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案の定、上手く休憩時間がとれなかった蓮太郎は、とっぷり日が落ちた頃、ようやくリラクゼーションルームに向かった。
おっと、スコップないから埋められないとか言ってたな、と思いながら、事務室に行って訊いてみたが、自分宛の書類は預かっていないと言う。
「ほんとうに訪ねて来ませんでしたか?
白いシャツにグレーのスカートの、なんかすごく可愛い女子社員」
大真面目にそう説明して、何故か事務員さんたちに吹き出される。
「来なかったわ、すごく可愛い女子社員」
と仲のいい母親くらいの年の事務員、梅田に言われた。
「そうですか、ありがとうございます」
そう言い出ていくと、後ろが騒がしくなった。
「蓮くんが『可愛い女子社員』だってっ。
誰っ!?」
「いやいや、違いますよっ。
『すごく可愛い』ですよっ」
「あの人、女性をそんな風に認識できたんですねっ」
頭いいけど、そういう能力はないのかと思ってた、とか無茶苦茶を言われている。
「白いシャツにグレーのスカートですごく可愛いと言えば、昼間、秘書の蓮形寺さんがそんな格好で来てましたよ」
そういえば、珈琲持ってきただけなのに、妙に滞在時間が長かったですっ、と誰かが報告している。
「ああ、蓮形寺さん、綺麗な人よね。
蓮くん的には『すごく可愛い』なんだ~」
梅田がそう言い、みんな何故かウケている。
自分が女性を可愛いと言ったのが、何故か意外でツボだったようだ。
いや、可愛いとか綺麗とか思うことはある。
それが恋とか愛とかに発展しないだけだ。
ぬいぐるみや絵を見て、可愛いとか綺麗とか思っても、恋にならないのと同じだ、と蓮太郎は思っていた。
それにしても、蓮形寺め。
連絡先を持ってこないとは。
俺に逆らう気か、愛人なのに、と思いながら、リラクゼーションルームに戻る。
煎茶のカプセルをマシンにセットして待つ間、お菓子の入ったポット容器を見てみた。
ここにもない。
まあ、他の男の愛人になりたくないのなら入れないだろうな。
蓮太郎の頭の中で、唯由が感じのいい先輩の愛人になったり、紗江の愛人になったりしていた。
もう煎茶は出来上がっているようだが、そちらには行かずに竹林の下を見る。
三番目の竹の下をじっと見てみると、少し他と色が違っていた。
一回掘り返して、またならしたあとが窺える。
捨ててあったティッシュペーパーの箱で簡易スコップを作り、掘ってみると、中からカプセルトイのカプセルが出てきた。
中を人に見られないようにか、色付きの透明じゃないカプセルだった。
開けると、あまり上手くない、まるっとした字で書かれた電話番号が出てきた。
お疲れ様です、という文字とともに。
「まるで、宝探しだな」
とその文字を見つめながら、蓮太郎は笑う。
煎茶のいい香りがリラクゼーションルームに漂っていた。
どきどきしていた。
いつ電話がかかるのだろうと思って――。
今日早く帰るからデートでもしようと誘われた気がするのだが。
もう十時なのに、電話はない。
お風呂入っちゃいますよ、と唯由は思う。
いや、別に電話を待っていたわけではないのだが、なんとなく……。
一応、脱衣所兼洗面所にスマホを置いた。
鳴ってもすぐ出られるようにだ。
髪を洗ったあと、今、鳴っても聞こえなかったな、と思いながら、風呂を出た。
拭くのもそこそこにスマホを手に取る。
電話は鳴っていなかった。
……よかった、よかった。
うん。
よかったな……と唯由が思ったとき、誰かがなにかを叩く音がした。
ええっ? なにっ? と慌てて服を着て出る。
道に面している方の窓を叩いている人が居るようだった。
変質者っ!? ……か、
王様っ?
と変質者と王様を同列に扱いながらカーテンを開けてみる。
スーツ姿の蓮太郎が外に立っていた。
これ以上叩かれてはかなわないと、唯由は慌てて窓を開ける。
すると、ソースのいい香りが漂ってきた。
「お好み焼き買ってきた。
食うか?」
あの……電話番号の意味はどの辺に、と思ったとき、巡回するパトカーの赤い光が道に見えた。
こんなところに変質者っぽく立ってるの見られたら通報されるっ、と慌てた唯由は蓮太郎を急かす。
「ともかく上がってくださいっ」
よく考えたら、自分は被害者の方なので、慌てなくともよかった気もするのだが、なんとなく……。
「ほう、小綺麗な部屋だな」
唯由の狭い部屋を見回し、蓮太郎は頷いた。
「お前はいい奥さんになるだろう」
いや、あなたにとっては、私、愛人なんで。
そこのところは関係ないかと思いますね……と思いながらも唯由は訊く。
「なにがいいですか?
ほうじ茶ですか? 煎茶、玄米茶、珈琲、紅茶、ココアにミロと。
カルピス、コーラ、……あとビールがありますね」
冷蔵庫の方を見ながら唯由はそう付け足した。
今、この状況でお酒を呑ませたくはなかったのだが。
でも、お好み焼きにはビールだよな、という葛藤が唯由にはあった。
「いろいろあるな。
喫茶店か、此処は」
と感心したように言ったあとで、蓮太郎は、
「さっき、煎茶を飲んだから、コーラをもらおうか」
と言う。
「お好み焼きにはビールだが。
近くのコインパーキングに車をとめてきてるんだ……」
そう言いかけ、ふと気づいたような顔をする。
「いや、待てよ。
愛人宅だから泊まっていいのか」
いえいえ、おかえりください、と思いながら、唯由は、さっと白いローテーブルにコーラを出した。
「頭寒くないか」
とそんな唯由の髪を見て蓮太郎は言う。
「色っぽくていいが、風邪ひくぞ。
乾かしてやろうか」
いえいえ、そんな王様に乾かしてもらうとかっ、と唯由は慌てて、軽くドライヤーで乾かした。
戻ってくると、蓮太郎はその辺にあった雑誌を見ながら、唯由を待っていた。
「あ、食べててくださってよかったんですよ。
冷えるじゃないですか」
「いや、保温容器に入ってるから大丈夫だ」
と円形の白い発泡スチロールの蓋をぱかっと開けながら蓮太郎は言う。
「二人で食べた方が美味いだろ。
両方ミックスだから。
一枚お前のな。
この容器に入れて、しばらく置いといた方が蒸された感じで美味しいんだ」
「あの、もしかして、これが晩ご飯ですか?」
「そうなんだ。
お前をデートに誘ったのに、連絡する間もなくて」
「私、晩ご飯もう食べちゃってあんまり食べられないので、ちょこっとで大丈夫ですよ」
半分あげます、と蓮太郎がそれ一枚では足りなさそうだったので言ったのだが、
「気を使ってるのなら、別にいいぞ」
と蓮太郎は言う。
「余るようなら、あとで食べてやるから、とりあえず食べろ。
だが、欲しくなかったら、無理はするな」
「あ、ありがとうございますっ」
二人で向かい合って、黙々とお好み焼きを食べ、コーラを飲んだ。
なんだか変な感じだな、と唯由は思っていた。
まだ友だちもそんなに来てないこのアパートに。
知り合って間もない、この人がこんな時間にやってきて、二人でお好み焼きを食べているとか。
コンパに行くと、こういうことも起こるのか。
などとぼんやり考えていると、ほぼ食べ終わった蓮太郎が言ってきた。
「電話をしようかな、と思いながら歩いていたら、お前のアパートに着いたんだ、奇跡だ」
「いや、此処、来たことありますよね?」
なにも奇跡じゃないのでは?
と唯由は言ったのだが。
「いや、奇跡だ。
俺は極度の方向音痴なんだ。
お前のもとにたどり着けたのは運命だ」
と蓮太郎は主張する。
あのー、と唯由は遠慮がちに訊いてみた。
「今日、たまたまバッタリ出会わなかったら、どうなってたんでしょう?
もういいやで終わりだったんですかね?」
どうもなにもかもが偶然と運任せな気がして。
困っていると言ったわりには、そんなに必要とされてないような。
じゃあ、別に、私、愛人やらなくていいんじゃないですか?
と思いながら訊いてみたのだが。
「もういいやになるわけないだろう。
愛人になってくれなんて、普通の人に頼めるわけもない」
……私、普通の人じゃないんですかね?
「王様ゲームという素晴らしい遊びにより、得られた下僕を逃すわけないだろう」
だから、王様ゲームにそんな拘束力はありませんって。
「別に運任せにして放っておいたわけじゃないぞ。
コンパの主催者同士は連絡とりあえるだろうから、そこから訊いてもらえばいいと思ってただけだ」
訳のわからないことを言うわりには、そこは冷静なんですね。
そう唯由が思ったとき、保存容器を片付けながら蓮太郎が言ってきた。
「食べ終わったか?
じゃあ、ちょっとでもデートでもしよう」
なんですか、このタイトなスケジュール。
ちょっとでもデートしようとか。
聞きようによっては情熱的だが。
この人の場合は、たぶん、愛人に仕立てるために、踏まねばならない行程を無理やり詰め込もうとしているだけだ。
「だが、愛人のデートというのがどうもよくわからない。
普通のデートしか検索しても出てこないし。
リラクセーションルームの雑誌にも載ってない。
サスペンスとかだと、殺されたり犯人になったりする愛人と男は大抵、お忍びで旅行に行ってるから、今度、旅行にでも行くか。
まあ、今、なかなか休めないんだが」
……休めなくてよかった、と唯由は思っていた。
「ともかく、いずれ、お前を愛人として親族に紹介したい」
「いや、なんでですか」
「それをしないと意味ないだろう。
俺の女性関係が乱れていることを示すためにお前を雇ってるわけだから」
雇われてはないかと思いますね~。
「……近々、お前のお披露目をせねばな」
そんなお披露目、嫌ですし。
愛人をわざわざ親族に紹介してお披露目するようなきちんとした人は、女性関係は乱れてない、と判断されると思いますね、と唯由は思っていた。
「お前の親兄弟に挨拶しなくていいだろうか」
「……絶対にしなくていいと思いますね」
きちんと育てられすぎて、乱れられないようだ……。
「コーラ、もう一杯いかがですか?」
と唯由は立ち上がる。