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「ま、待て。貴様が死んだら」
大河原の言葉に千歳は振り返る。
「鷹臣様が古のあやかしを倒します。倒したあと、鷹臣様の鬼の血を鎮めます」
なにか問題がありますか? と千歳は淡々と答えた。
大河原は顔を真っ赤にしながら、千歳の肩を掴もうとする。
森部は二人の間に立ちはだかり、無機質な視線を向けた。
「大河原大将閣下。これ以上は、陰陽師・森部の名において『禁じ』ます」
「……き、貴様! 飼い犬が飼い主に牙を剥くか!」
「私の主は……そして友は、あの中で死に物狂いで戦っている男だけです」
森部の気迫に押された大河原は思わず後退りする。
「千歳様、足元にお気をつけて」
氷で滑りやすいと注意喚起された千歳は、早速転びそうになりながら、門の中へ足を踏み入れた。
響き渡る轟音。
肺まで凍りそうな凄まじい冷気。
地響きというには揺れすぎる氷の地面。
その中心で、今まさに「人」としての最後を迎えようとしている最愛の人の名を、千歳は心の中で何度も叫び続けた。
「……絶対にお側に行きます」
待っていてくださいと千歳は聞こえるはずがない鷹臣に向かって呟いた。
何度か氷で滑りそうになった身体を森部に支えてもらいながら、千歳は考え込んだ。
とりあえず鷹臣の近くに来たい一心で大河原にここまで案内してもらったが、肝心の策はなにもない。
昔の水鏡の娘が行ったという封印についても知識はゼロだ。
「森部さん、水鏡の封印ってわかりますか?」
「……申し訳ありません。森部の先祖は封印が施された後しか知らず、当時何が起きたのかわからないのです」
森部は眼鏡のブリッジをクイッと上げながら答える。
「水鏡の封印はどこにあるのですか?」
「先ほどの扉の場所です」
封印場所に扉を作り、陰陽師の護符で封じ込めたと森部は教えてくれる。
「では水鏡の封印はもう消えているということですか?」
「えぇ。状況的にはそうかと」
実物を見ることができれば、なんとかなるかと思ったがそういうわけにもいかないみたいだ。
「水鏡ってなんでしょうか?」
自分の顔にある呪いだと言われ続けた痣は、もちろん鏡といわれるような要素はない。
白く光る模様を水と表現するにも不自然だ。
「……巫女が富士の映る湖に手の紋章をかざしながら祈りを捧げると、五穀豊穣に恵まれるという文献が残っています」
「湖に映るから、水鏡……?」
この顔の紋章を水に映せばいいということ……?
でもここはすべて凍っている。
氷にも映るのだろうか。
「ひゃっ」
今までで一番大きな揺れに千歳は思わず声を上げた。
激しい震動で頭上の氷柱が次々と剥がれ落ち、足元の氷が悲鳴を上げて砕けていく。
「千歳様、お怪我はありませんか?」
森部は千歳を支えながらも、視線は氷穴の奥に。
紅い閃光が爆ぜる瞬間、千歳にも鷹臣の居場所がわかった。
「森部さん、少しでいいんです。氷を溶かせられませんか?」
「ですが」
「……あなたと私の気持ちは同じだと信じています」
鷹臣様を救いたい。
そのためにできることがあるのなら、なんだって試したい。
「……あぁ、もう。本当に……あなたたちは揃いも揃って救いようがない」
お似合いですと吐き捨てた森部は、軍服の胸ポケットから発煙筒を取り出した。
「本来は救難信号や夜間の行軍で視界を確保するためのものですが……少し離れていてください」
森部は慣れた手つきで発煙筒の蓋を擦り合わせる。
シュッという激しい音と共に、氷穴の青白い闇を焼き切るような、強烈な紅蓮の火花が噴き上がった。
「長くは持ちません」
森部は燃え盛る火筒を、足元の氷へと押し当てる。
ジュウウッという凄まじい水蒸気が立ち込め、氷が涙を流すように溶け始めた。
千歳は膝をつき、溶け出したわずかな水たまりを覗き込む。
自分の頬の紋章が浸るように、千歳は必死で顔を水たまりに近づけた。
『湖に手の紋章をかざしながら祈りを捧げると……』
水たまりに顔の紋章を近づけながらなんて随分伝承と違うけれど、祈りを捧げてみるしかない。
「古のあやかしよ、鎮まれ」
千歳の祈りに呼応し、氷穴の床一面がまるで底なしの湖面へと変貌したかのように深く澄み渡っていく。
鷹臣と古のあやかしの足元に浮かび上がった巨大な水鏡の紋章は、神々しいまでの蒼い光を放ち、荒れ狂うあやかしの瘴気を吸い込み始めた。
「ガ、アァァア……ッ!?」
古のあやかしが、逃れられぬ光の鎖に縛られたように動きを止める。
鷹臣の身体が、弾丸のような速度で地を蹴った。
水鏡の上を滑るその足跡からは、飛沫の代わりに光の粒が舞い上がる。
絶叫を上げる古のあやかしの懐へ深く踏み込む姿は、人とは思えないほど鬼気迫り、千歳の命を削るような蒼い光と鷹臣の紅い闘気が、まるで刀身の先でひとつに溶け合うようだった。
横一文字に振り抜かれた刃は、巨大なあやかしの巨躯を切り裂いた。
断末魔の叫びさえ上げる間もなく、神代の化け物は黒い霧となって霧散していく。
氷の壁がキラキラとダイヤモンドダストのように降り注ぐ氷穴の中で、鷹臣は刀を地面に突き刺しながら膝をついた。
「鷹臣様!」
「来るな……!」
駆け寄ろうとする千歳を、鷹臣の鋭い声が拒絶する。
刀を支えに辛うじて膝をついている鷹臣の身体からは、禍々しい黒煙のような気が噴き出し続けていた。
鷹臣が呻き声を上げ、自身の右腕を左手で激しく掴む。
右手の甲から肘にかけて血管が浮き上がるように這い回る鬼の紋章は、もはや肉を突き破らんばかりに脈打っていた。
「森部!」
顔を上げた鷹臣の瞳は、白目の部分が血に染まったように赤く、瞳孔は縦に裂けている。
「早く俺を」
ガリッと音を立て、獣の鉤爪のように鋭く変じてしまった鷹臣の爪が氷を削る。
喉の奥から絞り出されるのは、獣の咆哮が混じった濁った声だった。
「鷹臣様!」
「千歳様、お戻りを」
千歳は森部の静止を聞かずに、鷹臣の元へ走った。
鷹臣の下にはまだ水鏡の紋章が光っている。
ならば、まだ私にできることがあるということだ。
「来るな、千歳……」
「いいえ。その命令は聞けません」
千歳は唸り声を上げる鷹臣の硬い右手を取ると、自分の頬に押し当てた。
「鎮まれ、鬼よ」
先ほどは、わざと古のあやかしだけ鎮まるように祈った。
鷹臣の力を削ぎたくなかったからだ。
「……あ、あああああ!」
人の理性と、鬼の衝動。
その境界線で、鷹臣が必死に己を繋ぎ止めていることがよくわかる。
「鷹臣様は鬼にはなりません。私がいる限り、鬼には堕としません!」
千歳は鷹臣のどす黒い手を頬に当てたまま、鷹臣を抱き寄せようと右腕を伸ばした。
ふと、千歳は下に映った鬼の姿に気が付いた。
水鏡の中に映っているのは、自分と鬼。
目の前は鬼に落ちそうになっているとはいえ、まだ鷹臣の姿なのに。
「森部さん! 水鏡の中の鬼を斬って!」
「水鏡の中……?」
森部は千歳の真後ろに移動し、地面の水鏡を覗き込んだ。
「……鬼?」
森部は息を呑む。
現実の世界では、千歳に抱き寄せられた鷹臣はまだ人の形を保っている。
だが、足元に広がる蒼い水鏡の底には千歳の細い腕に縋り付き、彼女の首筋に今にも牙を立てようと顎を開く、巨大な角を持つ漆黒の化け物がいた。
「実像ではなく、魂の因果を映しているのか……!」
現実の鷹臣を斬れば、彼は死ぬ。
しかし、この水鏡の中にだけ実体化している「鬼の因果」を断ち切ることができれば、神楽坂の血に流れる千年の呪いだけをこの世から消し去ることができるかもしれないと、森部は瞬時に状況を理解した。
「千歳様、そのまま離さないでください!」
森部は先祖代々伝わる鬼絶刀を引き抜き、切っ先を地面の水鏡へと向けた。
本来、水面など斬れるはずがない。
しかし今の森部は、千歳が命を削って広げた「聖域」の中にいる。
「第百五十八代、神楽坂守護、森部が命ずる。千年の呪縛、ここで断絶せよ!」
森部は迷いなく全力で、水鏡の中に映る「鬼」の心臓目掛けて刀を突き立てた。
#溺愛
ゆゆ

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460
#成り上がり
aohana
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コメント
1件
和泉さん、第19話読ませていただきました。水鏡の仕掛けが本当に見事で、特に「現実では人の形を保ったまま、水鏡の中だけに鬼の因果が映る」という演出には思わず息を呑みました。森部が「魂の因果を映している」と気づく瞬間のカタルシスが素晴らしいです。あと、千歳が「その命令は聞けません」と鷹臣の手を自分の頬に押し当てる場面、彼女の揺るがない覚悟が伝わってきて胸が熱くなりました。設定の整合性と感情の高まりが絶妙に噛み合った、素敵なエピソードでした。