結葉が偉央に気持ちを伝えてからは流れるように結婚の話が進んでいった。
元々見合いがきっかけなのだ。
偉央は最初から「結婚を前提に」と明言して結葉と付き合い始めたし、結葉だってそれを承知した上で偉央との交際をスタートした。
偉央としては気持ちを確かめ合うのが遅過ぎたぐらいに思えたけれど、最初から結葉のペースに合わせると決めていたので、半年以内に結葉から色良い返事がもらえたのはある意味ラッキーだったとも思えて。
見合い相手の結葉にずっと片想いしている相手がいたことは、実は結葉の両親から早々に伝えられて知っていた偉央だ。
そんな、見合いとしては娘の話をまとめるのに不利になりそうなことをわざわざ言わなくても良かっただろうに。
小林夫妻は「娘の全てを知った上で判断して欲しい」と、偉央に釣書などを渡すのとほぼ同時にそのことを告げてきた。
それほどまでに、彼らのお嬢さんにとって、片想いをしてきた相手のことは大きな存在だったということか、と偉央は漠然と思って。
そんな風に誰かを真剣に好きになれる彼女のことを、心底羨ましいとさえ感じてしまったのだ。
結葉の両親の話では、その片想いの相手とやらに、少し前に彼女が出来て家を出て行ってしまったらしい。
それを聞いて落ち込んでいる娘に、新しい恋に目を向けてもらえたなら、と言うのが今回結葉に見合いを進めてみようと思い至った経緯なんだとか。
最初、そんな曰く付きの見合いなんて断ってしまおうかと思った偉央だ。
色恋にあまり興味の持てなかった偉央にとって、そう言う女性は面倒な相手だという認識しかなかったから。
だが、偉央は釣書とともに同封されていた結葉の写真を見るとはなしに見た瞬間から、結葉の愛らしさに自分でも驚くほど一瞬で心奪われてしまった。
別の男のことを想っている女性なんて、と最初は辟易した気持ちで見合いの書類を受け取って。
別に中を見ないままに断っても良かったのに、何となくそんな風に誰かを心底愛することが出来、尚且つ本人自身も両親から気に掛けられ、守られるような女の子というのはどんな子なんだろうと興味がわいてしまった。
そんな興味本位で封を開けてみたにも関わらず、気が付けばどうにかしてこの子を自分に振り向かせたいと思ってしまうほどに結葉への想いが強まっていて――。
親の職種こそ違えど、結葉同様に地方公務員の両親からの愛情を一身に受けて育った一人っ子の偉央は、漠然とそこそこに好きになれる相手と結婚して、それなりの家庭を築いていけたらいいと考えていた。
見合いだって、適齢期を迎えた自分を心配して両親が知人に勝手に頼んだだけ。
偉央自身はそんなに焦っていたわけじゃない。
幾人かと見合いをしていくなかで、互いの条件さえ合う相手ならば適当に手を打とうと思っていた偉央だ。
だが、美しい振り袖に身を包み、ほんのり頬を染めて淡くはにかむ結葉の写真を見た瞬間、それは間違いだったと強く認識させられた。
どうにかして彼女と夫婦になりたいと願った偉央は、気が付けば両親を通じて、世話人に「すぐさま話を進めて欲しい」と返していたのだった。
***
「式も移動も結構疲れたね。結葉、大丈夫?」
結婚式後、偉央と結葉は土日を組み込む形で沖縄へ二泊三日の新婚旅行へ来ている。
ホテルに荷物を置くなり、偉央がすぐそばの結葉を振り返ったら、花が綻ぶように微笑まれて「大丈夫です」と答えてくれた。
今夜は、二人にとって初めての夜だ――。
偉央は結局今日に至るまで、――キスこそすれど――、結葉の身体に指一本触れることなく清い交際を続けてきた。
さすがに結婚式も入籍も終えたとなれば、この新婚旅行中にそういうことになるのは結葉も承知しているだろう。
移動中からやたらと緊張しているように見えた妻の心を解きほぐして、夫婦生活をうまく営めるかどうかを考えると、実のところ偉央自身も不安だらけなのだ。
本当ならばもっと長い期間を使って、海外旅行にでも連れて行けたなら、もう少しのんびり構えていられたかも、と思った偉央だ。
しかし動物病院院長という立場もあって、実際にはなかなか難しくて――。
自分以外に2名の獣医師がいるとはいえ、皆、得意分野に分かれた診察を行なっている『みしょう動物病院』だ。
院長である偉央の担当はフェレット、うさぎ、ハムスターと言った、いわゆる小動物。
犬猫を担当している第三診察室の佐藤英輔に比べれば圧倒的に患畜数は少ない。
けれど、このところクチコミで新規の患者がグンと増えてきているのもまた事実で。
いわゆるエキゾチックアニマルと呼ばれる、犬猫以外の生き物がまともに診られる動物病院というのは、案外まだまだ少ないからだ。
ましてや『みしょう動物病院』のように、それ専門に診ることの出来る獣医師を配している病院はさらに希少で、エキゾチックアニマルと暮らす飼い主たちのネットワークの中で口の端に登り、場合によっては「この病院がいい」などと勧められたりするらしい。
偉央の担当している生き物で言うとフェレットと暮らしている飼い主なんかは特に、「何某さんにお聞きしてきました」と言うのが多めだ。
概してそう言う場合の飼い主は、結構な遠方からわざわざ出向いてくれている。
予防接種などの様な予防診療のみならば、どこの病院でもそこそこの割合で受け付けてもらえるらしいのだが、フェレットに多い副腎腫瘍に対する治療となると、お手上げになる病院が殆どだ。
手術然り、症状を抑えるためのホルモン注射然り。
注射一本とっても、副腎疾患を患ったフェレットの数が多ければ1ロットを必要な飼い主たちでシェアすることを見越して病院側が経費として買うことが出来るけれど、数がいなければ断られるか、良くても一人の飼い主が病院を介する形で1ロット分を一気に買い取るなどになるらしい。
1本1万円近くするそのワクチンを、一人の飼い主が一括払いで負担するのはなかなか出来る事ではない。
加えてホルモン注射の治療は毎月ごとに1回、継続的な接種が必要なのだ。
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