人しく着席している。階段を降りながらつぼ浦に「もしかしてシリアスか?」と聞かれた力二が「真面目寄りの話ではありますね」と答えたことも影響しているのだろう。わかりやすく構えているつぼ浦がおかしくて、力二の暴走しかけた恋心は少し落ち着いた
──そうやって緊張して、この部屋に二人きりでいることを意識して、俺という存在で頭がいっぱいになればいい。
──さて、と。
余裕綽々で簡易な脳内会議を開こうとした力二は、何の気なしに顔を正面に向けて──もしくは無意識のうちにつぼ浦を見ようとして──当然、つぼ浦と目があった。それだけで、場の支配権を奪われるような錯覚に陥った。
つぼ浦はなんだかんだ後輩に甘いし、優しい。後輩から、わざわざ場所を移動するほどの「真面目よりの話」をされるということで、今のつぼ浦はただの「後輩の話を真剣に聞いてくれるいい先輩」になってしまっている。惚れた欲目か、真剣モードのつぼ浦の顔は、力二の目にはそれはそれは格好よく写っていた。
力二はペンギンマスクの下で目を泳がせ、ひとつ咳払いをし、動揺を悟られぬよう、とにかく言葉を発した。
「あー、っと……つぼ浦さんはらだおが闇堕ちしたら、いや、らだおに『警察辞めようと思ってる』って相談されたら、どうします?」
つぼ浦の形のいい眉がピクりと跳ねた。
「話は聞くが……まあ、本人の意思を尊重する、かな」
「そういう人なんだよ、あんたは」
「おう。俺はこうだぜ」
「じゃあ、俺が警察辞めようと思ってるんですよねって言ったらどうします?」
「……辞めるのか?」
サングラスの奥の、意外にもつぶらで愛らしい瞳が揺れるのが見え、力二は生唾を飲み込んだ。
「仮の話です」
「なんだ仮の話か、最初からそう言ってくれ」
「ギッ。すみません」
「で、何の話だっけ? 狩りの話か?」
「違うっすね。俺がつぼ浦さんに警察辞めようか悩んでるって相談したらどうしますかっていう仮定の話です。huntでもfamilyでもなくifです」
「なるほど、ifか」
見切り発車なのにだいぶシリアスな話題にしてしまったことに、力二の胸中には少量の不安が漂い始めた。なにせここまでの流れを踏まえたつぼ浦からしてみたら、超・シリアスな話題だと判断しているかもしれない。しかし、口元に手を当て考えるつぼ浦の姿に見惚れてしまった力二は、その不安のことはすぐに忘れた。
数秒の沈黙の後、つぼ浦はゆっくりと、慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「そうだな、まず悩みを聞いて、それから……。そう、だな。背中を押したいところなんだが、今の俺は、きっとカニくんを引き止めちまう……気がする」
──来た!
力二は思わずガッツポーズをしそうになったが、ちゃんと抑えた。拳を強く握り、声がニヤけないよう注意を払いながら、追撃する。
「へぇ……なんで引き止めると思うんですか」
「なんで。なんで、か……。たぶん、カニくんと一緒に居られなくなるのが嫌だからだろうな」
力二が知るすべての結婚式ソングが同時に流れ出した。もちろん、力二の頭の中で、だ。
──しかし、まだ、まだだ。まだ、足りない。
「そうなんすね。つぼ浦さんは俺と一緒にいたいんだ」
「ああそうだな、カニくんと一緒にいたい。でもこれは、なんか、その……」
──言葉と向き合い、己と向き合い、そして、俺と向き合ってくれ。
「大丈夫ですよ、待ちます」
「ありがとな」
──この人は小さな感謝も忘れない。そういうところも好きだ。
力二は内心で誰ともなしに惚気けていた。なにせ、あと数分もしないうちに、この世で最も素晴らしいものが手に入るのだ。
しかし、次の瞬間、力二の耳に入ってきたセリフは思いもよらないものだった。
「なんか、あれだな。あんま良くないモノな気がするな」
ん?
んんんん? うーーーーーん???
──なんだか、雲行きが怪しくないか?
自らの呼吸が浅くなるのを感じる力二のことは露知らず、つぼ浦の表情はどこか晴れ晴れしさすらある。
「……というと?」
「俺は そういうとき に引き止めない。引き止めたくない。でもそれがカニくんなら引き止めると思う。引き止めたくなっちまう。それは、カニくんの意志よりも俺の願いを、望みを優先してることになって……」
ほんの数瞬、言葉を選ぶための間が、その静けさが、力二には永遠のようだった。
──それとも、本当に永遠にしてしまった方がいいのだろうか?
混乱して、最早脳みそがショート寸前の力二が答えを出すより先に、つぼ浦が口を開いた。
背筋をピンと伸ばし、両の拳を腿の上に置き、まっすぐに力二を見つめて、つぼ浦は言葉を紡ぐ。
「俺は、カニくんが生きたいように生きて欲しい。好きに、自由に生きて欲しい。いや、生きるべきだ。人は誰しも自由に生きるべきだ」
つぼ浦の、太陽の熱が燃える瞳が、ギラりと光る。
「でも、俺は今、カニくんの人生を縛りたくなってる」
力二は背筋が冷える感覚に襲われると共に、胃がヨーソローハリケーンの如くぐちゃぐちゃになった気がした。
え?
ええええええ!?
な、なんだ? これは、どっちだ!?
つぼ浦は「力二と一緒にいたい」という願望を自覚した。しかし、その「願い」はつぼ浦のエゴであり、つぼ浦の「人は自由に生きるべき」という考えに反している。ので、「力二と一緒にいたい」という己の気持ちを「あんま良くないモノ」と考えた。
この時点で力二は絶望していた。
しかし!
つぼ浦は、人は自由に生きるべきだと語った口で、力二の人生を縛りたいとも言った。
絶望。絶望。混乱、期待。混乱。期待。混乱。混乱。期待、期待、期待。恐怖。……恐怖?
──恐怖? 俺は、何を恐れている?
突然己の頭の中に生まれた現状と噛み合わない感情に、力二の脳みそは完全にショートした。
それでも、時間は止まらない。力二の沙汰をくだすため、つぼ浦は口を開いた。
「俺は、」
──ピピッ。
その瞬間、聞き馴染みのある、無機質な機械音が割って入ってきた。
銀行強盗が発生したのだ。
そして、それに続くようにユニオンバンクからの通報が入った。無線も、階下も、途端に騒がしくなる。
力二は音をたてて立ち上がった。これ幸いと、何かから逃げるように。
いったい、何から逃げるのか。
「俺、ユニオン対応行ってきます」
「お、おう。あ? なんだ? すまん、考えすぎてわけわかんなくなって来たぜ。じゃあ俺は銀行強盗行ってくるかな」
追い立てられるように廊下に出て、力二は深く息を吐いた。当然、つぼ浦もその後を追ってくる。
二人は言葉を交わさずにただ歩みを進め、階段の手前で同時に足を止めた。
いつも通りヘリで出動する力二は階段をのぼり、いつも通りジャグラーで出動するだろうつぼ浦は階段をおりる。
「じゃ、また」
「おう」
先に声を発したのは力二だったが、先に動き出したのはつぼ浦だった。
いつもと変わらず、軽快に階段を降りていくつぼ浦の背中を見つめながら、力二の頭の内側には、今すぐにその腕を掴んで引き止めろという警告音が鳴り響いていた。しかし、つぼ浦がついに恋心を自覚したのではないかという高揚感が、警告音を奪い、高鳴る心臓の音へと変わっていった。
──俺の人生を縛りたいのなら、今、振り返って、そのまま俺の全部を奪って欲しい。
──でも、もし、つぼ浦の出した答えが力二の望むものでなかったら?
もし。もし。もし。
ifの話をいくら重ねても、意味はない。
その疑問を最後に、警告音は完全に鳴り止んでしまった。
──この事件対応が終わったら、もういっかい、ちゃんと話そう。何を言われても、受け入れよう。
つぼ浦の姿はもう見えない。
力二は深く息を吸って、屋上へと向かった。
あまりにも穏やかなあの時間は、比喩ではなく嵐の前の静けさだった。
ユニオン対応のためにヘリを出した直後に客船からの通報、さらに銀行強盗の通報が立て続けに二件。そして豪雨。
ガチの嵐が来ようが犯罪者には関係ない。ユニオンが終息する前にオイルリグと飛行場からの通報も入った。飛行場は長引いた挙句に、護送された仲間を取り返そうとギャングの残党がやってきて、最終的には警察署襲撃にまで発展した。
その間に小型が何件あったか、誰が何度ダウンしたのか、逮捕した犯罪者は何人いたのか。それらを正しく把握出来ている署員はひとりもいないだろう。
最初は出勤人数が少なくて大変そうだった救急隊も、いつの間にか増えていた。
何はともあれ、ひと段落ついたのだ。知らぬ間に嵐も止んでいた。ももみ先生が出してくれた病院からの送迎バスに乗った署員たちは、口々に「お腹すいた」だの「今日まだ切符きってない」だの言っているが、雰囲気は和気あいあいとしている。
バスは完璧な安全運転で本署前に駐車され、松葉杖の集団がぞろぞろと降り、ももみ先生に感謝を述べる。ももみ先生は全員がバスから降りたことを確認してから「お大事になさってください!」という言葉と共に去ろうとしたが、直後に言い忘れを思い出し、「そうだ!」と大きな声を出した。
その声に反応して足を止めた数名の中に、力二もいた。
「つぼ浦さんがまた病院で目を覚ましたんです!」
少しの心配が滲んだ表情でそう言ったももみ先生は、その後にも何か続けていたが、力二にはもう聞こえていなかった。
この街において「病院で目を覚ます」という行為は、「記憶をなくした」という意味になる。心無き医師の治療の副作用だとか市長山下の魔法の副作用だとか、または何かショックな出来事があっただとか。過程はどうあれ、結果として記憶喪失になる。
記憶喪失は本来、大事件だ。だが、例外中の例外・つぼ浦匠にはそうとは限らない可能性がある。一時期は「つぼ浦のダウン通知は可及的速やかに救助に向かわねば、また記憶を失って帰ってくる」と、救急隊内で共有されていたほどに、つぼ浦は病院起床の常習犯とされていた。
とはいえ、それももう過去の話。最近のつぼ浦は、もうすっかり病院起床をしていなかった。
──それを、今? このタイミングで?
力二の背中に悪寒が走る。
──いや、でも、大丈夫……だよな?
嫌な予感を拭えないまま、力二は自分に言い聞かせた。
今日は救急隊員が少ない段階で立て続けに事件が発生した。情報や通知が混在し、救助が遅れても不思議ではないし、それは仕方のないことだ。街のお巡りさんであるつぼ浦さんは、多発する事件を見過ごせないと、救急隊を待っていられなかっただけかもしれない。
つぼ浦さんが病院で起きて、大きく記憶を失っていたのは最初の一回だけ。しかもそのときに記憶を取り戻した最後の鍵こそが、俺がプレゼントしたデューンバギーだった。
もし、今回も記憶を失っていたとしても、きっと、大丈夫なはず。つぼ浦さんなら。だって、つぼ浦さんだし。特殊だし。
力二が自身を落ち着かせたころには、すでに周囲に人はいなかった。松葉杖が不要となったその健康的な足で、力二はつぼ浦を探すために署内に駆け込んだ。
食事を取っている署員の中にはいない。牢屋対応をしている署員の中にもいない。駐車場で駄弁っている署員の中にもいない。
まさか、まだ街の中を駆けずり回っているのかと事件通知を確認するが、最後の小型は十分以上前だ。では飲食店にでも行ってるのかと思いマップを開いた力二は、インパウンド場で光っているGPSに気がついた。
即座にコメットを出し、エンジンをかける。癖で手が勝手に緊急走行をオンにしていなかったら道交法違反を切られていただろう速度をゆうに超えても、力二の足は力強くアクセルを踏み込んでいた。
最短ルートで着いたインパウンド場には、今まさに出てくる車両がいた。
派手な車体。派手なカラー。そして派手な運転手。
オレンジ色のマニャーナに乗っていたのは、当然、アロハシャツを纏ったつぼ浦だった。
力二は器用にもマニャーナの進路を塞ぐように駐車し、パトカーから降り、エンジンがむき出しのボンネットに飛び乗った。つぼ浦は驚愕と困惑を語るが、それらは力二の耳に届かなかった。
力二を見つめるつぼ浦の瞳から、太陽の輝きが失われている。
気のせいだ、そんなはずない。自分にそう言い聞かせながら、真相を追求すべく、力二は言葉を発した。
自分の声が震えていることに、力二は気がつかなかった。
「つ、つぼ浦さん。あの、病院で起きたって聞いたんすけど、その、大丈夫すか? 記憶とか」
「なんだ、心配して来てくれたのか。俺は全然大丈夫だぜ。記憶とか無くしたことないしな」
「あー。まあ、そうすよね。はい。ところで今日、あのー、めっちゃ忙しくなる前、何してたか覚えてます?」
「もちろん全部覚えてるぜ。ハイライトが揚げパンくれたからな、俺はラッコの炒め物をくれてやったんだ。ん? そういや揚げパンなくなってるな、俺まだ食ってねぇはずなのに。まあいっか」
力二の全身から冷や汗が吹き出した。
──まさか、まさか、まさか。
「そっ、そのあとはっ?!」
「そのあと? あー……そっから忙しくなったんじゃないか? あんま覚えてねえけど」
──やりやがった。全部覚えてるってのは、なんだったんだ。何も覚えてないじゃないか。あの熱が、きらめきが。もう少しで手に入ったかもしれないあの恋が、どこにもない。どこにも……どこにも?
──どこから、ないんだ?
力二の口内は、真昼の砂漠のごとく乾いていた。
「つぼ浦さんて、遊園地行ったことあります? ロスサントスの、遊園地です」
「んお? すごい話題の変わり方だな。で、なんだ、遊園地か。あー……そういえば俺この街の遊園地で遊んだことねえな」
くらり。一瞬、力二の意識が遠くなった。しかし、次の瞬間には、力二は絶望と怒りとよくわからないものに支配されていた。
──こいつ、全部忘れやがった。
成瀬力二は視野が広く、よく気が回る。それはとてつもなく察しがいいからだ。とてつもなく察しがいいので、気がついてしまった。つぼ浦匠が、成瀬力二への恋心どころか、それに伴う思い出を全部捨てたことに、気がついてしまったのだ。
力二は眼下で呑気に首を傾げている男に、殺意に近い感情が芽生えた。
なぜ。そんなことをしたのか。
この際、どうやって、恋心および周辺の記憶だけをなくしたのかはどうだっていい。なにせこの男は生きる例外・特殊刑事課のつぼ浦匠である。
力二の思考に、何かが、引っかかった。
──特殊刑事課の、つぼ浦匠。
特殊刑事課No.1、自由と腹ペコ。この街で最も「自由」を体現する男。この街で最も人々の「自由」を願う男。この街で最も人々に「自由」を願われる男。
──この街で最も、「自由」に縛られる男。
そこでようやく、力二は合点がいった。
つぼ浦が記憶を失う前、最後に二人で話したときに見せた、相反する二つの気持ち。
「人は自由に生きるべき」というつぼ浦のポリシーと、「カニくんの人生を縛りたい」というつぼ浦の欲望。
つぼ浦は力二の自由を願い、己の自由を願い、そのために恋を捨てたのだ。恋を抱えたままでは、自由に生きられないと判断したのだ。
力二はいっきに脱力し、ボンネットに座り込んだ。後輩の様子がおかしいことに気づいても、必要以上に踏み込まないつぼ浦は、力二を落とさないようにしながらソロソロと車をバックさせていた。
──こういう人なんだよ。つぼ浦さんは。
力二は大きく息を吐いてから、顔を上げた。
「……今度、遊園地行きましょうよ。警察のみんな誘って」
「お! いいな! せっかくだし全員退勤してこの街から犯罪なくすか!」
「いいですね、それ」
──ピピッ。
「ん、店舗か。近いな。行ってくるぜ。じゃあ、またな、カニくん」
「はい。また」
力二がボンネットから降りるのを確認してから、つぼ浦はそのまま、パトカーに乗り換えることなく出動した。
去るつぼ浦の後ろ姿を眺めながら、いつの間にか夕方になっていたのだなと、力二は何の気なしに考えた。夕焼けの中を走るマニャーナは、とても絵になる。
相も変わらず太陽は西の空に沈み、ありふれた今日に帳をおろす。
人は変化する生き物であると同時に、変化を恐れる生き物でもある。成瀬力二も、そのひとりであった。
ここはロスサントス。夢が叶う街。
こうして、人々の「つぼ浦匠は自由であれ」という夢は、叶えられたのだった。
コメント
2件
一文一文がすごく凝られていて大好きです😭😭 🏺の筋が通ったところが好きなので、まさにそんな🏺を浴びれて良かったです。"自由に縛られる"、すごくいい表現ですね。こういうどこか矛盾した表現が好きです。