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「それに……キュウリちゃんに優しく話しかける大葉、すっごく子煩悩な感じがして嫌いじゃないです」
「羽理……」
「あ! そ、そんな不安そうな顔しなくても大丈夫ですよ!? 大葉は今まで通りキュウリちゃんに〝でちゅ・まちゅ〟で接してあげてください! でないと……その……キュ……ウリちゃん?が戸惑ってしまいそうですもの」
ちょっと気になる語尾が相中に挟まっていた気もするが、この気遣いは大葉のためではなくキュウリのためなのだと言われてしまっては、それ以上が言えなくなってしまった大葉だ。
「あーん、羽理ちゃんってばホント、いい子ぉー! お姉ちゃん、羽理ちゃん、大好きぃー♥」
途端柚子が大葉をドン!と押し退けて、右腕にキュウリを抱いたまま左腕で羽理を抱き締めるから。
「ワン!」
「きゃう!」
恐らくキュウリは驚きの、羽理は痛みからくる声を、ふたり同時に上げた。
「こら、柚子! 羽理が痛がってる! それにっ、そんな抱き方したらウリちゃんも落ちちまうだろ!」
両手に花状態な姉へ、大葉がすぐさま抗議したのだけれど。
「あー、ホントうるさい子ね! 貴方だってさっき羽理ちゃんに同じことして痛がらせてたでしょう! ……けど残念でしたー! もう羽理ちゃんはこの体勢にも慣れて痛くなくなったみたいでーす。それに……キュウリちゃんも私がガッチリホールドしてるから落っこちたりしませんよーだっ!」
ニヒヒッと意地悪く笑って、二人を抱く腕にさらにギュウッと力を込める柚子に、大葉はグッと言葉に詰まったのだけれど。
「あ、あのっ。柚子さんっ、私……」
柚子の腕の中の羽理が、恐る恐ると言った調子で自分を拘束する柚子に声を掛けた。
だが、「ちょっぴり痛いです」と続ける前に、柚子に畳み掛けられてしまう。
「やだぁ、羽理ちゃーん。柚子さんだなんて他人行儀なー! お願いだから柚子お義姉さまって呼んで?」
「えっ?」
「だって羽理ちゃん、うちへお嫁さんに来てくれるんでしょう?」
「当たり前だ! 昨夜プロポーズして、ちゃんと受けてもらえたんだからな!?」
「うそ! 告白すっ飛ばしてプロポーズとか……ホントなの、羽理ちゃん!?」
大葉が懸命に羽理を手元に取り戻そうとするのを、羽理とキュウリを抱いたままキッと睨んで目力だけで牽制しつつ。
柚子がその合間で羽理に問い掛けた。
途端羽理がブワッと頬を赤くして、口に出さずともそうなのだと肯定してしまうから。間近でそれを見ていた大葉も、つられて恥ずかしくなってしまった。
「もぉ、二人とも最高! たいちゃん。可愛い義妹ちゃんのことは私にドォーン!と任せて、貴方はしっかりお仕事頑張って来なさい! ――ほら、羽理ちゃんもたいちゃんに行ってらっしゃい言ってあげて?」
「……い、行ってらっしゃい、大葉」
「お、おう。――行って……来る」
そんなこんなで、大葉は半ば強制的に家から追い出されてしまったのだった。
***
会社に着いた大葉は、建物を見上げて気持ちを引き締めるようにギュッとネクタイを締め直した。
いつもより一時間ばかり遅れての出社だ。
朝一で出張などがあれば別だが、全くの私用で遅刻することはほとんどなかったので、何となく緊張してしまう。
だが、それを他者に気取らせるわけにはいかない。
自分はここ――土恵商事では、一応役付きなのだ。総務部長としての威厳というものはある程度必要だろう。
「おはよう」
「おはようございます、屋久蓑部長」
遅刻してきたことなんて何でもないことのように、受付女性にいつも通りの義務的な挨拶をして、ついでのように「社長は在社かな?」と問い掛ける。
「はい」
「分かった。有難う」
大葉がふっと表情を緩めて礼を述べた途端、受付嬢が驚いたように瞳を見開いた。今までの屋久蓑部長ならば、「分かった」のみだったはずのところに、期せずして「有難う」と付け加えられたことに驚いたのだ。
大葉は自分の変化にも受付嬢の驚きにも気付かないまま、くるりと踵を返すとエレベーターホールへと向かう。
大葉は頭の中、一旦自室のある四階へ上がって、荷物などを片付けてから社長室へ出向くか、などとこれからのことを算段している真っ最中なのだ。
そこでふと、昨夜羽理のアパートで対面した倍相岳斗のことを思い出した大葉は、我知らず吐息を落とした。
(……昨日の倍相の様子、何かおかしかったよな)
前半はいつも通りだったが、羽理を傷付けたことを大葉に責められてからは、ガラリと態度が一変したように感じたのは気のせいではないだろう。
大葉さん、と倍相から呼び掛けられたのを思い出した大葉は、何だかよく分からない寒気にゾクリと身体を震わせた。
そこでポーンと小気味よい音を立ててエレベーターが一階に着いて、幾名かの社員たちがパラパラと箱から降りてきて、大葉に気が付いて「おはようございます」と頭を下げて通る。
大葉は背中を這い上がる悪寒を振り払うように、彼らに「おはよう」と返しながら空になった箱へ乗り込んだ。
時間的なモノだろうか。
降りてくる人間はちらほらいたけれど、大葉のように上に昇る人間はいなくて、エレベーターの中で一人、大葉は壁に縋るようにして物思いにふける。
そういえば――。
(倍相は俺のこの社での立ち位置を知ってるんだっけか……)
公言はしていないが、あえて隠しているわけでもない自分の立場をふと思って、大葉は小さく吐息を落とした。
(ま、あんま大っぴらにしたい内容じゃねぇけどな)
その絡みで今から社長室へ出向かねばならないわけだが、まぁ誠意を持って対応すればきっと何とかなるだろう。
***
大葉が経理課・庶務課のある四階フロアに入ると、あちらこちらから「おはようございます」と言う声が掛かった。
それに「ああ、おはよう」と何気なく返しながら、ハッとした大葉だ。
考えてみれば今まで気付いていなかっただけで、こんな風に挨拶をしてくれた面々の中にはきっと羽理もいたんだろうな?と思うと、今更ながら努めて皆の顔を見て挨拶せねば……と身につまされる気持ちになった。
(俺、……ホントみんなと一線引くような接し方してたんだな)
女性社員らから迫られることに辟易していたからと言って、多くの部下たちとの関わりをシャットアウトするようなことを、同一線上で考えてはいけないはずだったのに。