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にゃんにゃんにゃん♪
ふと気が付くと、僕はノラ時代にノラ猫集会で習った歌を、無意識に口ずさんでいる。
懐かしいなぁ。あの頃のみんな、どうしているだろう。お嬢さんは、元気でいるだろうか、
と思いかけて僕はブルブルっと頭を横に振った。
―お嬢さんの事は、もう忘れよう。
僕はお嬢さんの目の前で車に轢かれてしまったのだから、お嬢さんは、もう僕がこの世にいないと思っているはず。
それにお嬢さんはボスの彼女なんだから、どう転んだところで最初から勝負も何もないよな。
僕はお嬢さんについての記憶を、頭の中から完全にデリートしようとした。
ところで、ボスは今も変わらず、ボスの地位を守っているのだろうか。
これもまたノラ猫集会の(人間社会学)で習ったことだが、人間界では選挙というのがあって、
ボスを選んでいるとのことだが、僕たち猫界は、もっとシンプルな仕組みで動いている。
1番強いオスが無投票でボスになるんだ。
だから、僕たちには選挙運動やら票集めやら、うるさい選挙カーなんかないんだ。
人間はあれこれ決まりを作っては、物事を複雑にしているように思う。
それと人間関係はいろいろと複雑らしいが、猫関係はシンプルの一言に尽きる。
好きか嫌いかで動いているからね。
先週は年の暮れとやらで、れれ夫婦はいつもと様子が違っていた。
いきなりきれい好きになったのか、
朝から掃除機の轟音を家中あちこちに響かせ、日頃は気にも留めない換気扇の掃除まで始めていた。
どうやら姑という人間が泊まりに来るらしく、八畳間は特に念入りに磨き上げられた。
窓の外が夕闇に覆われる頃、大きな旅行鞄に二、三日分の着替えと歯ブラシを詰め込んだ姑が、その少 し曲がった背中から
典型的な”猫どうでも良いオーラ”を四方に放ちながらやってきた。
姑にとって、僕たち猫の存在は庭の隅の小石同様どうでも良くて、危険がない分喜ばしいことだが、少し物足りない気がす
る。
僕たちが八畳間の隅にいても、それはひどく毛ば立った座布団がふたつ置いてある程度にしか見えな いようだ。
その大晦日だのお正月だの、何やらおめでたい二,三日が過ぎて、れれ夫婦も元の生活に戻ってきたと思う。
人間は、毎日に名前をつけて、忙しがったりおめでたがったりしているけれど、僕たち猫にとっては、毎日はいつもの毎日で
あって、日によって振り回されることはない。
実は、大晦日とお正月のせいで(猫じゃらし)とやらのピラピラ棒の遊びタイムがなくなったため、
ちいは随分ガッカリしていたんだ。
今日はいつものように、リビングからキャッキャッというお猿のような声が楽し気に聞こえている。
―ちいが、れれと猫じゃらしで遊んでいる声だ。良かった。
僕は自分が今、何気なく感じたことに驚いていた。僕はなぜだか嬉しくなって、もう一度今度は口に出して言ってみた。
「ちいが、れれと楽しそうに遊んでいる声を聞くと、ほっとする」
しばらくすると、急に静かになった。
多分ちいが猫じゃらしに飽きたんだろう。
ちいは猫じゃらしが大好きで、大喜びではしゃぐ割には、結構すぐに飽きてしまい、や~めたって、いきなりパタッと寝ころ
んでしまうんだ。
そんなに一方的にやめてしまったら、折角一緒に遊んでいるれれに失礼じゃないか、とも思うのだが、そんなことお構いなし
だ。
僕はちい達のいるリビングに行こうとした。その時自分でも驚くような考えが、僕の頭をよぎった。 僕は、その考えがもう
一度頭の中を通過しようとしたところを、思い切ってその考えを引き留めた。
その考えは、さっきより大きくなっている。
僕は、最初その考えに、とんでもないよ!と答えた。
だけど、そいつは、頭の中から出て行こうとしない。
そこでもう一度僕は、その考えと向き合った。
今度はきちんと向き合った。その瞬間、僕は急に嬉しくなって、胸がドキドキし始めた。
―照れくさい。恥ずかしい。
そして、ちょっと怖い。だけど、決めた。
僕は、そのままゆっくりリビングに向かって歩いた。
リビングのドアは開いていて、部屋の中には遊び疲れてスヤスヤ眠るちいが見える。
横には、れれがこちらに背を向けて座っている。
何やら本かなにか読んでいるらしく、僕のことには気付いていない。
僕は立ち止まり、体を曲げて二,三度脇のあたりをツツっと舐めた。
それから、れれの方に少しだけ近づいた。
れれが、僕の気配を感じてチラッとこちらに目を向けた。僕はその瞬間足を止めた。
が、れれはあまり気に止めた様子もなく、また本の世界に帰って行った。
僕は、いったんれれの横を通り過ぎ、リビングの端まで行ってから、Uターンして帰ってきた。
―今度こそ。
僕は、ゆっくりと歩いて、れれの横に体を寄せた。
心臓のドキドキが、体中から聞こえてくる。
―さあ今だ。
僕は片方の前足を、ゆっくりとれれの膝の上に置いた。
その後、いそいで後ろ足も乗っけて、そのままストンとしゃがみ込んだ。
僕は今、れれの膝の上にいる。
心臓の音が、一段と激しく鳴り響き、緊張で体がカッと熱くなっている。
ふと僕の背に、優しい手の温もりを感じた。親しみのこもった、どこか懐かしいような手の温もり。
僕は目を閉じて、背中をゆっくりと撫でるれれの手の動きを、うっとりと感じていた。
緊張が次第に解けていき、心が幸せに満たされてきた。
「まるちゃん、この家で仲良く暮らそうね」
ーれれの声だ。
柔らかな風を感じた。全身に温かいものが広がっていく。
ーれれの言葉が聞こえる。
僕は、どんなにこの瞬間を待っていたことだろう。
今までは、ちいが当たり前のようにれれの言葉を聞き、僕にそれを伝えてくれていた。
それはそれで良かった。
だけどその度、心の隅っこにふと、羨ましさと寂しさみたいなものを感じていた。
僕は、れれの膝のぬくもりを全身で抱きしめた。
その僕の体を、れれの体温が優しく包み返してくれた。
ゆっくりと目を開けると、そこにはにっこり笑ったちいの顔があった。
ちいは寝ている振りをして、僕のこと見ていたようだ。
ちいの口が良かったねとつぶやいた。
僕は、れれの膝の上に、ゆっくりと体を伸ばした。