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その日、部屋で宿題をしている所に、美愛が入ってきた。
「お帰りなさい」
私は参考書に栞を挟んで、姉の顔を見上げた。
高校三年生の秋。あと数ヶ月で本格的に受験シーズンに突入する。
「何かいいことでもあったの?」
美愛が嬉しそうに頬を赤らめているのが気になって、落ち着かなくなる。
私の問いかけに美愛はこくんとうなずき、ベッドに腰かけた。
「あのね」
たったそれだけの言葉にも、美愛の喜びがあふれているのが分かった。
「私ね、啓一から付き合ってほしいって言われてね。付き合うことになったの」
「え……」
私は息を飲み込んだまま、姉の顔を見つめた。心臓がどきどきと小刻みに震えだした。
そういう日が来るだろうと、予想はしていた。でもそれはまだ先のことだと思っていた。封印したはずではあったが、もしかしたら、私にも一縷の望みがあるかもしれないと、あり得ないほどの儚い夢をまだ完全には捨てきれずにいた。
「心愛?」
私の間を不思議に思ったらしい。美愛が首を傾げて私の顔をのぞき込む。
「あ。うぅん、なんでもないよ。びっくりして」
私はなんとか気を取り直し、唇を湿らせる。動揺を美愛に悟られたくはない。自然に見えているといいけれど、と心を揺らしながら笑顔を作った。
「おめでとう。想いが通じて良かったね」
「ありがとう、心愛」
姉は満面の笑みを浮かべている。
私は彼女の気持ちを知ってはいたけれど、彼女は私の気持ちを知らない。彼女が内緒話をするように啓一の気持ちを口にした時、自分もそうなのだとは言えずに、そのまま心の中に閉じ込めてしまった。
だって。
私が陰なら美愛は陽。顔も姿もそっくりな双子だけれど、姉は私と違って勉強ができてはきはきとして明るくて、そして可愛い。彼女を慕う友達がたくさんいる。啓一がそんな美愛に引かれるのは、至極当然のことだと思うから。
「でもさ、たまには今までみたいに三人で遊ぼうね」
なんて残酷な言葉。姉のことは大好きだけど、嫌いになりそうだ。いや、嫌いになれた方が、まだ少しはましだったかもしれない。
しかしよく見れば、美愛の表情には後悔の色がにじんでいた。今の言葉に対するものだろうと察しがつく。
私は黒い感情の塊を心の奥底に押しやるように、一瞬だけ瞼をギュッと閉じた。次に美愛を見る時には自分の眼差しが和らいでいることを期待して、目を開ける。
「そういうわけにはいかないよ。恋人同士の間に入るなんて野暮なこと、できるわけないでしょ。私のことは気にしないでいいから」
「ん……。あのね、心愛、ごめんね」
「なんで謝るの?」
「だって、私……」
美愛が言いにくそうに言葉を濁らせ、哀しそうに眉尻を下げた。
「本当は心愛、もしかして……」
啓一への想いを気づかれないように振舞っていたはずだ。それなのに、この双子の姉には気づかれていたとでもいうのか。そうだとしても、うんと頷けるわけがない。
「心愛?」
美愛が不安そうに私を見上げている。
私は姉の隣に座り彼女の体を抱き締めた。自分に言い聞かせるように、言葉を連ねる。
「私が初恋もまだなこと、美愛がいちばんよく知ってるでしょ?私が早く恋したいって思えるくらい、美愛と啓一君の幸せな顔をたくさん見せてよ」
啓一がどれだけ美愛を好きなのか、近くで二人を見ていたからこそ、胸が痛くなるほどよく知っている。今になって封印を解いたところで、二人の間に入り込む余地はなく、私の恋が成就しないことも分かっている。
だから私をそんな顔で見ないでほしい。詫びるような言葉も口にしないでほしい。そうしてもらわないと、今さらどうしようもないことを、つい考えてしまいそうになるから。
あの時、私が美愛の後ろを歩いていたら?
彼の声に先に振り返り、先に言葉を交わしていたのが私だったら?
そうしたら今、私と美愛の立場は逆だったのだろうか?
過ぎたことを振り返って、そこに自分を当てはめて考えることに、何の意味もない。ただ苦しいだけ。それならば、大好きな二人の幸せを喜んだ方がずっといい。だからそのために、勇気を出して完全に決別しよう。
さよなら、私の遅い初恋。
(了)
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