フィル様はフェリ様の代わりに女王となることを決めたようだ。
前王とフェリ様の葬儀の日を決めると、部屋に集まっていた俺以外の全員を追い出した。
トラビスが最後まで何か喚いていたが、フィル様が早急に警備体制を見直せと毅然と言い放つと、ようやく出ていった。
部屋にフィル様と俺の二人きりになる。
フィル様が俺に話があると望んだからだ。
フィル様は椅子から立ち上がり、俺の胸に額を寄せた。
途端に俺の胸が早鐘を打ち始める。フィル様が赤子の頃から触れてきたけど、いつまで経っても嬉しい気持ちになる。傍に寄れば触れたくてたまらなくなる。
俺はフィル様の腰を抱き寄せると、手触りのいい銀髪を何度も撫でた。
フィル様はフェリ様を助けられなかったことを悔いて涙を流した。
本当にお優しい方だ。自分の命が助かったと喜ぶ気持ちが微塵もない。いつも自分を犠牲にして、周りの人を助けようとする。
それに比べて俺の、なんと醜いことか。フィル様を俺の傍に留めおきたいという欲望のために、フィル様を女王にしようとしている。
でも別にいい。フィル様は俺の全てなのだから。
俺がフィル様の耳に触れると、フィル様がくすぐったそうに首をすくめて顔を上げた。
幾度となく見てきたフィル様の泣き顔だが、毎回俺をたまらない気持ちにさせる。笑顔が一番なのは当たり前なのだが、いじめてもっと泣かせたいような、俺のために泣いて欲しいような、意地の悪い気持ちが湧き上がる。
思わず「涙を流すのは俺の前だけにしてください」と願ってしまった。
フィル様は頷いてくれた。そして俺の手を両手で包むと「ラズール、お願いがある」と言った。
「なんでしょうか」
「ラズールと二人きりの時だけ、フィルでいてもいい?二人きりの時は、フィルでいさせてほしい」
「もちろん、よろしいですよ。俺の前では、本来のあなたでいてください。安心して、楽にすごしていただきたい。では俺からもお願いしてもよろしいですか?」
「ラズールのお願い?珍しいね」
「そうでしたか?…フィル様、俺の前では本来のフィル様でいてください。しかし、俺以外の全ての人の前では、あなたはフェリ様として振舞ってください」
「うん?わかってるよ。だってそう決めたじゃないか」
「…バイロン国の第二王子と会うことがあったとしても、フィルと名乗ってはダメなのですよ」
「あ…、わかっ…て…る…」
フィル様が手を落として俯いた。
ひどいことを言ったとは思わない。二度と、フィル様として隣国の第二王子と会って欲しくない。フィル様の気持ちを追い詰めることになるとしても、約束させたい。
フィル様は力なく俺から離れて、ベッドに寝転んでしまった。
軽食の用意をして、部屋には誰も入れるなと命ずるフィル様に返事をして部屋を出た。
フィル様と共に死ぬことも素晴らしいと思っていたが、再びフィル様の傍でお世話をできることになろうとは。隣国の第二王子のことは気にかかるが、俺は嬉しかった。
それなのに翌朝になって、まさかあのような事態が起ころうとは。
翌日の朝早くに、バイロン国から使者が来た。
知らせを受けて客間へと急ぐ俺を見つけて、兵が駆け寄る。
「ラズール様、とりあえず使者の方達には客間に入ってもらいました。こんな朝早くに何用でしょうか…」
「誰が来た?何か言ってたか?」
「一番位の高そうな方は、第二王子だと申しておりました。そして前王崩御の弔問に来たと申してましたが…。しかしそのような気遣いはいらないと、こちらから出した使者が伝えていたはずですよね。なので他に意図があるのかと」
「…そうか、わかった。とりあえずは大宰相に対応してもらおう。しばらくは部屋で休んでいてもらうように」
「はっ」
頭を下げて客間の方へと去る兵の背中を見送ると、俺はクルリと向きを変えてフィル様の部屋へと向かった。
フィル様の部屋が近づくにつれて、だんだんと腹が立ってきた。隣国の第二王子が、まさかここまで来るとは。フィル様を追いかけて来たのか。それほどまでにフィル様のことを想っているのか。
第二王子が来たとフィル様が知れば、必ずや会いに行こうとなさる。フェリ様の代わりに女王となると決めたせっかくの覚悟が揺らいでしまう。俺の傍から離れてしまう。
そんなことを許しはしない。
隣国の王子には、フィル様に会わせずにご帰国願おう。
そう決めてフィル様に会ったのだが、俺の様子がおかしいと気づかれた。
そしてトラビスが余計なことをした。誰も来てはならぬという命令に背いてフィル様の部屋に来た。そして追い返そうとした俺を退けて、バカ正直に隣国の第二王子が来たことを教えてしまったのだ。
「…どういう…こと。まさか、使者って…」
「そうです。バイロン国からの使者は、バイロンの第二王子です」
「リアム…!」
本当に余計なことをしてくれた。
第二王子が来ていると聞いたフィル様は、裸足のまま部屋を飛び出した。廊下を走り階段を駆け下りていく。
俺はすぐさま追いかけたが、フィル様は中々に足が速いのだ。追いつけなくて焦った俺は、階段の上から手を伸ばした。伸ばした手の先から白い光が出てフィル様の背中を突き飛ばす。
フィル様は衝撃を受けて、残り半分ほどを転がり落ちた。強く身体を打ったらしく、起き上がることができない。
階段の上からトラビスが叫んでいるが、フィル様しか目に入らない俺の耳には言葉が入ってこない。
俺はただ、フィル様を止めることができたことに安心した。安堵の息を吐いて、ゆっくりと階段を降りた。