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相沢は、取り調べ室の机の上を見て、足を止めた。
――ない。
机の上には、書類とペン、それから空になったクリアファイルだけが置かれている。
「……ない」
相沢が言うと、隣で佐伯がゆっくり首をかしげた。
「え? 何がですか、先輩?」
この調子だ。
この娘(こ)、緊張感というものを、たぶん署の入り口に置いてきている。
「昨日ここに置いた、押収品の封筒」
「ああ、あれですねー」
佐伯はすぐにうなずいた。
「ありましたよぉ。ちゃーんと!」
「ちゃんと?」
「はい。私、昨日二回見ましたよっ!」
二回、というところで、なぜか少し誇らしげだ。
「一回目は午前中で」
佐伯は指を一本立てる。
「二回目は……」
今度は指を二本立てて、少し考え込む。
「警部がコーヒーこぼしたあとです」
「いやぁ、あれは本当に参ったよ」
背後から、場違いなほど明るい声がした。
振り向くと、黒瀬警部が立っている。
今日も無駄に整った顔で、無駄に爽やかだ。
「お気に入りのスーツだったんだ、真っ白のスーツ。真っ茶色になっちゃった」
(そこはどうでもいい)
相沢は心の中で即座に処理し、口を開く。
「警部。証拠品の封筒、知りませんか」
「封筒? ああ、あれか」
黒瀬警部は顎に手を当てる。
「相沢くんたちが机に置いていたな。大事なものだろう?」
「はい」
「なら、ちゃんと管理しないとじゃないか」
にこやかに言われて、相沢は一瞬だけ目を伏せた。
(それ、今言う?)
佐伯が横から小さく口を挟む。
「警部ぅ、それ、先輩に言うことじゃないですよねぇ、警部だって…」
「……芽衣ちゃん」
「すみません」
口ではそう言うが、全然気にしていない顔だ。
「警部」
相沢は気を取り直して続ける。
「封筒を持ち出した覚えはありませんよね」
「まさか。私は部下を信頼しているからね」
黒瀬警部は胸を張った。
(質問に答えていないじゃない)
相沢は一度、息を吸った。
「……佐伯さん」
呼び方が変わる。
佐伯はぴしっと背筋を伸ばした。
「はーい!」
(今ので察してほしい)
「昨日、この部屋に出入りした人、全員教えてください」
「えーとですねぇ-、」
佐伯は指を折りながら言う。
「被疑者の人と、相沢先輩と、私と、警部と……」
一拍置いて、
「生活安全課の人が、ちょっとだけ」
「名前は?」
「分かりません。でも優しそうでしたよぉ」
「性格の話はいりません」
「しゅいましぇーん(すみません)」
落ち込み気味だ。
「その人、何をしてました?」
「封筒、見てました」
「それだけ?」
「はい。『これ証拠?』って聞かれたので」
「なんて答えたの?」
「『たぶん』って」
(やめてほしい言葉ランキング上位!)
黒瀬警部が満足そうにうなずく。
「いいじゃないか。柔軟な対応だ」
「警部」
「なんだい、相沢くん」
「その人に、封筒を渡しましたか」
「渡す? いや、渡してはいない……と思う」
「“思う”じゃなくて?」
「うーん……」
黒瀬警部は少し考え、ぱっと笑った。
「大丈夫だ。署内で物が消えるわけがない」
「根拠は?」
「信用だよ」
佐伯が手を挙げた。
「じゃあ犯人、幽霊ですねぇ、怪奇現象的な?」
「芽衣ちゃん…」
「はい?でも密室ですよね? 鍵もかかってましたし、だれも入れませんし。」
相沢は机の引き出しを開け、すぐに閉めた。
「密室じゃないでしょ」
「え?」
「鍵、誰でも持ってる」
「……あ」
佐伯は少し考えてから言った。
「じゃあ、幽霊じゃないですね。人です、それか動物?」
「最初から違います」
(そんなドラマみたいなことは起きないわよ!犯人は動物とか、絶対無いから!)
黒瀬警部が感心したように言う。
「さすがだな、相沢くん。冷静だ」
(今は褒めなくていい、てか冷静って…)
相沢は床に視線を落とした。
白い封筒が、ひとつ落ちている。
「警部」
「なんだい」
「さっき、“あれか”って言いましたよね」
「言った…な」
「中身、知ってました?」
「中身? 茶色い封筒だろう?」
相沢は白い封筒を拾い上げる。
「……佐伯さん。昨日押収した封筒、色は?」
「え?えっとー」
佐伯は少し考え、ぽんと手を打った。
「白でした」
「ですよね」
黒瀬警部も続ける。
「そういえば、僕が見たのも白だったな」
相沢は静かに結論を出した。
「消えたんじゃありません。
最初から、違うものを証拠品だと思い込んでただけです」
「えっ」
「茶色の封筒は、証拠品じゃないんです。」
相沢は黒瀬警部を見る。
「警部。昨日コーヒーをこぼした時、何で拭きました?」
「え? そこにあった紙で……」
沈黙。
「……ゴミ箱、見てみますぅ?」
佐伯がのんびり言った。
三人でゴミ箱をのぞくと、底にくしゃくしゃの茶色い封筒があった。
「これですね」
佐伯が拾い上げる。
「証拠品じゃなかったやつ」
「そう」
相沢はうなずいた。
「生活安全課の書類用封筒。たまたま色が似てただけ」
「いやあ」
黒瀬警部は笑った。
「大事にならなくてよかった」
「警部」
「なんだい、相沢くん」
「次からは、机の上の紙でスーツを拭かないでください」
「あぁ、気をつけよう」
(絶対気をつけないわよね)
佐伯が首をかしげる。
「でも、これって事件ですか?」
「事件じゃない」
「じゃあ解決ですか?」
「解決です」
「やった」
佐伯は満足そうにうなずいた。
「佐伯くんは推理ほとんどしてないぞ」
「わ、私だって…!がんばったんですよ!警部じゃないですか!コーヒーこぼして…」
(ちょっと芽衣ちゃん!!だめでしょう!警部のせいにしちゃ!)
あわてて後輩ちゃんの口を塞ぐ。
黒瀬警部が二人を見て、にこやかに言う。
「やっぱり君たちは、いいチームだな」
相沢は何も言わなかった。
佐伯も言わなかった。
(そう思っているのは、たぶん警部だけじゃ…)