― 微笑みは、もっとも鋭いナイフだった ―
午後、リビングには玲央菜だけがいた。
瑠璃色のマニキュアを丁寧に塗りながら、薄く微笑んでいる。
遥が通りかかると、視線を向けずに話しかけてきた。
「ねえ、遥。……最近、夢って見る?」
遥は立ち止まる。
だが、返事はしない。
玲央菜がわざとらしくため息をついた。
「また無視? ほんっと性格悪いね」
「……夢なんか、覚えてねぇよ」
「ふーん。
私は昨日見たよ。あんたが、階段から落ちて血まみれになってる夢」
遥の視線が少しだけ動いた。
玲央菜はにこりと笑って、続ける。
「すっごく綺麗だった。……静かで、赤くて、壊れてて。
あんたって、生きてるより、そっちの方が似合うかもね」
「……なんだよ、それ」
低い声。
玲央菜は肩をすくめた。
「何って、“家族の会話”でしょ? ……違う?」
遥は言葉を詰まらせた。
玲央菜が立ち上がり、近づいてくる。
「さぁ、どう思う? “家族”って。
ねぇ、あんたさ――うちらのこと、ほんとに“家族”だと思ってる?」
「……別に、思ってねぇよ」
「そっか。じゃあ、なんでここにいるの?」
「……」
「嫌なら出てけばいいのに。
それとも――“嫌じゃない”の?」
言葉の選び方が、あまりに鋭い。
遥は、喉の奥で何かを飲み込んだ。
「……どっちでもねぇよ。
どうでもいいんだよ、全部」
玲央菜はそこで、急に表情を柔らかくした。
「うん、そうやって“諦めたふり”するのが、いっちばんウザい。
ほんとは、誰かに“救われたい”って思ってるくせに」
「……思ってねぇ」
「嘘。
じゃなきゃ、“無視される方がきつい”とか、顔に出ないでしょ?」
遥は、はっとして視線を逸らした。
「――見んなよ」
「見るよ。だって、そういう顔するように“育ててきた”の、うちらだもん」
玲央菜の声は、やさしかった。
あまりにやさしい分だけ、遥の中の何かをじわじわと侵食していく。
「ねぇ遥、忘れないでね。
あんたは、“誰にも選ばれなかった子”なんだよ。
それでも――“うちらが飼ってあげてる”の。わかる?」
遥は何も言えなかった。
ただ、拳だけが震えていた。
「ほら、また黙る。……その沈黙、ほんと可愛い。
“あたしに壊されてる”ってわかってて、耐えてんだよね?」
笑っていた。玲央菜は。
美しい顔で、ゆっくりと毒を注ぎ続けていた。