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いつも子供が犠牲になるんだね。周りの人が優しくて良かったけれど。
母は親になりきれない人だった。
麗のことを好いていたとは思う。
ただ、愛し方がわかっていなかった。そういう人だった。
ちゃんと聞いたわけではないが、天涯孤独で、学もなく、水商売をする以外の選択肢がないような経歴から、母自身もまた愛されてこなかったのだろうと察せられた。
それなのに綺麗で、純粋で、どこまでも愚かだった。
麗は母を思い出すと、寂しさや怒り、悲しみではなく憐憫という感情に襲われる。
憐れな人だった。愛する男を間違えてしまった人だった。
「あんた、こんなとこで何してるの?」
母と同じ職場の借り上げアパートに住む母の先輩にタバコ片手に話しかけられて、幼い麗は顔を上げた。地面に枝で絵を書いていたのだ。
「お父さんが来てるから、遊んでます!」
今思えばネグレクトだ。
寒空の下、父が来ているからと母に家を出されていたのだから。
それなのに、洋服だけは父がくれる佐橋児童衣料の高いものを着ているのだからちぐはぐだった。
それでも、お腹が空いたらなにか買ってねと預かったお金はポケットに入っており、あのころの麗に不足はなかった。
母の先輩がため息交じりに煙草の煙を吐いた。
「来な」
麗は一瞬ためらった。
だが、知らない人について行ってはいけないと母に言われてはいるが、知っている人だからいいかと、麗は素直について行く。
玄関で靴を脱ぎ捨て、廊下に行こうとすると、手で止められた。
「靴はそろえな」
言われた通り揃える。するとそれでいいと頭を撫でられる。
「ごはん、あまりもの温めるから、テレビ見てな」
そう言われて、見せてもらった教育番組に麗はたちまち夢中になった。
その日から父が来るたび、その人の家に行くようになった。
最低限のしつけはその人にしてもらった覚えがある。
きっとすごく迷惑だったろうに、拒否されることはなかった。
麗はそういう育ちの子供だった。
父の訪れがなくなり数年。麗が中学三年生のときだった。母が倒れたのは。
母の顔色が年々悪くなっていたことに気づいてはいたが、父からもらえるお手当がなくなり、夜の仕事を増やし、遅くまで酒を呑む生活のせいだと思っていた。
それが悪かったのだ。
麗が母を気にかけてあげるべきだったのに。
帰ってくるまで、起きて待っていてあげるだけでは駄目だった。
救急車に乗ってついた病院で母は深刻な病気であると診断された。
そして、優しい声をした看護師に親戚の大人を呼べと言われた。
親戚はいないと言ったときの看護師の困った顔を麗は今でも覚えている。人の顔を覚えるのはとても苦手な筈なのに。
結局、学校の担任に頼んだ。
定年が近そうな男の担任とは、元々あまり関わってこなかったが、事情を説明すると病院まで付き合ってくれた。
そして、母の命が長くないと伝えられた時の担任のこれまた困った顔、多分一生忘れられそうにない。
そこからはただでさえ貧しい母子二人の生活は、まっ逆さまに落ち更に貧しくなった。
母は保険に入っていなかったというより理解していなかった。
難しいことを考えられる人ではなかったのだ。
病院代に家賃、食費。その他もろもろで貯金はあっという間につきた。
優しくしてくれる人は沢山いた。
大家は家賃を減額してくれたし、母の水商売仲間は見舞いに来て麗にお金を握らせてくれた。幼い麗の面倒を見てくれていた母の先輩だって、もう別に自分の店を持って独立していたのに、わざわざ来てくれた。
担任の奥さんも弁当を麗の分まで用意してくれた。
それでも生活できなくて、ついには担任と共に役所に生活保護の申請に行ったとき、役所の職員のおばさんに父親に援助してもらえないのかと聞かれた。
認知されていません。と、答えた麗に職員のおばさんは頭を抱えた。
麗の義務教育期間は終わりかけで、中卒で働くしかなさそうだなと子供心に悟った。
認知訴訟を起こして、養育費を請求するのはどうだろうかと言った職員のおばさんに、担任が弁護士費用がないと返事した。
すると職員のおばさんが今度、役所で弁護士が無料相談を受けてくれる。もう受付は終了しているが、この子のために何とかねじ込むと約束してくれた。
大丈夫だからな、と麗の背中を擦る担任の手は優しくて、どこまでも申し訳なかった。
一人でアパートに帰ると、不安が襲ってきて、孤独で泣いた。
泣き声が聞こえたのか隣に住むOLが作りすぎたとカレーを持ってきてくれた。噂好きの大家に事情を聞いていたのだろう。
皆、麗に優しかった。
だけど、何故かそれが辛かった。だからだろうか、無謀なことをしたのは。