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丸い部屋の灯りが、すっと沈んだ。 中心の柱だけが、五本の“光の糸”をゆっくり脈打たせている。
――その柱の根元。
装置の画面はまだ消えず、【MAIN KEY REQUIRED】の文字が薄く残っていた。
リオは一歩、前に出かけて――止まる。
触れたいのに、触れたら引っ張られる。
その間に、背中の奥で“影”が動いた。
カッ……。
硬い靴音。
霧でも亡霊でもない、“人間の気配”。
アデルが剣先をわずかに上げた。
「……出てこい」
返事はない。
代わりに、黒い布が擦れる音が三つ――重なる。
暗がりから、黒ローブの影が現れた。三人。
全身を覆うローブ。顔は仮面。目の部分だけが、冷たく光っている。
リオの背中に、嫌な汗が浮いた。
「……カシウスの部下か」
三人は答えない。
ただ、こちらを観察するように、首だけがわずかに動いた。
――その瞬間。
柱の光が、ビクンと跳ねた。
まるで“怖がった”ように。
《……やめて……》
《……さわらないで……》
まただ。観測亡霊が、声だけを落としてくる。
部屋の空気がさらに冷える。
アデルの右耳のイヤーカフが淡く光った。
ノノの声が飛び込む。
『二人とも! そこ、黒い反応が三つ! 来てる!
ね、ねえ聞いて、黒霧系は“人の記録”を引っかけるから、
気持ちが揺れたら――ほんとに持ってかれる!』
「わかっている」
アデルは短く言い、前に出た。
「リオ、柱から離れろ。ここは戦う場所じゃない」
リオは柱を一瞥し、唇を噛む。
「……わかってる。けど、ユナが――」
言い終える前に、ローブの一人が手を上げた。
――黒い霧が、指先から“糸”のように伸びる。
シュル……。
糸は床を這い、音もなくリオの足首へ絡みつこうとした。
「ッ!」
リオは反射で腕輪に触れ、青白い光を走らせた。
バチッ、と弾ける音。黒い糸が千切れて床に落ちる。
だがすぐ、別のローブが前へ。
今度は“鎖”。
黒い鎖が空中に浮かび、アデルの剣先へ絡みつく。
ギギギ……。
金属と魔力が噛み合って、火花のような黒い粒が散った。
アデルが低く言う。
「……拘束魔術」
彼女は左腕の腕輪をわずかにひねり、呼吸を整える。
銀の三つ編みが背中で揺れた。
「〈拘束式・鎖環〉――展開」
今度はアデルの光輪が走った。
白い輪が鎖を包み、黒い鎖を“縛り返す”。
ギン、と音がして、黒鎖が床へ落ちた。
ローブの一人が、初めて声を出した。
低く、機械みたいな声。
「……主鍵は、まだ来ない」
アデルの目が鋭くなる。
「お前たちは、“主鍵を呼ばせない”ために来たな」
ローブは答えず、かわりに手のひらをかざした。
黒い霧が渦を巻き、床の影が一斉に伸びる。
《……りょう……》
《……しょう……》
《……れおん……》
亡霊の声が、名前をばらまく。
“似た響き”が頭の中をかき回す。
リオが歯を食いしばる。
「……うるさい」
頭が揺れる。視界が少しだけ歪む。
アデルが叫んだ。
「リオ、目を逸らすな! 名前に反応するな!」
ローブの三人目が、床を蹴った。
――速い。
黒い刃。短い熱の線が走る。
リオは咄嗟に身をひねるが、脇腹がズキンと痛んだ。
「ッ……!」
動きが、一瞬だけ遅れる。
その隙に、黒刃がリオの腕輪を狙った。
カンッ!
アデルの剣が割り込んだ。
黒刃と剣がぶつかり、火花が散る。
アデルが低く言う。
「壊す気だ。……リオ、お前の腕輪を」
リオは息を整え、短く返す。
「やらせない」
彼は空中に、簡単な紋を描いた。
第三級の捕縛。まだ粗いが、形は作れる。
「〈捕縛・第三級〉……!」
光の縄が走り、黒刃のローブの足を絡め取る。
ローブの動きが鈍る。
アデルがすぐ重ねた。
「〈捕縛・上級〉――重ね掛け」
白い縄が何重にも巻きつき、黒ローブの身体を床へ押し込めた。
だが――押し込めた瞬間。
床の影がぶわっと膨らみ、縄の下から黒霧が噴き上がる。
「……っ、抜けた!?」
縄の隙間から、ローブの輪郭が溶けるようにすり抜けた。
霧のように形を変える術。
ノノの声が、イヤーカフから叫ぶように響いた。
『や、やっぱり! 霧化! あのタイプ、捕縛だけだと抜ける! “座標固定”しないと!』
「固定……」
アデルの視線が柱へ走る。
「この部屋自体が“心臓”だ。固定は強い。だが、柱に触れたくない」
リオが呻くように言った。
「じゃあ、どうするんだ」
アデルが決めたように言った。
「時間を稼ぐ。ノノ、座標データはどうした」
『今、セラに投げた! でもノイズが……!
届くのは“断片”! 文字化けするかも!』
その瞬間――
ローブの一人が、イヤーカフの光を見た。
「……通信」
黒い指が、空中をなぞる。
見えない刃が、アデルの耳を狙う。
アデルが首をひねり、ぎりぎりでかわす。
だが髪の先が、スッと切れた。銀の三つ編みの毛先が、ふわりと落ちる。
「ッ……!」
ローブは淡々と言った。
「……届けさせない」
リオが前へ出る。
「だったら――俺が叩き潰す」
脇腹が痛む。足が少し重い。
それでも、止まれない。
リオの腕輪が、青白く脈打った。
“入口”を押し返す力――ノノが言っていた補正とは別の、欠片そのものの共鳴。
リオは腕輪に触れ、低く言った。
「……弾け」
青白い光が走る。
黒霧が一瞬だけ散り、部屋の空気が“まっすぐ”になる。
その隙を、アデルが逃さない。
「〈封縛・座標杭〉」
床に白い光の杭が三本、打ち込まれた。
杭は三角形を作り、その内側の影の動きが鈍る。
ローブの一人が、初めて焦ったように身を引く。
「……面倒だな」
◆ ◆ ◆
【現実世界・ハレル】
自宅の居間。
夜の静けさの中で、ハレルのスマホだけが不規則に震えていた。
ピッ……ジジ……。
画面が歪む。
そして、ノイズの向こうから――セラの声が落ちてきた。
《……ハレル……聞こえる……?》
「セラ!」
ハレルは立ち上がり、画面に顔を近づける。
「リオは!? アデルは!?」
《……座標……送る……断片……》
次の瞬間、画面に文字が流れた。
【ミ……ージュ……ホ…】
【海……封……島】
【旧……クロ……地……】
【93……-12……47】
途切れ途切れ。
でも、確かに“場所のかけら”だ。
木崎が身を乗り出す。
「今の……座標か?」
「断片だけど……何かの“地点”だ」
ハレルは素早くメモを取る。
数字、欠けた単語、そして“封印島”。
サキが不安そうに言う。
「お兄ちゃん……それ、行くの……?」
ハレルは答える前に、胸元のネックレスを握った。
冷たいはずの金属が、少しだけ熱い。
(主鍵が必要――ってことか)
《……主鍵……必要……鍵……》
セラの声がさらに薄くなる。
《……来……る……前……に……》
「何だ!? セラ、何が――」
ノイズが増える。
画面に一瞬だけ、見覚えのある文字が浮かんだ。
【GATE SYNC】
そして、完全に沈黙した。
ハレルの背中に、冷たい汗が流れる。
木崎が低く言った。
「……時間がない、って顔だな」
ハレルは頷く。
「リオたちが“呼ばせない”相手と戦ってる。
……俺が行かないと、開けられない場所がある」
サキが唇を噛む。
「……また、置いていくの?」
「置いていかない」
ハレルは即答した。
「サキは守る。だから――木崎さん、協力して」
木崎は短く笑った。
「言われなくても。……ただし、無茶はするなよ」
◆ ◆ ◆
【異世界・ミラージュ・ホロウ】
座標杭の内側で、黒ローブたちの動きが鈍った。
だが、止まらない。
黒霧が杭を舐めるように回り、杭の光がミシ……と軋む。
ローブの一人が、柱を見た。
「……心臓。主鍵。……来る」
アデルが吐き捨てるように言う。
「来させる。――そのために、私たちはここにいる」
リオは脇腹を押さえ、短く息を吐く。
「……ハレルに届けば、勝てる」
柱の中の光が、かすかに揺れた。
《……涼……》
ユナの声が、もう一度だけ落ちる。
その声に、ローブの一人が反応した。
まるで“獲物の位置”を確かめるように。
そして、静かに言った。
「……なら、来る前に――潰す」
黒い霧が、床を這って広がった。
座標杭の光が、じわりと削られていく。
アデルが剣を構える。
「来るぞ、リオ」
リオは腕輪に触れ、青白い光を走らせた。
「……あぁ」
ミラージュ・ホロウの心臓室で、
黒霧と白い光が――正面からぶつかり合おうとしていた。