テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
エリーゼとゼリアが修行を始めた同時刻。カイルはラシアの膝枕で完全に骨抜きになっていた。
「気持ちいい。上手なんだね。」
「ありがとうございます。私カイルさんには気持ちよくなって欲しいんです。」
耳元でそっと囁く声がくすぐったくて、カイルの理性はどこかへ吹き飛んだ。頭の奥がじわじわと蕩けていく。
決めた。俺、ここに住もう。
薄暗い洞窟の隅。二人だけの空間のはずが、周囲にかすかに光の粒が揺れていた。
気づけば、赤、緑、水色……宝石のようにきらめくスライムが、周囲を取り囲んでいた。
ぷるり、と音を立てて蠢くスライムたち。次第に数が増え、光がホールの中に散っていく。
その光景を見つめていたラシアの目が一瞬だけ鋭くなる。
チッ。このクソ男を……どうにかして利用してやりたいのに……。
近くで剣を抜く音が響く。周囲の冒険者たちが色めき立ってスライムに飛びかかっていた。
「俺にも狩らせろよ!」
「なに言ってんだ!早いもん勝ちなんだよ!」
叫び声と金属音が飛び交う中、カイルもようやく目を覚ます。
「あのスライムが、属性石をドロップするの?」
「はい。とても綺麗な宝石ですよ。」
「狩ってみるか!」
カイルは勢いよく立ち上がり、手にしていたのは……折れた錆びた剣。
その剣を肩に担ぎ、突撃しようとした瞬間、他の冒険者たちが一斉にスライムへと群がった。
「クソ!俺も宝石欲しいのに!」
必死に頭を回転させ、何かを思いついたカイルがラシアの目の前に躍り出る。
「あ、そうだ!魅了魔法でさ、あのスライム呼び寄せればええですやん!!」
張り切っているカイルと裏腹に、ラシアは顔を俯かせた。
「実は……私の魅了魔法には欠点があるんですよ……」
「欠点?」
「はい。私の魅了魔法は効果が高すぎるんですよ。」
「それっていいことなんじゃないの?」
「それがですね……対象以外のモンスターも魅了してしまうので、今この魔法を使ったら、スライムが大量に押し寄せてしまいます。」
不安げに笑うラシアの横顔を、カイルは呑気に頷きながら見つめた。
「なるふぉどね。でも他に冒険者もいるし、なんとかなるでしょ。早く魔法誓おうぜ!!」
クソが!全部あんたのせいだからな!
「分かりました。試しにやってみますね。」
ラシアが杖を構えると、空気が一気に張り詰めた。杖の先に紫の魔術式が浮かび、淡い光が渦を巻く。
「瞳に映るは、薔薇色の夢。理を忘れ、ただ私を見つめなさい」
呪文を唱え終わると、杖の先からふわりと紫煙が溢れ出した。
「魅惑の囁き」
霧が漂うと同時に、ホールの奥からずるり、と何かが蠢く音がした。
「これで誘うってことか。」
「そうです。カイルさんは戦闘準備をしてください。」
「オッケー。いっちょやりますか!!」
カイルが折れた剣を構えた瞬間、奥の暗がりから無数のスライムが渦のようにうねっているのが見えた。
「なんだあれ?奥にまだいたのか?」
近くの冒険者の声も、どこか震えている。
ぬらり……ずるり……無数のスライムが、ホールの奥を光で満たしながらこちらに迫ってくる。
「ラシアちゃん。」
「は、はい?」
「俺さ、折れた武器しか持ってないから一階に戻ってスケルトンが落とした武器取ってくるわ。」
カイルがそっと後ろを向いた途端、ラシアの手ががっちりと腕を掴んだ。
「なにを言ってるんですか?一緒に戦うって言いましたよね?」
「一緒に戦うのは後にしようよ!」
逃げようとするカイルの肩を、ラシアは力任せに引き戻す。
「なにするの!離してよ!!」
「嫌です!!絶対に離しませんよ!」
この男ふざけやがって……自分から言っておいて逃げるんじゃねぇよ!
奥からの群れの音が、もう至近距離まで迫っていた。
「やばいって!もう来てるんだけど!頼むよ!!」
「一緒に朽ち果てましょう!」
「全然、興奮しないぞ!!早く手を離せ!!」
「嫌に決まってんだろ!全部お前のせいだからな!」
「ラシアちゃんキャラ変わってるじゃん!」
カイルが半泣きで振り返る。その視線の先、スライムの大群が洞窟の通路を完全に埋め尽くしていた。
近くの冒険者が恐怖に顔を引きつらせ、絶叫する。
「逃げろーー!!」
洞窟中に響く悲鳴が、スライムの足音に飲まれていった。
「なんでお前ら、俺に付いてくるんだよ!」
荒い息を吐きながら、カイルの前を走る冒険者が振り返って怒鳴った。
「仕方ないだろ!どこに逃げればいいか分からないんだよ!」
振り向いたカイルの目に、洞窟の奥から溢れ出す色とりどりのスライムの群れが映る。
赤、緑、水色……無数の光が蠢き、地を這うように追いかけてきていた。
「お前らはあの子のところに逃げればいいだろ!」
唾を飛ばしながら叫ぶ冒険者の視界に、遠くのホールに立つ二つの影が見えた。エリーゼとゼリアが、ちょうど修行を終えて剣を納めようとしていた。
「いいから、早く行け!!」
叫ぶ声を最後に、カイルとラシアは冒険者たちを引き連れ、二人の方へと駆け込んだ。
「エリーゼさん!ゼリアさん!助けてください!!」
「なんで二階層でこんな目に遭わなきゃいけないんだーー!!」
叫びがホールに響き渡る。背後からは、スライムの大群が洞窟の空気を押し潰すように押し寄せていた。
色とりどりのスライムが波のように蠢き、その奥からさらに遅れて、同じように逃げたり、狩ろうとしたりする冒険者たちが転がるように続いていた。
エリーゼの目が細く光り、腰の剣を引き抜く音が乾いた洞窟に鋭く響く。
「カイルさんは離れてください!」
「わかった!」
カイルは勢いよく横に飛び退き、息を荒く整えた。だが、モンスターの群れの視線は、ピタリとラシアの後ろ姿を追っている。
「なんとかなったぜ…..」
安堵に肩を上下させて振り返るカイルの横で、必死に走るラシアの叫びが突き刺さった。
「私は!?私のことは!?」
だが、その声を飲み込むように、先頭のスライムがホールに飛び出した。
エリーゼの前に膨れ上がる無数の影。ラシアは慌てて横へ飛び、剣先の死角に逃れた。
蠢く群れの中で、スライムたちは一斉にエリーゼへと視線を向けていた。
「二式・断獄」
鋭く絞り出された声と同時に、振り下ろされた剣が空気を断つ。
瞬間、地面が裂け、洞窟の床を伝って地鳴りのような衝撃が走った。
石床がひび割れ、その隙間を突き破るように力が伝わると、群れの中のスライムたちが内側から砕け散った。弾け飛んだ粘液が青や赤の光を反射させて、天井近くまで飛沫を撒き散らす。
「おい、早く!俺らも離れるぞ!」
奥に潜んでいた冒険者たちが、砕け散るスライムの波の陰から慌てて飛び出した。
一瞬の静寂の後――
小さな金属音のような澄んだ音を立てて、宝石のような輝きが宙を舞った。
赤、青、金、紫――
空気を漂いながら、ゆっくりと地面に降り積もる。
それは、砕け散ったスライムの中から溢れた、大量の属性石だった。洞窟の奥に、淡い光の雨が降り注ぐ。
誰もが息を呑んで、その光景を見つめていた。
「なんとかなりましたね」
エリーゼは額の汗をぬぐい、小さく笑みを浮かべながらひとつ、青白い石を拾い上げた。
「綺麗」
ぽつりと零れた声に、近くの冒険者たちが肩の力を抜いて笑った。
「この宝石はあの子のものだ。横取りはするなよ!」
「そうね。私たちの負けだわ…..」
諦めを滲ませた声が順に上がり、剣を納めた者たちが静かに頭を下げて引き上げていった。
ホールの片隅――
「お前、なんで迷惑かけることしかできないんだ!」
ゼリアの前で、カイルは両膝をつき、地面に正座していた。
「違うんですよ!ラシアが宝石を欲しそうな目をしてたから、協力してあげようと思ったんだよ!コミュニケーションだろ!!」
「少しは反省しろ!!」
「宝石たくさんドロップしたから、ええですやん!!」
人々の苦笑いが、宝石の光に照らされて零れる。
その輪の外――
ひとり黙々と石をかき集めている影があった。
「これは私のものよ…..絶対に離さないわ」
ラシアの瞳は石に映る光を映し、ぎらついていた。その肩に、そっと近づく細い影が手を差し伸べる。
エリーゼが澄んだ青の石を差し出した。
「これもどうぞ。綺麗ですよね」
指先に渡された青い石が、掌でひんやりと光を放つ。洞窟の淡い光を吸って、小さく宝石のように瞬いた。目の前のエリーゼは汗を滲ませ、透き通った瞳で静かに笑っている。
その澄んだ笑顔が、石よりも綺麗で胸の奥がどくんと鳴った。
なんて綺麗……違うたろ!私ばコイツを、利用するんだろ!!
「ありがとうございます」
宝石をバッグに入れて立ち上がった。
「それじゃあ三階層に行きましょうか。」
三階層。
さっきまでの広い空間は跡形もなく、目の前には細く入り組んだ通路が無数に伸びている。天井は低く、ひんやりとした石壁が呼吸のたびに近づいてくるようだった。
「やっと、冒険っぽくなってきたな」
カイルは妙に上機嫌で、足取りもやけに軽い。肩を揺らしながら通路を見渡し、時折鼻歌さえ漏れそうだ。
やっと、戦えるぜ!!
しかし、他のメンバーは表情を引き締めたままだ。
「この階層はトラップが多いので、気をつけてくださいね」
通路の奥で、かすかに影が揺れる。ひょいと姿を現したのは、とんがり帽子にローブをまとい、小さな杖を掲げたミニシャドウメイジ。
その横に、骨の体を滑らかに躍らせるスケルトンファイターが、無音のステップを刻んでいた。
「あれは、スケルトンファイターとミニシャドウメイジっていうモンスターですね」
エリーゼが静かにカイルへ説明するが、カイルの目はスケルトンに釘付けだ。
「俺はあいつをやるよ」
言葉と同時に一歩踏み出す。スケルトンもそれに応じるようにステップを一段と速め、拳を小さく打ち出して構えた。
「相手にとって不足なし」
カイルは手の中の折れた剣をそっと地面に置くと、拳法ゴブリンとの戦いを頭に呼び戻す。ぎこちないが、見よう見まねの拳法の構えを取った。
しかしその動きは、拳法というより妙な体操と踊りの合いの子のようで、スケルトンも一歩も動かず、同じく空を切る拳を振り続ける。
互いに睨み合うというよりも、ただの見せ合いだ。
「何をしているんだ、あいつらは…..」
ゼリアが半眼で息を吐くと、視線をスケルトンから本命のミニシャドウメイジへ移す。
「この狭い道ではファイアーボールを打つと、巻き込む可能性があるので、ゼリアさんは私が合図したときに、すぐに後ろに下がってください」
「分かりました」
足音を殺し、剣を握り直す。メイジは小さく素早く、隙をついて杖を振る。
剣が一度空を切る。ゼリアは肩を小さく揺らし、息を吐くと腰を深く落とした。
腕だけで振るのでは届かない。エリーゼの教えが脳裏をかすめる。
全身の軸を通して、腰と足を使って踏み込む。風を裂くように剣が走り、狭い通路に金属の唸りを残した。
だがメイジは杖を掲げ、魔術式を展開し始める。杖の先端が青白く輝き、風の唸りが低く響いた。
「ゼリアさん!」
ラシアの声が通路に弾ける。ゼリアはすぐさま剣を引き、後方へ飛び退いた。
「ファイアーボール!」
ラシアの杖先から、炎が蛇のようにうねりを描いて突き進む。熱気と光が洞窟の壁を照らし、火の尾が獣のようにメイジとスケルトンをまとめて呑み込んだ。
「あっちい!」
カイルが慌てて後ずさりし、壁際に飛び退く。燃え盛る爆炎と爆風が通路を満たし、黒煙が低い天井に溜まっていく。石の焦げた匂いが鼻を突き、揺らめく残光の奥には、もはや敵の姿はなかった。
戦闘が終わり、足取り軽くしながら進んでいくと、カイルがふと目を細めた。
「ん?」
視線の先には、壁の一枚だけがわずかに浮き上がっていた。表面が他の石とは微妙に違い、擦れた跡がうっすら残っている。
「なんだこれ?」
思わず壁へと近づき、触れてみる。
「とうしたんですか?」
エリーゼが足音も静かに後ろから現れ、カイルの隣で壁を見つめる。
「この壁だけ、なんかあやしくね?」
「そうですね…..ですが、むやみに触ると危ないですよ。トラップかもしれませんし」
エリーゼは眉を寄せ、壁の継ぎ目を指でなぞるように確認した。
「宝箱だったら、どうするのよ!勿体ないでしょ!」
興奮気味に言うカイル。もう頭の中は報酬のことでいっぱいだ。考え込むエリーゼ。瞳は慎重さに満ちていたが、カイルの声がさらに押し寄せる。
「初心者ダンジョンなんだから、トラップもそこまで危なくないんでしょ?」
「まぁ、そうかもしれませんが…..」
「俺も押すよ!良いよね!はい、押しました!!」
言い終えるより先にカイルが壁に両手を当て、勢いよく押し込んだ。
ゴゴゴ…….
奥から低く重たい音が響き、壁がゆっくりと沈んでいく。空気に古ぼけた埃が舞い、石の継ぎ目がなめらかに開かれていくと目の前に通路が現れた。
薄暗く、不気味な雰囲気を感じさせる通路の奥には、金具のついた巨大な木箱があった。