テラーノベル
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ミラージュ・ホロウ心臓室。
白い座標杭の内側で、黒霧が“爪”みたいに光を削り始めた。
音はない。けれど、光が軋む。
床の影が、じわりと濃くなる。
「……杭が削れてる」
リオが短く息を吐いた。脇腹が痛む。
呼吸のたびに、傷が主張してくる。
アデルは柱から視線を外し、剣先をほんの少し下げた。
「削らせるな。――リオ、柱には近づくな。ここは“場所”を守る」
黒ローブ三人は、無駄な動きをしない。
一人は霧を伸ばして杭の根元へ。
一人は影の鎖を床に走らせ、足場を奪いにくる。
そして最後の一人は、柱を“見ている”。
壊すべき中心だと理解している目。
「……っ」
床を這う黒い鎖が、リオの足首へ絡む。
リオは反射で、腕輪に指を当てた。
青白い光が、薄い膜みたいに走る。
バチッ。
鎖が弾かれ、床に落ちた瞬間――黒霧が“二本目”を伸ばしてくる。
逃がさない、という動きだ。
「……しつこいな」
リオは舌打ちを飲み込み、空中に紋を描いた。
雑ではない。痛みで指先が鈍っても、線だけは崩さない。
「〈捕縛・第三級〉」
光の縄が走り、黒霧を“形”ごと絡め取る。
霧が抵抗するように膨らむが、縄は一瞬、押し返した。
その“一瞬”で十分だった。
アデルが、床へ剣先を落とす。
「〈封縛・座標杭〉――再配置」
白い杭が、一本、二本、三本。
さっきより“柱寄り”ではなく、黒霧が通る道を塞ぐように打ち込まれる。
三角形が、もう一段外側に拡がった。
黒ローブが、わずかに首を傾ける。
理解したのだ。アデルが守り方を変えたことを。
そのとき、右耳のイヤーカフが淡く点滅した。
『アデル! 杭、削れてる削れてる! 残量が数字で落ちてる!』
ノノの声は早口で、妙に具体的だった。
『いい? 黒霧は“記録をほどく”タイプ!
剣で切っても意味が薄い! 部屋の形を保って!
心臓室の“座標”そのものを!』
「わかっている」
アデルは短く返し、声を落とす。
「……ノノ、現実側に投げた断片は?」
『いまセラ経由! ノイズが酷いけど投げた!
届くかどうかは……っ、相手の端末次第!』
『――あ、待って待って! 黒ローブの一人、通信波形に反応してる!
それ、たぶん“妨害役”!』
アデルが視線だけでローブを捉えた。
確かに、柱ではなくイヤーカフを見ている。
「……届けさせない、か」
見えない刃が走った。空気が薄く裂ける気配。
アデルは首を逸らし、剣で受けた。
キン、と乾いた音。
刃は実体がないのに、金属に“当たる”。嫌な手触りが剣に残る。
「今の、何だ……」
リオが目を細める。
「干渉刃だ。切るのは肉体じゃない。……“繋がり”を切る」
アデルは言い切り、剣を戻す。
「リオ、柱の表示を見ろ。動きがあるはずだ」
柱の根元の画面。
【MAIN KEY REQUIRED】の文字が、薄く脈を打った。
まるで、遠くから近づく足音に反応しているように。
黒ローブの三人が、同時に一歩だけ前へ出た。
焦りはない。だが“時間”を計っている動きだ。
「……主鍵が来る前に、ここを壊す」
低い声が、仮面の奥から落ちた。
リオの拳が、無意識に握られる。
「壊させない。――ユナを、取り戻す」
脇腹が痛む。けれど、痛みより先に、胸の奥が熱くなる。
この場にいる意味だけが、はっきりしていく。
アデルが、短く命じた。
「守り切る。主鍵が来るまで、この部屋を“心臓室”のままにしておけ」
黒霧が、壁みたいに盛り上がった。
白い杭が、ギシ、と鳴る。
嵐の前ではなく――嵐そのものが、今、立ち上がっていた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・ハレル宅】
居間のテーブルに、メモが散らばっていた。
欠けた単語と数字。途切れた島の名前。断片ばかりなのに、妙に“同じ方向”を向いている。
木崎が、古い地図と印刷した企業資料を重ねた。
「“旧クロ”って断片、たぶんクロスゲート旧本社。
で、“海”“封印島”……現実側は海沿いの施設だ」
指が、紙の端をトントンと叩く。
「……この辺。赤錆が出る工業地帯。
埠頭の倉庫群。昔、関連会社が借りてた区画がある」
ハレルはネックレスに触れた。
冷たい金属のはずなのに、今日はほんのり温かい。
胸の鼓動と同期しているみたいに。
「つまり……入口が、海沿いにある」
「入口“だけ”はな。正面は警備がいる可能性が高い。だから裏。搬入口」
木崎が目を細めた。
「たぶん、地下へ降りる導線が残ってる。資料に“搬入用シャッター”の記録がある」
サキが、二人の間のメモを見下ろした。
怖いはずなのに、声は妙に落ち着かせようとしている。自分を。
「……私、役、決めていい?」
「役?」
ハレルが聞き返すと、サキは小さくうなずいた。
「私、後ろ見る。音とか人とか。
……私がついてくと、お兄ちゃんが“守ること”に集中しすぎるでしょ。
だから、守られるだけじゃなくて、ちゃんと使って」
言い方は不器用なのに、目だけは逃げない。
木崎が鼻で笑った。
「言うじゃないか。――なら守ってもらう側は条件がある」
「なに」
「指示に逆らわない。勝手に先へ行かない。
怖かったら“黙って”手を掴め。無理に強がるな」
サキは、短く息を吸ってうなずいた。
「……うん。わかった」
ハレルは上着を掴み、立ち上がった。
「行こう。セラの声……あれ、冗談じゃなかった。
リオたちは今、向こうで耐えてる」
木崎が鍵束を掴み、玄関へ向かう。
「夜の埠頭は人目が少ない。逆に、見つかったら終わりだ。……急ぐぞ」
玄関のドアを開けた瞬間、潮の匂いが流れ込んだ。
街はいつも通りのはずなのに、どこか“薄い”。音が遠いのに、近い。
ハレルはネックレスを握り、息を吐く。
(待ってろ、リオ。――必ず、間に合わせる)
三人は夜へ踏み出した。
その頃。
ミラージュ・ホロウ心臓室では、白い杭が軋み、黒霧が壁となって押し寄せていた。
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