テラーノベル
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・百合(GL)
・一次創作
・作者の好き(癖)が詰まってます
・下手くそ
・なんでも許せる人向け
「そんなの気にしねぇ!読んでやるよ!」っていう優しい人は愛してます😘
………………✿❀✿………………
春が嫌いだ。
春の風は生ぬるくせにときどき冷たい。
どちらにもなれない、中途半な季節みたいで落ち着かない。
あの、ふんわり香る春の匂いも、甘ったるくて苦手だ。でも何故か、花の匂いは嫌いになれない。
春の雨とか大嫌い。匂いも景色も思い出すだけで、憎らしくなる。
……春はうちの誕生日だ。
灯ったばかりの命の灯火に、息を吹きかけられるようで、好きじゃない。
それに、いつ消えるか分からなくて怖い。
入学、卒業、新学期、新生活。
春は始まりの季節らしい。
でもうちはそれが苦手だ。
季節までが、「早く大人になれ」と言うみたいで。
春が好きだ。
だって、君と出会えたから。
………………✿❀✿………………
春特有の、甘い匂いが鼻の奥に残った。
大学へ続く桜並木は、逆光で白く溶けている。
桜の隙間から差し込む陽射しが、やけに眩しい。
手をかざすと、血管が透き通って見えた。生きてるって感じがして、胸の奥がむずむずする。
この道だけが、白く飛んでいる。
(桜並木が世界の境界線みたい)
なんて小説みたいなことを考えながら、花びらを踏む。無惨に踏まれた花びらは汚れていた。申し訳なさが少しある。
周りは浮き立っているように見えた。
新しい鞄。新しい靴。新しい服。
私だけが、冬に取り残されているみたいで、うまく呼吸できない。 まだ私の肺には、冷たい冬が居座っている。
風で揺れる桃色の花びらが、儚くて、触れたら消えてしまいそうだった。
はらり、と花びらが落ちた。
そのとき。
「……ねぇ、君、息してるの?」
背中から声が聞こえた。
ぱっと振り向いた瞬間、目に光が刺さる。
白くて、桃色な世界で、その子だけがやけにくっきりとしていた。
はらり、とまた一枚。
「してるけど」
「ほんと?うちには止まって見えた」
首を傾けてくすくす笑っている。まるで、春を全部自分のものにしたような顔で。
「ねぇ名前なんて言うの?」
「……いきなり?」
「聞いちゃダメ?」
首をこてんと傾ける君。
それと同時に、生ぬるい風が吹いた。
「……夏希」
考えるより先に口が動いていた。
「なつき?いい名前だね」
まただ。
首を傾けてくすくす笑っている。
……ああ。
この子は笑うときに首を傾けるクセがあるのかも。
でも、どこかで見たことある。
記憶の奥に、映像がよぎる。
今日みたいに桜が咲いていて。
誰かが泣いていた気がする。
それで、それで________
私の思考が言葉で覆い被される。
「うちは蘭。花のだよ」
そう言って、地面に『蘭』の文字をなぞる。
「なつきってどう書くの?」
「夏の希望で夏希」
「……綺麗な名前だね」
光に包まれた桜並木に、二つの影が伸びる。
その足元には『蘭』と『夏希』の文字。
影が、少し重なる。
「花びら、ついてるよ」
蘭がぐっと顔を近づける。少し動いたらおでこが当たりそう。
「ちょっと、近い」
蘭の白い指が、私の髪に触れる。
そっと、ゆっくりと。まるで宝物を触るように。
それが照れくさくて、少しくすぐったくて、思わず声が出た。
「くすぐったいって」
「動かないでよ」
そう言って蘭は、少しむすっとする。
その顔にどこか見覚えがある気がする。
でも思い出せなくて、すぐに考えるのをやめた。
花びらを掴もうとした指が、私の顔に近づく。
触れそうで、思わず離れようとした。
でも、思うように動かなくて。
こつん、と小さな音がした。
額と額がぶつかったと理解するのに、時間がかかった。理解した瞬間、恥ずかしさが一気に押し出して、誤魔化すように瞬きをしていたら。
目が合った。
君のまつ毛も、目の奥の光も。
私を見つめていることも。
全部、全部分かってしまう。
申し訳なさよりも恥ずかしさが勝って、蘭の肩を押す。
ほんの一瞬の出来事。
でも、一瞬なのに頬が熱い。気のせいだと思いたいくらいに。
額に汗がじわっとにじんで、拭きたいけどそれどころじゃない。
それに、心臓がはち切れそうで。
呼吸の仕方が分からなくて。
君しか視界に入らなくて。
なんでだろう。
たまたま同じ道を歩いていただけなのに。
息をしているか、なんて失礼なことを聞かれただけなのに。
あなたのクセを一つ知っただけなのに。
名前を教え合っただけなのに。
一瞬、おでこがぶつかっただけなのに。
(君のことで頭がいっぱい)
なんて恋愛小説みたいなことを考えながら、君を見つめる。
………………✿❀✿………………
ここの大学に入った理由はなんといっても学食。
美味しいご飯より大事なものはない。
……まぁ、それだけじゃないけど。
部屋の一番隅っこがうちの定位置。
日の光がちらちらあたって、暖かい。
体の芯から溶け出すような、この感じが好き。
それに桜並木がよく見える。
結構お気に入りの席。
「蘭ちゃん、もうちょっと食べなくていいの?」
「あんまり食べられなくて」
「そうなの。いつでもおかわり待ってるからね!」
学食のおばさんから、日替わりメニューを受け取って、いつもの席に座る。
今日はやけに日の光が強くて、思わず窓の外を見た。
桜よりも先に、目に入ったのは夏希の姿。
数日経ったから、仲良くはなった。
講義を一緒に受けたり、朝はあの桜並木で集合して。
でも。
あの時のことを思い出させる顔は、まだ慣れない。
白い光に包まれた君。
光が反射して髪がきらきら輝いて綺麗だった。
だから、花びらを口実に触れてしまった。
(触れてしまった!)
うちが赤面するタイプじゃなくてよかった。自分の顔に感謝する日がくるとは。
もし、もし、バレてたらどうしよう。羞恥心で海に飛び込みたい。数日も経った出来事なのに、未だに鮮明に覚えている。
足をジタバタさせていると、周りの人に変な目で見られた。最悪。
そんなことよりも、
(夏希、うちのこと覚えてなかったなぁ)
胸の奥が少し、引っかかる。
仕方がないか。
最後に会ったのはたしか、小学生二年生のころかな。
………………✿❀✿………………
桜の木の下で、うちはしゃがみ込んでいた。
ここの木は大きくて、秘密基地みたいで、なんだか安心する。嫌なことがあったら、ここに来るって決めてるくらいに。
木の隙間から光が漏れて、少し眩しい。
手の甲にも、白いスニーカーにも、花びらがひらひらと降り注ぐ。
うちの好きなピンク色だけど、今は少しだけ、くすんで見えた。
「ひっ……ぐ……」
みんなと一緒に鬼ごっこができなかった。
一度走ってみたけど、すぐに息が切れて苦しくなる。
こんな自分が悔しくて、情けなくて。
出したくもない涙がポロポロと出てくる。止めたいのに止まらなくて、そのせいでさらに泣きたくなる。
みんなみたいに走ったらダメなのは分かってる。
『じびょう』を持ってるからって、お母さんが言ったから。すぐに体を壊すし、熱は出すし。分かっているのにいやだ。うちだけ違うことが、寂しくなるから。
「……あなた、桜の魔法使いさん?」
知らない声にびっくりして、顔を上げると知らない女の子が、キラキラした目でうちを見ていた。
「えっとね、お母さんが絵本を読んでくれたの!」
女の子がしゃがんで、うちの高さに合わせてくれた。
「それでね、魔法使いさんは桜の木に住んでて、それでね!えっと、魔法使いさんがね!魔法をかけてくれるの!」
そう言って、抜けた前歯を見せて笑った。
その笑顔がまぶしかった。なんでか分かんないけど、きらきらしてた。
「うちは魔法使いさんじゃないよ」
「そっか!ごめんね」
今度はしょんぼりして答えた。表情が忙しく動いて大変そう。
「あ、そう!」
女の子がなにかを思い出したように声をあげたから、ちょっとびっくりした。
「なんで泣いてるの?」
「分かんない」
「分かんないってなんで?」
「分かんない。ずっと泣いたら、なんで泣いたか分かんなくなるもん」
鼻水をすすりながら答えたら、声がヘンテコになっちゃった。
ちょっと恥ずかしかったけど、その子は気にしてなさそうだからほっとした。
「ふーん」
女の子は口をとんがらせて、顔をこてんとした。
その顔がちょっぴりおかしくて、つい笑ってしまった。
「ちょっと!笑わないでよ!」
「だって」
ほっぺたを膨らました顔を見ると、さらに声が出てしまう。
「もー」
「……っふふ」
「……ぷはっ」
目が合って、二人で大声で笑った。
さっきまで止まらなかった涙が、いつのまにか出なくなっていた。
「あ!笑った!」
「え?」
「魔法使いさんが魔法をかけたのかな」
「なにそれ」
つい笑ってしまう。
よく分かんないけど、悪いことではない気がした。
「……名前なんていうの?」
勇気を出してうちから話しかけた。
「んーとね、なつき!」
そういって、ぐにゃぐにゃの文字で『夏希』と書く。
「漢字書けるの!?すごい!」
「すごいでしょー習ったんだ!」
「夏希は、夏の希望って書くんだ!綺麗だなー」
「えへへ」
誇らしげに鼻の下を伸ばしてる、夏希ちゃんの顔が面白い。夏希ちゃんは将来、お笑い芸人なのかなぁ。
「うちはね、らんだよ」
お母さんが書いていたのを思い出しながら『蘭』の文字を書く。不恰好で下手くそだけど、夏希ちゃんは「漢字難しいね!すごい!」って褒めてくれた。
「すっごく綺麗な名前だね」
夏希ちゃんは、うちのことをまっすぐ見て言った。
「ありがとう」
初めて名前を褒められて、すっごく嬉しい。
お母さんにだって褒められたこともない。だってお母さんは多分、うちのことが好きでも嫌いでもない。『産んだから』育てるって感じ。上手く言えないけどそう。
学校で『名前の由来を聞こう』って授業があった。
お母さんに聞いてみたら
「名前図鑑の適当なページから拾った」
だって。
授業の発表のときに、うちは恥ずかしくて嘘の由来を言った。
近所の人からは『かわいそう』な目で見られる。マッチ売りの少女のお話を読む大人みたいに。
うち自身を見てくれる人はいない。
だから、夏希ちゃんが初めて。
初めて名前を褒めてくれて、初めてまっすぐ目を見てくれた。その目は『かわいそう』な目じゃなかった。
初めて、初めて、うち自身さえも見てくれたように思えた。
うちにとって、夏希ちゃんが魔法使いさんだよ。
「蘭ってお花の?」
「そうなの?」
「うん!図鑑で見た!いっぱい種類があるんだって!また一緒に見ようね!」
「うん!一緒に見ようね」
うちができる精一杯の笑顔で応える。
約束ができて嬉しい。次があるって証拠だから。
………………✿❀✿………………
次があるから今日も頑張れた。
大嫌いな病院も頑張って行った。
みんなと違うことも我慢した。
走るのも我慢した。
「夏希ちゃん!」
「あ!蘭ちゃんだ!」
今日は楽しみで仕方なくて、笑顔で手を振る夏希ちゃんを見て、走ってしまった。ちょっと息が苦しいけど大丈夫。
だって、夏希ちゃんのために走ったって思うと、苦しさなんてどうでもよくなってしまう。
「図鑑持ってきたよ!」
そう言って、膝に図鑑を乗っけた。
二人の膝でも足りないくらい、大きくて、それくらいわくわくして。
ページをめくるごとに、『知らない』がどどん出てきて、『面白い』も『楽しい』も噴水みたいに湧き出てくる。
こんなに夢中になれたのは初めて。
横をちらっと見ると、夏希ちゃんが星みたいにきらきらした目で、図鑑を見ていた。
それと、昨日とまた違う髪型に目が入った。
(あ……夏希ちゃん、三つ編みだ)
「夏希ちゃん、今日は三つ編みなんだね」
「あ、そう!お母さんがやってくれたんだ」
三つ編みに手を添えながら、にーっと歯を見せて笑う夏希ちゃん。
うちはそんな夏希ちゃんが好き。こっちも、気づいたら笑顔になってるから。
「いいなぁ」
「わたしがやったあげる!」
夏希ちゃんがうちの髪の毛を、器用に三つ編みにしていく。
まるで魔法みたい。
どこから摘んできたか分からないお花を、三つ編みに挿してくれた。確か図鑑に載っていた『勿忘草』って花だと思う。青がとっても綺麗。
だからお礼として、たまたま見つけた四葉のクローバーを夏希ちゃんの三つ編みに挿した。そうしたら夏希ちゃんが「ありがとう」って言ってくれて、胸の奥がむずむずした。
「できたよ!」
「夏希ちゃんとお揃いだ!」
嬉しくて笑うと夏希ちゃんも笑ってくれた。気持ちが通じ合ったような気がして嬉しい。
うちには嬉しい気持ちしかなくて、すっごく幸せ。
「これ作ってみようよ!」
夏希ちゃんが図鑑の花冠のページを指して言った。
「お花もってくるね!」
そういって桜の木の影を超えて、光のところに行ってしまった。
夏希ちゃんがもう帰ってこないかもしれないって思った。うちを置いて行って、うちはひとりぼっちになっちゃう。根拠も理由もないけど、そんな気がした。うちは悲しい気持ちでいっぱいになった。
でもそんなことはなくて、お花を両手いっぱいに持って、帰ってきてくれた。夏希ちゃんはうちを捨てることはないって、純粋に嬉しかった。
「んーむずかしい」
「むずかしいね」
結構作るのは苦戦したけど、なんとかできた。
ボロボロで不恰好だけど、お花がキラキラの宝石に見えて、お姫様が被ってる王冠みたい。
「じっとしててね」
夏希ちゃんが悪戯っぽく笑って、少し背伸びする。
なんだか、従兄弟のお姉ちゃんの結婚式を思い出す。
ヒラヒラのベールを新郎さんがめくって、誓いのキスをする。でも新郎さんのほうが背が小さくて、背伸びしたっけ。
あ、ドレス綺麗だったなぁ。お姉ちゃんによく似合ってた。うちも一度は着てみたいな。
頭に何かが乗った感触がした。
花の甘い香りが降る。あまりにも優しい匂いで、ずっと感じていたい。
風が吹いて、二人の三つ編みを揺らす。それが合図かのように、うるさかった周りが静かになった。
桜の木の下には二人だけしかいなくて、世界は二人だけって言われても信じてしまう。
大好きな桜ですらぼやけて、うちには夏希ちゃんしか見えなかった。
だから________。
「夏希ちゃんは、うちとずっと友達だと誓いますか」
思わずそう言ってしまった。夏希ちゃんは、目をぱちくりさせてた。
はいって答えてほしい。そうじゃなきゃ、うちの好きが一方通行になるから。うちだけじゃないって思いたい。
ほんの数秒なのにやけに長く感じた。
「誓います!」
夏希ちゃんが笑顔で答えてくれて、胸の奥が一気に軽くなる。
うちだけじゃないって証明されてようで、嬉しかった。
頬に冷たい水が当たった。雨だと分かるのにそんなに時間はかからなかった。
だんだん量が増えて、花びらがどんどん落ちる。桜の木が泣いてるみたいに見えた。
うちの明るかった心も、雨で流れ落ちそうで怖い。
帰らないと、って夏希ちゃんが呟いたのが聞こえた。
この時間が雨によって終わってしまう。スカートの裾を握りすぎて、指の先が白くなる。
初めて雨を憎んだ。
「ばいばい!また遊ぼうね!」
夏希ちゃんは、びしょびしょになった手を振ってくれた。
「……うん!」
濡れてしまった花冠を握りしめながら、その手に応えた。
………………✿❀✿………………
もっと、蘭ちゃんと遊びたかったな。
窓に打ち付けられる雨の音がドラムみたいでうるさい。窓の外側に桜の花びらがひっついていて、取りたいけど取れないのがもどかしい。
雲が灰色で、吐き出せない雨を溜めてるみたい。わたしの気持ちと同じ。
『夏希ちゃんは、うちとずっと友達だと誓いますか』
蘭ちゃんの言葉が頭から離れない。
なんで蘭ちゃんはあんなこと聞いたんだろう。分からないことだらけ。そういえば蘭ちゃんのこと何も知らない。何が好きなのかとか、なんであそこで泣いていたかも。
もっと蘭ちゃんのことを知りたい。
わがままかもしれないけど、私のことも知って欲しい。
絵本が好きなこと、ココアが好きなこと。
……蘭ちゃんのことが好きってことも。
なんで蘭ちゃんのことが好きかは分からない。クラスの男子が気になるとかとは違うし、お母さんが好きとは違う。近所の犬のポチが好きとも違う。
言葉にできない『好き』を蘭ちゃんに抱いてる。
(蘭ちゃんのことが知りたい)
蘭ちゃんが三つ編みに挿してくれた、四葉のクローバーを撫でながら窓を眺める。
初めて雨を憎んだ。
………………✿❀✿………………
その次の日、
いつもの時間になっても蘭ちゃんは来なかった。
一人になった桜の木の下は、海の底みたいに静かだった。
周りが暗く見えてきて、少し息がしづらい。
しゃがみこんで、四葉のクローバーを探した。
蘭ちゃんにあげたかったんだ。
でも、見つからない。
顔を上げても、蘭ちゃんはいなかった。
………………✿❀✿………………
高熱が出たんだ。
……それだけだった。
でも、『それだけ』のことで夏希ちゃんに会えない。
それが悔しかった。いつのまにか、花冠を握りしめていた。
こんな体いらない。捨ててしまいたい。
でも。
そうしたら、夏希ちゃんに二度と会えない。
ああ。
ごめんね。夏希ちゃん。
これでうちの魔法は、終わり。
………………✿❀✿………………
桜並木を歩いていた。理由はないし、なんとなく。
雨の音がぽつりと聞こえた。
この前の蘭との出来事はなかったかのように、雨が降る。
私の体がびしょびしょになる前に中に入りたい。
とりあえず正面玄関の屋根に駆け込んだ。周りには「新入生歓迎」の看板だったり、色とりどりの傘が列を作っていた。
近くの自販機からココアを選ぶ。雨で私の体温はすっかり奪われてしまった。コーヒーの苦みより、今は体を温める熱さと、喉を焼くような甘さが欲しかった。
薄暗い雨空の下、自販機の明かりだけが玄関先で浮いている。残り少なくなった『あったか〜い』の赤い光が周りを照らす。
プルタブを開けるとら甘ったるいココアの匂いが鼻の奥に広がった。
アルミ缶の熱が、冷え切った指をじんわり溶かしてくれる。
あまり甘党ではないが、ココアだけは好き。
一息ついていると、私が来た方向から人が歩いてきた。
「あ、夏希じゃん」
見覚えのある顔。蘭もびしょ濡れになっていて、見るだけで寒そう。
「やっほ。何か飲む?」
「じゃあココア」
「特別に奢ったあげる」
蘭の返事を聞く前にボタンを押して、それを渡す。
「え、いいの?」
「うん。見てるこっちが寒い」
蘭は驚きながら缶を受け取り、それを大事そうに持った。
(そんなに寒かったのか)
奢って良かったな、と内心嬉しく思う。
プルタブを開ける音が雨の中に混じる。
ココアの甘い香りが、雨の匂いを塗りつぶすようだった。
「……ココア好きなんだ」
ぽつりと、蘭が呟いたのが聞こえた。
「ん、まあね」
なんでそんなことを聞くんだろう、と思いながら答える。
「蘭はココア好き?」
まだ出会って数日だから、蘭のことをもっと知りたくて聞いてしまった。
「んー今好きになった」
少し間を空けたから身構えたけど、予想の斜め上の回答に固まってしまう。
「なにそれ」
会話が終わり、雨の音だけが響き、自販機の光がチカチカとなってる。
なんとなく気まずくて、意味もないのにカバンを漁った。
「あ」
「どうしたの?」
本が濡れて、ページの端が波打っている。
慌てて、開くとはらりと何かが落ちた。
透明なフィルムに押し花が挟まれている。
四葉の、クローバー。
色は抜けているし、ボロボロ。だけど形だけは残っていた。
「……それ」
蘭ではめずらしい、少し震えた声だった。
「栞。昔、誰かから貰ったの。」
誰だったかは思い出せない。でも、桜がよく咲いた日だったのは覚えている。
「ずっと持ってるの?」
「うん。分からないけど、大切なものだと思うの」
指の腹で栞をなぞった
大切なものこそ栞にしたくなる。
栞って途中に挟むものだから。
広い広い世界での、たった一つの目印みたいで。
私の好きなものを、忘れないようにするためみたいに思ったから。
……私の、案内係さんみたいな。
「……そっか」
雨音が強くなり、二人をかき消していく。
自販機の光がチカチカと揺れていた。
手の中のココアは、もう熱くなかった。
𓆡 ⊹ ࣪˖ ┈┈ 𓈒𓆉 ˖ ࣪⊹ ┈┈ 𓆡 ⊹ ࣪˖
ガタン、っとスポドリが落ちる音がした。
いつの間にか自販機は『つめた〜い』の青い光が多くなっていた。自販機の隣に、剥がれかけの夏祭りのポスター。
学食から見える景色は緑が多くなって、蝉の鳴き声が響いていた。
頬に冷たい感触が走る。ペットボトルでも当たったのかと思った。
「なーつき!」
見ると、結露で濡れている蘭の手だった。
「わっ、蘭か……」
夏になっても蘭の元気さは変わらず、なんだかんだ蘭と一緒に過ごしている。
友達以上、親友未満みたいな距離感で気楽。
「一緒に食べよー」
「うん」
蘭が教えてくれた一番隅っこの席。
春は暖かくてちょうどよかったけど、夏は逆に暑いくらい。不人気な席だけど、蘭と食べれるならどこでもいいような気がしてくる。
蘭はパシャっと写真を撮っている。
普通の学食なのに、毎日。
春も撮っていたけど今だに疑問でいっぱい。本人によると「思い出だから!」らしい。蘭のことはよく分からない。
蘭の方をチラッと見ると、スマホをこちらに向けていた。
パシャ。
「あ」
「夏希の食べる姿ゲットー」
「おいこら」
てへっとすっとぼける。こっちは騙されないからな。
消して、と言おうとしたが蘭がつぶらな瞳でこっちを見ている。ため息を一つこぼして、
「一枚だけね」
「よっしゃー!」
なにが嬉しいのかは分からないけど、喜んでいるならいいか。るんるんとスマホを眺める蘭を見ると、自然と頬が緩む。
「いただきまーす」
ちょこんとした白ご飯におかず。せっかく安いのにもったいない。
「やっぱり少なくない?足りるの?」
「えーそうかな。ちょうどいいんだけど」
春の時に初めて二人で食べたとき、蘭の少食さに驚いたのを思い出す。こんな量であの元気さが出るのは不思議でたまらない。
(これが省エネか)
「ねぇなんか失礼なこと考えた?」
「考えてない」
省エネは褒め言葉の分類だろう。多分。
「ねぇー夏希」
「なに」
「これめっちゃ美味しいんだけど」
目をキラキラに輝かせて、口をもごもごしている。その様子が面白くて吹き出した。
「何笑ってるんですか。夏希さん」
今度はジト目になるが、口はモゴモゴさせている。
表情差分やめてくれ。吹き出す。
「ちょその顔やめて」
「なんでよ!これめっちゃ美味しいよ?」
ん、と言って唐揚げを掴んだ箸を差し出す。
食欲そそられる茶色に、カラッとした衣。
確かに、美味しそう。
少し遠くて、蘭の方に身を乗り出した。
蘭は少し驚いていたけど、気にしない。
ぱくっ。
「え、美味しい」
「だから言ってるじゃん!」
もー、と怒ってる風だけど顔は笑っていた。なんだかんだ優しい蘭が好き。
「あ、そういえば」
蘭が箸を進めながら言った。
「夏祭り行かない?」
「あー、ポスターあったね」
自販機の近くのポスターを思い出す。
屋台がでたり、打ち上げ花火が上がるらしい。
蘭と行けるのか。普通に楽しそう。
「行く」
「やったー!浴衣出さないと!」
浴衣か。確か金魚の柄だったような。
端っこの物置に封印されてるな。また取り出そうと考えながら、サラダを口に頬張る。
𓆡 ⊹ ࣪˖ ┈┈ 𓈒𓆉 ˖ ࣪⊹ ┈┈ 𓆡 ⊹ ࣪˖
真っ白な布地のあちこちに、小ぶりの赤い金魚が跳ねている。
くるっと私が回れば、布擦れの音と一緒にシワが波紋となり、くるくると金魚が泳ぐようだった。
鏡の中に映る私は、いつもより大人びて見えて。
この日を待ち侘びていたかのように、金魚も踊って見えた。
「……よしっ」
蒸し暑い季節に鬱陶しく思いながらも、慣れない下駄を鳴らす。
夜風が、火照った頬を冷やすようで気持ち良かった。
カランコロン、と音が響き、金魚が揺れる。
「_______あ!いた、夏希ー!」
約束の時計台の下、笑顔で手を振る蘭が見えた。
「……蘭。ごめん、待った?」
「大丈夫!うちが早く来ちゃっただけ」
頬を掻いて、少し恥ずかしそうに答える。
「すっごく浴衣似合ってるよ!」
まっすぐな瞳で覗き込まれ、私の胸の奥で金魚が跳ねた。これ以上、この金魚は赤くなれない。
「ありがとう」
そう答えると、蘭は笑いかけた。
「えへへ、見て見て。ちょっと気合い入れたんだ!似合ってる?」
確かにいつもと違って、お団子にしている。お団子に刺さっている簪は、雨みたいに透き通っていて、揺れる度に目で追ってしまう。
涼しげな薄い水色に、青や黄色、水色の水玉模様が弾けている浴衣もよく似合っている。
蘭がくるっと回るたびに、大きな水玉がシュワっとラムネみたいに弾ける。
私の赤い金魚が、その泡に飛び込みたそうにしていた。
「とっても似合ってるよ」
少し照れるけど、本当のことだし堂々と言ってみせた。
「えー」と恥ずかしそうに微笑む蘭が愛おしい。
お団子にしている蘭の首筋が見えて、何故か見てはいけないような気がして、揺れる簪に視線を逃した。
カランコロン、と二つの音が重なる。
𓆡 ⊹ ࣪˖ ┈┈ 𓈒𓆉 ˖ ࣪⊹ ┈┈ 𓆡 ⊹ ࣪˖
屋台の裸電球が私たちの影を濃くしていく。
私の隣では蘭が子供みたいにはしゃいでいる。
「ねぇ夏希!あれ食べよう!」
蘭の指の先にはりんご飴の屋台があった。提灯がリンゴ飴をチカチカ照らして、宝石みたいに輝いていた。
「……じゃあ一個買おうか」
「わーい!半分こしよ!」
買ってばかりのりんご飴は思ったより重く、私の浴衣と同じくらい、赤く鮮やか。
透明な包み紙をとると、甘い匂いが鼻をくすぐる。蘭は一口ぱく、っと効果音がつくかのように食べた。
「んー!美味しい!」
幸せそうに頬をふにゃふにゃにする蘭は可愛い。思わずニヤけていると、
「ん!夏希も食べて!」
蘭が齧った跡の残るりんご飴を差し出した。
(断れない……)
断ったら犬みたいにしょんぼりするだろうなぁ。
こうなったら食べるしかない。
カチッ、と飴が砕ける音がして、甘酸っぱい果汁が口の中に広がった。飴の甘さと絶妙にマッチして美味しい。
りんご飴を味わっていると、蘭がニヤニヤしてこっちを見てきた。
「へへっ、口に飴ついてるよ」
そう言って蘭が指先で、私の口先をそっと拭った。
まさかの行動に心臓の音が大きくなったのが分かる。周りの騒がしさに、少しだけ救われた。
「ねぇラムネ食べよう!」
私の気持ちを知らないで、無邪気に手を差し伸べる。怒りたいけど怒れない、もどかしさと格闘しながら蘭の手をとる。
「こっちこっち!」
「あ、ちょ」
蘭が人混みの中を泳ぐように進んでいった。
辿り着いた屋台には、少し汚れた桶の氷水に浸かっているラムネ瓶が並んでいた。
赤、青、黄色、透明。
味ごとに色が変わって、瓶が虹を作っていた。
提灯が瓶を照らして、この世界のキラキラしたものを全部詰め込んだように思えた。
「二つください!」
蘭がるんるんして、ガマ財布から小銭を払った。
「いっぱい味あるんだ!」
氷水に手を突っ込んで透明な瓶を取り出す。
キーン、と手が一気に凍るようで気持ちいい。
「夏希、開けるよ!せーのっ」
プシュッ、っと泡が弾けた音と同時に
カシャン、っと涼しげな音が耳の奥に残る。
白い泡がシャワシャワと溢れてきて、蘭の浴衣の水玉模様を連想させられる。そのまま夜空に溶けて、なくなってしまいそう。
ベトベトになった手で瓶を握ると、夏の蒸し暑さが全部吹き飛んでしまいそうだった。
綺麗に飲み干した瓶は、もう空っぽだった。
ビー玉を取り出して見上げると、世界が透明に見えた。御伽話の人魚姫が見ていた景色は、こんな感じだったのかな。
「ねぇ蘭」
「なぁに夏希」
蘭はふにゃ、っと頬を緩ませて答えた。
「このビー玉さ、向こうの屋台でリメイクできないかな」
視線を向こうの屋台に向けた。
自分で材料を決めてアクセサリーを作るワークショップ。
色ペンでデコられた手書きのポスターを見ると、
『ピアス』の項目があった。
「いいんじゃない?頼んでみよ!」
蘭がそう笑って店主さんの方に歩き出す。
身振り手振りでお願いする蘭に、店主さんは快く受け入れてくれた。
「了承もらった!」
蘭は親指を立ててニコッと笑う。
店主さんはビー玉を丁寧に拭いて、ワイヤーで加工していく。まだ少しだけ、ラムネの匂いがした。
明かりで反射したビー玉は、夏の欠片をぎゅっと詰め込んだよう。思わず、優しく淡い光を眺める。
「できたぞ」
「わーありがとうございます!」
「ビー玉は一つしかなかったから、一人につきピアスは一個だが、大丈夫か?」
「大丈夫です!」
「ありがとうございました」
店主さんに手を振り返して、道の端による。
「はい!夏希のぶん」
蘭が完成したばかりのピアスを、手のひらに乗せて差し出した。
夏の夜空も熱さも、ぎゅっと閉じたように淡く光る透明なビー玉。
「蘭がつけてよ」
りんご飴の仕返しのつもり。蘭なら普通につけそうで仕返しにならないかもしれない。
「えっ……いいよ」
一瞬固まったけど、すぐにいつも通りの蘭になった。
蘭がずいっと踏み込み、私のパーソナルスペースに入ってくる。
(……近い)
私から言ったのに妙に照れる。
鼻先にかすめるのは、爽やかなラムネと石鹸の匂いが混じったような香り。
蘭の指先が私の耳たぶに触れる。
いつもの冷たさとは違う、夏らしい火照った指先だった。
至近距離で目が合う。蘭の瞳に、提灯の光が反射してゆらゆら揺れていた。少し危うい雰囲気を感じて、肩が跳ねた。
「動かないでよー」
「分かってるって」
お団子にした髪から覗く耳が、りんご飴みたいに赤く染まっていた。
(……提灯の、光のせいかな)
そう思いたいけど、蘭の熱い指先から伝わる小刻みな震えが、私の心臓と共鳴してそれどころじゃなくなってくる。
カチッ、と金属が噛み合う音がした。
耳たぶがひんやりとして、透明のビー玉が重く揺れる。
「ん……できた。似合ってる」
顔を離した蘭はそっぽを向いて、まるで耳を隠すかのように髪を触った。
その仕草があまりにも愛おしくて、胸の奥の金魚がまた激しく跳ねた。
「次は夏希がつけてよ!」
そう言ってずいっと覗き込む。
負けじと、蘭に一歩近づく。さっきよりもずっと蘭を感じる距離で、心臓の音がうるさい。
蘭が少しだけ首を傾けた。
綺麗にまとめられていたお団子は、少し崩れていた。提灯で照らされた白い首筋は、滑らかに輝いている。
(あー……やばい)
さっきは揺れる簪に視線を逃がせた。
でも、今は蘭の耳にピアスを通さないといけない。
嫌でも、真っ赤な耳とその下の綺麗な首筋が、視界に入ってくる。
震える指先で、蘭の耳たぶにそっと触れる。
夏の暑さを思い出させるほど、熱く赤かった。
カチッ、と涼しげな音が小さく響く。
揺れるビー玉に、提灯の光がチカチカ反射する。
「……に、似合ってるよ」
本当のこと。でもなんとなく恥ずかしくて目を逸らした。
「へへっ、ありがとう」
目を細めて頬を緩ませる。手はピアスを大事そうに包み込んでいた。
その様子に心臓が爆発しそうで、思わずかがみ込んだ。
(……えっ?え?やばいやばい)
やっぱり蘭には勝てないかもしれない。
揺れるピアスは、ぬるくて、
少しだけラムネの匂いがした。
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「……夏希?急にしゃがんでどうしたの?」
屈み込んだ私を、蘭が心配そうに覗き込む。
その耳元で揺れるビー玉が、私の心臓をさらに速くする。
「ん……大丈夫。ちょっと暑いだけ」
立ち上がって、逃げるように人混みの中へ歩き出した。
打ち上げ花火の時間が近づいてるのか、さっきより人が多くなって、肩がぶつかりそう。
「っ……夏希……」
後ろから蘭の声が聞こえた。
振り返ろうとした瞬間、浴衣の裾にぐいっと重みが加わった。
「蘭?」
振り返ると、蘭が私の浴衣の裾をぎゅっ、と引っ張っていた。
シワができそうなほど、ぎゅっと拳を丸めて。
「は、はぐれちゃう」
蘭は目をぎゅっと閉じて、独り言みたいに小さく呟いた。人混みの喧騒にかき消されそうな声が、私の耳にはよく聞こえた。
お団子から覗く耳は、相変わらず赤いまま。
「……」
カランコロン、と下駄の音がゆっくりになった。
蘭が掴んでいる裾から、少しだけ熱が伝わる。
私は、掴まれている裾から手を出して、蘭の浴衣の裾をぎゅっと握った。
金魚が水玉に飛び込むように。
蘭のピアスがカランと鳴り、笑い声が少し聞こえたような気がする。
「笑わないでよ」
「いや、夏希は優しいんだなって」
ラムネの匂いはもうなくて、りんご飴の香りが微かにした。
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裾を掴み合ったまま、私たちは人混みの中を泳いでいく。
裾のわずかな重みと、布のザラついた夏らしい手触りが何よりの安心だった。私たちを間接的に繋いでるみたいで、この距離感が愛おしい。
なのに。
パチッ、と飴を齧ったときみたいに、何かが弾ける音がした。
永遠に続くと思っていた心地よい重みが、指先からふっと消える。金魚の水槽から、一瞬で水がなくなったみたいに。
振り返ると、鼻緒が切れた下駄を前に、立ち尽くす蘭の姿があった。
「あ……どうしよう」
いつもの元気さはなく、困りきった顔でしゃがみ込んでいた。蘭がいつもより小さく見えて、気づいたら私は背を向けてしゃがんでいた。
「ん、乗りなよ」
「いいの……?」
「歩けないじゃん、ほら」
くいくい、っと手招きすると、耳の近くでピアスの音が響いた。ふんわりと石鹸の香りがする。
蘭が乗ったことを確認して、立ち上がると布の擦れる音とピアスのカラン、という音が聞こえた。
(え……軽っ)
口に出そうとしたのを、喉の手前で抑える。何故か言ってはいけないような気がして。
背中に温かい感触。
蘭の白くて冷たい足抱え込むと、胸の金魚が高く跳ねた。顔が見えなくてよかった、なんて。
耳元で聞こえる吐息がくすぐったい。
蘭が喋るたびに、小さい熱さが耳をかすめる。冷たいピアスがぬるくなった気がした。
「……夏希、あったかいね」
そう言って私の浴衣をぎゅっと握った。
蘭の心音が、浴衣の布越しにトクトクと伝わってくる。私の心臓の音も、蘭に聞こえてるんじゃないか、と思ってしまう。
「……重くない?」
「大丈夫。強いて言えば暑い」
嘘。
夏の暑さは嫌いなのに、この暑さは愛おしいとすら思える。
「っふふ。そっかー!」
蘭はそう言って後ろに重心を乗せたから、こけそうになって、ギリギリで受け止めた。
「ちょ、危ないじゃん!」
「ははっごめんて」
蘭がそう言って、私の肩に頭をこてんと乗せた。崩れかけのお団子の髪が首筋に当たって、くすぐったい。
「もーなんで鼻緒切れたんだよ!」
「蘭って運悪いよねー」
鼻緒に感謝したなんて、絶対言わないけど。
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「ねぇ夏希」
「ん?」
「花火見るけど、人いっぱいだよね」
「まあそうだね」
「いい場所知ってるんだ」
最後。
夏希。お願い。うちのわがままに付き合ってね。
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「涼しい……」
「全然人いないねー」
私たちは海に来た。
蘭が言った通り、人もいないし花火がよく見えるいい場所。近くには静かに浜木綿が咲いていた。甘い匂いが鼻をくすぐる。
「ねぇ夏希!海入ろ!」
蘭はそう言って浴衣の裾を上げた。
輪郭が花火の光で縁取られている。ピアスが反射してチカチカ揺れている。
夏らしいし、何故か蘭らしくもあった。
「……冷たっ」
「でもちょうどいいじゃん」
砂浜に下駄を脱ぎ捨て、夜の海に足を浸した。
遠くで打ち上がる花火が、海面をゆらゆらと七色に染めていた。
打ち寄せられる波が、金魚の裾を濡らして引いていく。まるで呼吸をしているみたいに。
少し冷たい風が、ピアスを揺らす。
「あのさ、夏希」
「なに?」
色とりどりの花火が、蘭の輪郭をなぞる。
光が一つ、また一つと咲いては消えていく。息を吐く暇もないみたいに。
「うちがもし『一緒に死んで』って言ったらどうする?」
さっきまで聞こえていた音が、一瞬でノイズとなって消えていく。
「それはお願い?」
「んーそうかも」
花火の光が強すぎて、蘭の顔がよく見えない。でも多分、笑っていたと思う。
「……じゃあ、全部終わったらさ」
「……?」
冷たい風が濡れた浴衣と、蘭のくずれたお団子を揺らす。
ふんわりと浜木綿の甘い香りと、海の優しい匂いがした。
「蘭が迎えに来てね」
気づいたら蘭に小指を差し出していた。
「……分かった」
きゅっ、と小指を絡ませて、指切りげんまん。
少し子供っぽいけど、私たちにはちょうどよかった。
浴衣はもうすっかりびしょぬれで、金魚が溺れているみたいだった。
「私のお願い聞いてくれる?」
「なぁに、夏希」
「……来年も、一緒に夏祭り行こうね」
「……じゃあうちから離れないでね」
「うん約束」
蘭に近寄っておでこをこつんとさせる。
今度は偶然じゃない。春とは違ったおでこのキスに、思わず笑ってしまう。
蘭が指を絡ませてきた。少し熱い手のひらと、星みたいな瞳が私を離さない。
会話こそなかったけど、蘭が愛おしくて仕方がなかった。
夏の夜風に混じって、微かにラムネの甘い香りがした。
この時間をビー玉の中に閉じこめれたら、どれだけ幸せだろう。
このまま、この時間が永遠に続けばいいのに。
少なくとも、幸せな時間が続くと思ってた。
永遠なんて、神様が許してくれないのにね。
………………✿❀✿………………
パラっと乾いた音が静寂に波紋を広げた。
カーテンが靡く奥では、桜が散りかけている。
あの約束を破って、どれだけの時間が経っただろう。忘れかけていた記憶が、吹き返されていく感覚。
白い埃を指先でそっとなぞる。蘭が密かに残してくれたアルバム。微かに、ラムネの香りがする。
パラ……。
最後の一枚をめくる指がふと止まる。
この写真だけ、蘭も私もいない。
約束した、あの海が静かに写っている。
震える手でその一枚を台紙から剥がす。
ベリッ、という音だけが妙に聞こえた。
裏側にはメッセージと、花。
『迎えに行けなくてごめんね。
ずっとずっと、大好きだよ』
となりに、勿忘草と四葉のクローバー。
インクがじんわり無慈悲に滲んでいく。
こっちこそ、約束守れなくてごめんね。
『あなたのことが好きでした』
………………✿❀✿………………
おまけ(読まなくてもいい)
書きたかったけど書いたら、くどくなるからやめたやつとかもある。
【夏希】
女子大学生。この物語は夏希の記憶だとか、なんとか。
蘭のことを一番思っていた。どんなことでも蘭が中心にいたし、蘭も同じだと思っている。
蘭との幼少期は覚えていない。
幼少期の夏希にとって蘭は、たくさんいる友達の中の一人だったから、記憶は自然消滅した。
なお幼少期の記憶は思い出すことはない。
蘭の持病のことは知らない。迎えに行くって言ったじゃん。勝手に置いていきやがって。
「夏の希望で夏希」は蘭から言われたのを無意識に言っていた。
四葉のクローバーの栞と、ビー玉のピアスが宝物。
「来世は、私から迎えに行くね」
【蘭】
女子大学生。すでに亡くなっている。
持病持ちだが態度に出さない。特に夏希の前では。
よく夏希のことをいじっていたが、その度に自分の心臓がもたない。夏希大好きっ子。
本当に夏希のことが大好き。夏希が初めて自分自身を見てくれた。
幼少期の記憶は鮮明に覚えている。行けなくてごめんね、夏希。
首をこてんとする癖がある。ココアが好きになった。また夏希と飲みたかった。
夏希の浴衣姿可愛い、と心の中で密かに発狂している。
勿忘草と、ビー玉のピアスが宝物。
「約束だよ」
主のひとりごと
本当に読んでくれてありがとう!!!!!
一回データ消えちゃって矛盾点とかめっちゃある😭ごめんね!!!!!誤字脱字はこっそり教えてね
書きたいネタが溜まってるから、ちまちま投稿します!!!!!あ、腐と百合です(は?)
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瀬名 紫陽花
コメント
1件
なんなんまじで天才なんですか⁉️⁉️⁉️