脇田と別れて、蓮はマンションに入る。
困ったな、どうしよう、と思う。
脇田のことではない。
奏汰のことだ。
ああいうタイプが一番困るんだよな。
脇田の誘いに乗るのも、真知子に言わせると問題あるそうだが。
やはり、同じ部署だし、いつも顔合わせてるし、お世話になってるし、断れない。
……待てよ。
前もこんなことあったな、と思いながら、エレベーターを待つ間、スマホを見ていた。
未来の番号に合わせたあとで、うーん、と唸る。
助けて、と一言言うのは簡単だ。
だが、未来はあの顔で冷ややかに見て言うだろう。
『へー。
助けは借りないんじゃなかったの?』
そうですね。
そうですよね。
せいぜい、晩ご飯持ってきてもらうくらいですよね、頼るのは、と思いながら、溜息をついたとき、誰かが後ろからスマホを取り上げた。
振り返ると、渚が立っていた。
スマホの画面を見ながら、ほほう、と言う。
「他所の男に電話しようとしてたところだったか」
どうするかな、浮気の現場を見つけてしまったぞ、と言い出す。
「なに言ってんですか。
未来じゃないですか」
もう~と言ったあとで、
「今、いきなり、スマホが上に浮いてったから、UFOにでも吸い上げられたかと思いましたよ」
と言うと、
「お前は相変わらず、阿呆だな」
と言われる。
ほら、乗れ、と扉の開いたエレベーターに向かい、背を押された。
鏡の前の手すりに手をかけた渚は笑ってこちらを見下ろす。
「気の利くエレベーターだな。
二人きりだ」
意味不明ですが……、と思いながらも、渚の顔を見られて、ほっとしていた。
「そうだ、蓮。
式場は何処がいい?」
はい? と珈琲の缶を持ったまま、蓮はキッチンで顔を上げた。
「これが、徳田お薦めの式場だ」
とパンフレットを一通り出してくる。
「はあ、徳田さん、お薦めの……」
それは断れなさそうだな。
この中から選ぶしかないのか、と思った。
「お前の親にも断らなきゃいけないがな、蓮」
パンフレットを見たまま、渚は言う。
「……そうですね」
蓮は側に座り、そのうちの一枚を手に取った。
森の中の美しい教会だ。
真っ白な尖塔が太陽の光に映える。
夢のように綺麗な場所だな、と思った。
「そこにするか?」
と渚が横から覗いてくる。
「あんまり人が入りそうにない小さな教会ですけど、大丈夫ですか?」
「いや、誰も呼ぶつもりはないから」
と渚は言い出した。
「披露宴はそのうちやらないとまずいかもしれないが、式は誰も呼ぶつもりはない。
まあ、徳田と……享は呼ぶか」
「浦島さんは?」
じゃあ、浦島も、と言う。
「お前の親も来たいと言えば、来ていいぞ」
そんな言い方をする。
あれっ? と思ったが、今はなにも追求したくはなかった。
側に居る渚の肩に少し頭を寄せる。
「……どうかしたのか?」
「どうもしません」
いけませんか? とこちらを見た渚を見上げた。
……いや、と言い、パンフレットを置いた渚の手が肩に触れ、そのまま唇を重ねてくる。
そのままソファに押し付けるようにしてきた渚の額に手をやる。
「今日はパスです。
疲れてるんで」
「大丈夫だ」
と言った渚は、蓮の胸に、ソファの下にあった大きなクマのぬいぐるみを押し付けてくる。
「それ抱いて、目を閉じて、じっとしてろ。
その間に終わるから」
「……どんな人でなしですか」
結局、クマを抱いたままだった蓮は、ベッドに転がったまま、さっきの結婚式の話で、文句を言う。
いや、文句があるのは、渚に対してではないのだが。
「いい大人がいちいち、結婚するとかしないとか、親に報告しなきゃいけないなんておかしくないですかね?」
と言うと、渚はクマを取り上げながら、
「祝ってもらえるんなら、祝ってもらえ。
まあ、俺も人のことは言えないが」
と言ってくる。
「お前を育てた人たちだからな」
……育てられただろうかな、と蓮は眉をひそめてしまう。
だったら、一番懐かしいのが、未来の叔母の手料理なんてことがあるだろうかと思う。
うーん、と渋い顔をしながらも、俺も人のことは言えないがってなんだろうな、と思っていた。
前から気にはなっていた。
渚の話に、ジイさんと徳田さんの話は出るが、ご両親の話は出てこない。
居ないわけではないのは知っているのだが。
あれかな。
何処かの国の貴族みたいに、各子供に城があって、親と滅多に接点がないとか。
そんな莫迦な……。
クマを抱いたまま、キスしてこようとする渚を押しのける。
「考え事してるんで、やめてください」
「なにしてても、考えられるだろうが」
「気が散るんです」
と言うと、どんな言われようだ、と言うが。
いや、まだキスされて平気なほど、恋人同士として、馴染んでいないというか。
ちらと後ろの渚を見、
「そんなことされると、渚さんのことしか考えられなくなるからです」
と少し赤くなって本当のところを言うと、ちょっと嬉しそうに笑って真後ろから抱き締めてくる。
なんかいいなあ、と思っていた。
此処ではなにも構えたり、気を使ったりしなくていいし。
この人とずっと二人で居られたら、幸せな気がする、と思って、でもなあ、と思う。
「やっぱりやめてください」
と渚の顎を突いて押し返した。
「あの、あんまりキスとかしたら、飽きませんか?」
渚を振り返り言った。
「お前は飽きるのか?」
「いや……そんなにはしたことないので、わからないですけど」
とうっかり言うと、そんなにはしたことないって誰としたんだ、という顔をされてしまう。
「い、いや、渚さんとはですよ」
とフォローを入れたが、かえって変な感じになってしまった。
渚以外とはたくさんしたことがあるみたいではないか。
もちろん、そんなことはないのだが。
……言い間違い恐ろしい、と思いながら、
「そうじゃなくてですねー」
と弁解というか、説明する。
「あんまり近づき過ぎると、飽きられたり、嫌われたりしないかなあって、不安になったりしないですか?」
「全然」
うん。
そういう人ですよね、貴方、と思った。
でも、ちょっと小心者なところもなきにしもあらずだと思うのだが。
虚勢を張っているのか。
そんな自分に気づいていないのか。
判断つきかねるな、と思いながら、
「真知子さんが言ってたんです。
憧れから近づき過ぎたら、好きじゃなくなるかもって」
と言う。
奏汰のことを思い出していた。
「大丈夫だ。
俺はお前になど憧れてはいない」
うん、それもどうですかね? と思っていると、
「それに、最初に会ったときより、今の方が好きだ」
と言ってくる。
この人の、言葉よりも、この、いつも真っ直ぐに見つめてくる瞳にやられそうになる。
まあ、真っ直ぐに見て嘘つく人も、嘘でなくとも、視線を合わさない人も居るけど。
そんなことを考えていると、渚が、
「なに思い出してる?」
と訊いてきた。
また渚に背を向け、呟いた。
「いえ……。
男と女って難しいですよね。
なに考えてんのかわかんないって言うか」
「お前……それ、俺の話じゃないよな?」
そりゃ、渚さんの考えは丸わかりだからね、と思う。
なにも隠さない人だから。
だから、安心できる。
「……俺にそういう相談するの、おかしくないか?」
と問われ、なにも考えずに、
「そうですよねえ」
と答えていた。
「おはようございます」
朝、社長室に入ってきた脇田を見た渚は、組んでいた腕を解いて、デスクを叩いた。
「脇田。
蓮の過去を洗え」
そう言うと、何故か脇田は吹き出す。
なんだ? と見ると、
「今まで調べてなかったことにびっくりです」
と答えてきた。
再び、腕を組み、渋い顔をして、渚は言った。
「ま、たぶん。
徳田辺りは調べてる」
「じゃあ、徳田さんに電話しましょう」
そう笑って言う脇田を上目遣いに見、
「……驚くなよ、脇田」
と言うと、なんで僕が驚くんですか、という顔を脇田はしていた。
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