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「時は遡ること平安」
今から千年も昔のことだ。
大河原はこれから語る残酷な神話の前置きとして、低く重々しい声で語り始めた。
帝都ではない、かつて京の都と呼ばれた場所には、多くのあやかしが跋扈していた。
人に害が及ばない愛嬌のある悪戯程度の存在だったが、人の負の情念を吸ったあやかしは肥大化し、やがて都を脅かす凶悪な化身となった。
「陰陽の術を操る森部、そして武門を誇る軍事貴族の神楽坂。旧知の友であった二人は、帝の勅命を受け、影となって都の怪異を狩り続けていた」
「千年前からあやかしを……?」
千歳は鷹臣と森部が、その時代から繋がっていたことに息を呑む。
「やがて、あやかしの王とも呼ぶべき『古のあやかし』と、子どもを攫う「鬼」が現れ、京の都は混沌の時代を迎えた」
神楽坂と森部は、まず鬼の退治に乗り出した。
だが、死の淵に追い詰められた鬼は、嘲笑うように神楽坂へ囁いたそうだ。
『俺の血肉を喰らい、この呪いを身体に取り込めば、あやかしなど瞬く間に塵となろう』
森部が止めるのも聞かず、神楽坂は鬼を喰らった。
こうしてあやかしに対抗する力を手に入れた神楽坂は、京の都から富士の氷穴に逃げ込んだ古のあやかしを追い、この地へ。
そして当時、富士の麓には手に痣を持つ『水鏡の娘』と呼ばれる巫女がいた。
「巫女は氷穴に逃げ込んだ古のあやかしと、鬼の血に狂い始めた神楽坂を『水鏡』の術で封じ込めた」
「……封じ込めた?」
「遅れて到着した森部は、巫女が残した紋章を必死に書き写し、友を救うため、そして鬼を制御するために代々その呪法を研究し続けている」
だが、鬼の血は強く、神楽坂は必ず鬼に堕ちていく。
鬼に堕ちる直前、神楽坂は友である森部に「自分を殺してくれ」と願うのだと聞かされた千歳は、先ほどの鷹臣と森部の言葉を急に思い出した。
『森部が闘えるのは鬼化の瞬間だけ』
『最期を見届ける義務があります』
あれは、副隊長として報告書を書くために、あやかしの最期を見届けるという意味ではなく、友を人のまま死なせてやるという、千年前から続く血塗られた約束だったのだ。
「神楽坂の鬼の血は、戦えば戦うほど熱を帯び、最後にはその身を焼き尽くす」
初代の神楽坂は古のあやかしと眠っているのかもしれないと、大河原は他人事のように冗談めかして笑った。
「古のあやかしは神代の化け物。あやつがそれを屠るには鬼になるしかない」
『すぐ戻る』と言ったあの優しい笑顔の裏に、そんな決意が隠されていたなんて。
千歳は、凍える指を胸元で強く組み、溢れそうになる涙を必死に堪えた。
「古のあやかしを封印できるのは、世界で唯一、水鏡の巫女だけ」
大河原の言葉がすべて真実かは分からない。
それを確かめる手段もない。
そして大河原は口にしなかった。
水鏡の巫女がどうなったのか。
千歳の予感が正しければ、きっと、無事では済まない。
それでも、あの人を救えるのなら――。
「……私は何をすればいいですか? そのために18年間、生かされてきたのでしょう?」
千歳の決然とした言葉に、大河原は満足げに口の端を吊り上げた。
◇
カツンカツンと氷の上を歩く軍靴の音が、狭い氷穴に空虚に響き渡った。
奥へ進むほど、空気は刺すように冷え、闇は深さを増していく。
「誕生日も祝ってやっていないんだ」
ふいに溢れた鷹臣の言葉に、横を歩いていた森部が足を止めた。
「鳳公爵夫人から嫁いできた日が誕生日だと聞いたのに、結局祝ってやっていない」
鷹臣は前を見据えたまま、自嘲気味に口角を上げる。
「では、戻ったら、銀座のパーラーでも貸し切って差し上げればよろしいのでは?」
森部の淡々とした答えに、鷹臣はふっと笑った。
「森部。俺が人でいるうちに、お前の手で終わらせてくれ」
平安の世、初代・神楽坂から初代・森部が託された願いと同じ言葉。
歴代の鬼と化した神楽坂当主たちを森部が討つことができたのは、神楽坂にまだ人としての理性があったからだ。
彼らは鬼化しながらも最後まで理性を保ち続け、抵抗せずに斬られるのだと父から聞いた。
並大抵の精神力ではないのだと。
最後の瞬間、人として死ねることを誇りに思いながら彼らは消えるのだそうだ。
「あいつに、鬼の姿を見せたくない」
「それは傲慢な願いですね」
神楽坂の当主は、最期の瞬間に人であることを誇る。
だが、残された森部の一族は、友を斬った痛みを抱えて生き続けなければならない。
「古のあやかしが復活すれば、帝都は滅びるのだろう?」
「えぇ。氷穴から這い上がる振動で帝都は壊滅し、国全体が古のあやかしの冷気で氷河期に入ると、参謀本部から研究結果が出ていますね」
「古のあやかしさえ消えれば、あいつの住処は守れるな」
わずかに庭に咲いた冬の花で喜んでいた千歳に、満開の花を見せてやりたいと鷹臣は呟く。
「相打ちが一番森部の負担が少ないが」
負けることだけは許されないと、鷹臣は固く決意をした。
「……あいつの未来だけが唯一の未練だな」
「貴方のいない世界で笑うとお思いですか?」
森部の問いに鷹臣は答えないまま、壁も床も分厚い氷に覆われた道を進む。
カツンカツンと軍靴の音が反響する氷穴は最深部に近づくにつれ、肺まで凍りそうな寒さになった。
目の前に現れた扉の向こうにおそらく古のあやかしがいるのだろう。
見慣れない護符が貼り付けられた扉は千年の時を感じさせない、ここだけ世界から取り残されたような異質な空間に思えた。
「……森部の護符か?」
「森部というより、陰陽師の封印護符だと思われます」
もともと森部はただの陰陽師ですからと何でもないように言うが、千年も続く陰陽師の一族はもう森部しかいないだろう。
地鳴りのような怪異の咆哮が響き渡り、鷹臣と森部は顔を見合わせる。
「どうやら、また今度という選択肢はないようだ」
後は頼んだと、鷹臣は手袋を森部に手渡し、護符ひとつを躊躇わずに破る。
「……あぁ、もう。本当に、あなたは……」
森部は震える手で手袋を受け取ると、覚悟を決め、真ん中の護符を破り捨てた。
「ご武運を。神楽坂大佐」
副隊長として、そして千年を共にした一族の友として、ありったけの祈りを込めて名を呼ぶ。
森部は背筋を正して、かつてないほど美しく完璧な軍隊礼を捧げた。
鷹臣は振り返ることなく、片手をひらりと振って闇の中へと消えていく。
迷いの消えたその背中は、どんなあやかしよりも恐ろしく、そして誰よりも頼もしかった。
「……身勝手な方だ。昔から……」
独り残された森部は、自嘲気味に呟きながら敬礼の手を下ろす。
静寂に包まれた氷穴で繰り広げられている死闘の衝撃波だけが断続的に伝わり、森部の指先の震えは止まらなかった。
「……森部さん!」
聞こえるはずがない声に驚いた森部が振り返る。
「千歳様……なぜ? 大河原大将閣下、帝都のためとはいえ流石に」
「儂ではない。娘が自ら望んだのだよ」
そう仕向けたくせに、大河原は大げさに肩をすくめてみせる。
「さぁ、水鏡の娘よ。今こそ帝都のために封印を」
ここから施すがよいと、大河原は勝利を確信した醜い笑みを浮かべて指示を出す。
だが千歳は、大河原に向かって決意した顔を向けた。
「いいえ。私はこの奥へ行きます」
「……なんだと?」
「鷹臣様には私が必要なのです」
鬼の血を鎮められるのは自分だけだと千歳は宣言する。
「鬼もろとも古のあやかしを封じ込めろと命令しておるのだ」
「……私は軍に所属していないので、あなたの命令を聞く義務がありません」
「こ、国家反逆罪だぞ!」
大河原の怒声が氷穴に響き渡る。
だが、大河原の醜い恫喝にも千歳はまったく揺るがなかった。
「愛する人を救うことが罪だと言うのなら、私は喜んで大罪人になりましょう」
千歳は真っ直ぐに闇の奥を見据えると、迷いなく扉に手をかけた。
#溺愛
ゆゆ

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460
#成り上がり
aohana
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コメント
1件
わあ、第18話、読み終わりました……!もう胸がぎゅっとなりましたね😢 鷹臣さんが「誕生日も祝ってやっていない」って呟くところ、あの穏やかな口調の裏に、千歳さんへの想いと別れの覚悟が全部詰まっていて、切なくてたまらなかったです。そしてラストの「喜んで大罪人になりましょう」——千歳さんの決意の強さに鳥肌が立ちました。彼女が自ら選んで門をくぐる、その勇気が本当に美しい……。次が待ち遠しいです!