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社長室から出た脇田は、いつものように笑って葉子と話している蓮の顔を見る。
驚くなよってなんだろうな、と思いながら。
それにしても、さっきの渚の顔は面白かった、と思う。
昔から、人を振り回すのが得意で、振り回されることなどなかった男が、蓮のことで悩んでいるのが、なんだか可愛らしくもあり、可笑しくもあり。
そういえば、昨日、誰かにつけられてるようなことを言ってたな、と蓮を窺う。
渚にはそのことを相談しているのだろうかな、と思った。
どうも、石井奏汰との間にもトラブルがあるようだが、それも告げていないようなのに。
蓮は、カラッとしているようで、意外に秘密主義だ。
そういうところが、彼女をミステリアスに見せているのかもしれないが。
「なんなんですか、脇田さん。
蓮ちゃんをじっと見ちゃって。
いやらしー」
と葉子がこちらを見て言い出す。
「考え事してたんだよ。
そういうのなら、もっとそっと見るよ」
と言うと、なんですか、それ、と笑っていた。
「まあ、それはそれとして、秋津さん、ちょっと」
と手招きをすると、私ですか? という顔をして、蓮が来た。
そのまま、廊下に連れて出る。
「昨日、誰かにつけられてるみたいだったけど、渚に相談しなくていいの?」
と言うと、蓮は天井を見て、ちょっと考える。
「まあ……私の予想通りなら、ちょっと厄介ですけど。
そんなに危険はないはずですから」
と言ってきた。
そんなに危険はないってなに? と思っていると、それ以上の話題を避けるように、じゃあ、と手を挙げ、行ってしまう。
……前から思っていたのだが、蓮と渚は似たところがある。
なにがだろうかな。
ひとつはわかっているのだが、と思ったとき、渚の、
『驚くなよ』
という言葉を思い出していた。
美容と健康のために、蓮はたまに階段を上がるようにしていた。
だが、秘書室のある階までというのは厳しく、途中で、溜息をついて、休む。
昨日、石井奏汰に呼び出された。
彼に、その条件は飲めませんと言うと、
『だよね』
と笑っていたが。
すぐに引き下がるけど、ああいう隙あらばって人が一番怖いんだけどな、と思っていると、奏汰本人が現れた。
何処かの部署から出てきたときに、たまたま階段の方を見たらしい。
「おはよう、蓮ちゃん」
と下から言ってくる。
蓮ちゃんと来たか、と思っていると、階段に足をかけ、奏汰が訊いてきた。
「どうしたの?
元気ないけど」
「いや、あの、その元気ない一端を自分が担ってるとは思わないんですかね?」
と言ってやると、
「あれ? なに?
もしかして、僕に脅されたから?」
と言ってくる。
「それもあります」
と両膝で頬杖をついて言うと、
「僕でよかったら、相談に乗るよ」
と奏汰は言ってきた。
「いや、脅してる張本人に相談する趣味はありません」
と言ってやると、そんな警戒しなくても、と笑う。
「脅しといてなんだけど、たいした秘密じゃないじゃん。
蓮ちゃん」
蓮は溜息をつくと、自分を脅している人間を相手に、結局、愚痴り始めた。
「そりゃあ、はたから見たらそうかもしれないですけど。
私的にはいろいろ問題あるんですよー。
小さな頃から、なんだかんだあって、敏感になってますからね」
子供の頃より、大きくなってからの方がいろいろと問題が生じていることだし。
壁に手をつき、うーん、と考えた奏汰は、
「でも、社長はそんなこと気にしないと思うよ」
と言ったあとで、
「……ま、だったら、脅しにならないけどね」
と自分で言い、笑っていた。
そんな奏汰の笑顔を上目遣いに見ながら、蓮は問う。
「悪い人とかいい人とかって、なにを基準に決まるんですかね?」
「まあ、人って豹変するよね、僕みたいに」
「そうなんですよー」
と蓮は眉をひそめる。
「変わらない人も多いけど。
変わらなさを意識しすぎて、訳のわからないことを言い出す人も居るし。
そうかと思えば、此処ぞってときに、絶対言ってはいけないことを言ってきたり……」
「蓮ちゃん、誰のこと言ってるの?」
口が重くなる蓮に、奏汰は、
「社長の前に付き合ってた誰か?」
と訊いてきた。
「付き合ってはいませんよ。
……信頼してただけです」
と蓮は目を閉じる。
本当だ。
今まで生きてきて、好きだと思ったのは、悔しいことに、渚さんだけだ。
珍しく深刻になっていると、頭の上で、奏汰が突然、暇なことを言い出す。
「あ、ねえ、蓮ちゃん。
これって、壁ドンじゃない?」
確かに奏汰は壁に手をついてはいるが。
蓮は自分の上に影を作る奏汰を見上げ、
「上過ぎます」
とその手を指差した。
「じゃ、これで」
としゃがんだ奏汰は蓮の側の壁に手をつき直す。
蓮は後ろの段に肘をつき、明らかに、さっきより遥かに近い奏汰の顔から遠ざかった。
「あのですね。
石井さんが嫌いとか言うんじゃないですけど」
と言うと、
「脅されたのに?」
と驚いたように、自分で言ってくる。
「そんなのよくあることですよ」
いや、ないが。
敢えて、そう言った。
「そういうのじゃなくて。
私、結構、真知……」
真知子さん、好きなんで、恋路を邪魔したくない、と言いかけて、踏みとどまる。
ヤバイ。
勝手に真知子さんの気持ちをしゃべるわけにはいかないな、と思ったのだが。
奏汰はわかっていたようで。
「僕より、真知子ちゃんの方が好きってことだね」
と笑う。
「いやー、真知子ちゃんもいいんだけど。
意外と一途で」
「そうなんですよ」
と蓮は手を打った。
「あのギャップ、良くないですか?」
とお薦めしてみたのだが。
いやあ、と奏汰は申し訳なさそうに頭を掻く。
「だからその、凶悪で高圧的な性格がね。
今は出てなくても、結婚したら、出てくるよね、きっと。
僕、家ではゆっくりしたいんだよね」
……まあ、わかる気はするが。
「付き合い始めのうちに、上から抑え込んじゃえば大丈夫ですよ」
「あのさ。
何気にひどいこと言ってるよ、蓮ちゃん……」
いや、単に、二人に上手くいって欲しいだけなのだが。
「まあさ、気をつけなよ。
いつ、また、僕みたいな男が現れて、脅してくるとも限らないし」
と他人事のように忠告してくる。
「君をいいなと思ってたけど。
あんまり接点もないし、無理かな、と思ってたんだ。
社長まで君に目をつけちゃうし。
でも、そこに、君を脅せるチャンスが出てきたら、なんかこう……
うまく付き合えるんじゃないかとか思っちゃうんだよね、人間って」
思っちゃわないでくださいよ……。
「蓮ちゃんって、思い切りもいいし、頭の回転も速いけど。
妙に情に厚いからね、気をつけて」
僕に盛んに真知子ちゃんを売り込んでくるみたいに、と笑う。
納得してくれたのかな? と笑いかけたが、
「じゃあ、またね」
と手を挙げ、行ってしまう。
またね……?
普通に、その辺で会うから、またね?
また脅しに来るからね、のまたね?
一人、階段に残り、蓮は溜息をつく。
なんか……あの人、真知子さんに勧めるの、不安になってきたな。
そんなことを考えながら、あーあ、と人気のない階段に倒れて寝てしまう。
ゴツッと段が頭に当たった。
『蓮……』
雨は好きじゃなかった。
余計なことまで思い出すから。
でも、今は笑える。
渚さんと土砂降りの中、ティアラを被って、車を押してから。
無駄に夜景が綺麗だったな、と笑う。
「あの……めちゃくちゃ不気味なんだけど、秋津さん」
頭の上から声がして、うわっ、と起き上がった。
大きな脇田が、踊り場から見下ろしていたので、余計、大きく見えた。
「すっ、すみませんっ」
「職場の階段で寝転がって、笑ってる人、初めて見たよ……」
すっ、すみませんっ、すみませんっ、と階段に、かしこまり、頭を下げる。