テラーノベル
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「ほら見てよ!箱だったでしょ!」
カイルが勝ち誇ったように声を張り上げ、光る目で奥を指さす。満面の笑みがその興奮を物語っていた。
「気になりますね……」
エリーゼの声には、わずかなためらいと引き寄せられるような好奇心が滲んでいた。
青く鈍く光るその木箱は、通路の終端にまるで主のように鎮座していた。表面に刻まれた金属の装飾が、淡い光を受けてひそやかに輝く。
「どうしたんだ急に」
ゼリアとラシアがその声に反応し、すぐさま駆け寄った。足音が石床を打つたび、閉ざされた空間に緊張が積み重なっていく。
宝箱を見つめる彼女たちの視線に、微かな戸惑いと警戒が混ざる。
「あれ見てよ!俺が見つけたんだぜ!」
彼の声が、わずかに反響しながら天井に跳ね返った。誇らしげなドヤ顔に、まるで子供のような無邪気さが浮かぶ。
だが、ゼリアは眉をひそめたまま、箱を鋭く見据える。
「どう見ても怪しいだろ。罠に決まってる」
「罠かどうかは行ってみないと分からないだろ!」
強気に言うが、その声には、わずかな迷いが滲んでいた。
「ですが、気をつけた方が良いと思いますよ。魔力も何も感じないんですが、なぜか気になってしまうんですよね」
声の奥に小さなざわめきが滲んでいた。何かが胸の奥をくすぐって、視線を離せない
「じゃあ、俺が持ってる剣を投げるからそれでなんの反応もなかったら行こうよ!」
「分かりました」
カイルが剣をひよいっと放る。空気を切る音のあと、金属が床に当たって跳ねる乾いた音だけが響いた。
何も起こらない。通路も宝箱も、沈黙のままだった。
「行こうぜ!」
待ってましたとばかりに迷いなく駆け出す。箱の前に立つと、興奮を隠しきれない笑顔で両手を留め具にかけた。
「中身はなんだろうねえ」
金属の留め具が外れ、蓋が軋む音とともにゆっくりと開いていく。
中にあったのは、ひとつの鍵 そして焦げ茶色の靴。白い紋様が織り込まれている。硬質な革と精緻な縫い目。冒険者の装備とは思えない、格式ある趣だった。
カイルは素早く鍵をポケットに滑り込ませる。
それからくるりと振り返り、誇らしげに靴を掲げる。
「靴が入ってたよ!」
すぐさまエリーゼたちが箱に寄り、息を詰めてその靴を見た。
「この装備は珍しいですよ」
エリーゼが慎重に手に取り、紋様をなぞるようにじっくりと見る。魔力の揺らぎ、素材の滑らかさ。その鑑定はまるで職人のようだった。
「紋様も見たことないものですし、魔力も入っていませんね。でも、なんでこんなに気になってしまうんでしょうか……」
「もういいですかね?履かせてよ!あと、これ早いもん勝ちだから。俺のだからね!」
子供のような得意げな態度に、全員が目を伏せて小さく頷く。エリーゼは溜め息をこぼさずに靴を差し出した。
「効果は履いてみないと、分かりませんね」
カイルは笑顔で受け取り、靴紐を結びながら心の奥で弾けるように期待していた。
立ち上がり、通路に一歩を刻む。
「お?」
一歩、一歩、三歩歩くたびに速度が増していく。
宝箱の周りを走り始めると、まるで空気と一体化したような残像が広がっていた。
「この装備、絶対すごいやつだ!」
興奮の叫びが響いたが、足はもう彼の意志を超えている。通路を駆け回りながら、止まることなく周回を続ける。
「ちょっと、誰か!誰か止めてくれ!!」
足音が重なり、姿がぶれていく。
そのとき、エリーゼが前へと出て、静かに指先をのばした。
「え?」
カイルの服の裾が引っ張られた途端、体が宙に浮く。片手で軽々と持ち上げられ、慌てふためいた。
「大丈夫ですか?」
「う、うん……」
この子、力ありすぎるでしょ……なんで細い体でこんなに力出せるんだよ……怖いよ
靴の挙動が止まると、エリーゼは手を放した。足が地面に戻っても、靴は走る気配を見せなかった。
「この靴、全然ダメじゃん!チェ!」
大急ぎで靴を脱ぎ捨て、元の靴を乱暴に履き直す。
「この靴は私の方で持っておきますよ」
エリーゼが靴を手にして、持っていたバッグを開ける。深く収められたその空間は、普通の収納とは違う光景だった。
「戻りましょうか。」
「はい。」
一同が元の道を戻る中、カイルだけはひとり立ち止まり、ポケットの鍵を取り出した。
「これ絶対ボスの扉とかに使うやつや。」
鍵を凝視した瞬間、その鍵は何事もなかったように手の中から消え去った。
これでボス部屋には行けないはず。早く帰って、ラシアちゃんの家に行くんだ!!
ひとり妄想しながら、カイルは小走りで仲間の背を追いかけた。
四階層の階段前。
空間に漂う魔力が先ほどまでより濃く、冷たく、肌にまとわりつくように感じられた。
階段を塞ぐように、三体のシャドウメイジが立ち並ぶ。そのうち一体の身に纏われた白いローブが、わずかな光を受けて怪しく揺れた。
「珍しいですね。あのメイジは回復魔法を使えるので、先に倒すべきですよ」
エリーゼの声にカイルの顔が一気に明るくなる。
「なら、俺があのメイジをやっつけてやる!さっきの靴を出してくれ!」
受け取った靴の紐を勢いよく締め上げ、足に力を込めると、階段の前の空気が震えた。踏み出した足が周囲の風を切り裂き、瞬く間に加速する。
「回復魔法だけなら、何も怖くねぇ!」
頭の中はすでに勝利の妄想で埋め尽くされていた。
ラシアちゃんにかっこいいところを見せてやるんだ!
渾身の勢いで白いメイジへと一直線に突っ込む。だが、メイジはわずかに杖を傾けただけで、スッと横に避けた。
カイルの体は止まれず、そのまま空気を裂いて階段を駆け下りていく。
取り残された空気の中に、全員の唖然とした顔だけが残った。
「初めて門番を倒さずに、階層を通過する人を見ました…..」
小さく呟いたエリーゼの言葉に、ゼリアの眉がピクリと動いた。
「エリーゼさん。そこは感心するところじゃありませんよ」
気まずい空気を断ち切るように、剣を抜き、杖を握り直す。
階段を塞ぐ残りのメイジが杖を構え直した。
「早く終わらせましょう!ラシアさんは白いメイジをお願いします!」
「了解です」
ゼリアとエリーゼが同時に地面を蹴り、敵の間合いへ飛び込む。刹那、空気がひび割れたように魔術式が展開され、水と氷の魔力が交差した。
地面を這う水が一気に凍りつき、ゼリアとラシアの足首を縛り付ける。
「しまった….」
ゼリアが氷を割ろうと力を込めるが、冷気は皮膚にまで噛みついていた。
エリーゼは魔法が放たれる前に身を低くして一体のメイジへ跳躍し、剣を振り下ろしていた。
刃が黒衣を裂き、血の代わりに魔力の霧が舞う。
だが斬られたメイジは後退し、白ローブの杖先が光を帯びる。傷口が淡い光に覆われ、肉が繋がるように再生していく。
エリーゼは剣を構え直した。静かな瞳に、研ぎ澄まされた光が宿る。
三体のメイジがわずかに頷き合うと、それぞれが杖を上に掲げた。
すると、空間を切り裂くように閃光が爆ぜ、音が吸い込まれる。
光が収まる頃には、三つの影はひとつに重なっていた。先ほどの倍はあろうかという気配を纏い、杖をゆっくりと構える。
「ゼリアさんは早く氷から抜け出してください」
エリーゼの声に、彼女は歯を食いしばる。力で足を軋ませると、氷片が飛び散り、片足が解放される。続けてもう片方も強引に氷から引きはがした。
「すいません。そいつは私が倒します!」
短く息を吐き、視線だけでエリーゼと交わすと、剣を強く握り直す。
足場の氷が割れ、踏み込むたびに細かい破片が跳ねた。距離を詰めたゼリアを、融合メイジが鋭く見下ろす。杖先で空間に魔術式を描き、振り抜く。
灼熱の渦が杖先に生まれ、巨大な火球が唸りを上げて迫った。
ゼリアの目に赤い光が映る。
「ファイアーボール!」
ラシアの叫びと共に、横から火球が飛ぶ。しかしメイジの火球は怯まず、相殺をものともせずゼリアを呑み込んだ。
爆発の閃光が弾け、ゼリアの姿を炎がなぞる。服の端が焦げ落ち、肌が赤く焼ける匂いが漂った。
それでも、剣は地に落ちなかった。短い息が白く揺れ、握った拳に熱が戻る。
メイジが次の魔術を編もうとしていた。ゼリアの呼吸はすでに戦いの間にあった。
「一式・立風」
剣が氷の残響を踏み越えて風を裂く。重みと速さが刃に宿り、融合メイジの胴を一直線に裂いた。
しかし、メイジの身体はすぐに光を帯びて繋がり、杖を握り直す。
「ゼリアさん、下がってください!」
ラシアが杖を前に掲げ、魔術式を走らせる。光の紋様が浮かび上がり、空気が熱を帯びて震える。
「焔よ我が魂の応えよ。炎の剣となりて、目の前の敵を断ち切れ!」
詠唱の終わりと同時に、ラシアの前に形を得た炎の剣は、刃先から赤々と光を滴らせるように揺らめいていた。灼熱の輪郭が生き物のように脈動し、狙いを外さずメイジを捕える。
「ファイアーソード!」
ラシアの声に呼応して、炎の剣は地を裂くような軌跡を描き、閃光の蛇のごとく一気に駆けた。
メイジは慌てて杖を振り、青白い水の剣を編み出すが、未熟な形は熱に触れた瞬間に蒸気を上げて崩れ落ちる。
逃げ場のない一撃が、メイジの腹を正確に貫いた。
メイジは必死に杖を握り、回復の術を繰り出そうとする。
だが、突き刺さった炎の剣が腹の奥で破裂し、噴き出した焔が一気に身体を呑み込む。燃え広がる火勢が、編まれかけた魔術を焼き尽くし、回復の力ごと灰へ変えていった。
「これで終わりだ!」
すかさずゼリアが前に出て、剣で首を断ち切る。
メイジは光の粒子となり、静かに崩れ落ちた。
杖がカランと床を叩き、残響だけが空気を震わせていた。
「一式はもう少しで完璧になりそうですね」
エリーゼがそっと笑みを浮かべ、ポーションを差し出す。
「いえ、エリーゼさんにはほど遠いですよ。」
ゼリアの口元が、氷の残り香を溶かすように緩んだ。焦げた匂いと魔力の残光が微かに漂う。
その背中には確かな成長の輪郭が刻まれていた。
「ラシアさんの魔法も助かりました」
ゼリアの声は柔らかい。言葉の奥に、遠慮のない信頼が滲んでいた。
「いえ、私もこれくらいは活躍しないと迷惑かけちゃうので」
「迷惑なんて思ってないですよ。いつも困らせてるのはあいつだけですよ」
「あはは……」
二人の言葉が静かに笑いへ変わる間、エリーゼは戦場に残された杖を拾ってじっと見ていた。
指先に触れた瞬間、木の感触がすっと手に馴染む。細かい紋様が指の熱を伝い、内側に潜む魔力を呼吸させるように揺れる。
「この杖はラシアさんが持っていた方が良いですね」
「もらっても良いんですか?」
「もちろんです!ラシアさんの活躍がなければ、メイジは倒されていませんでしたから」
差し出された杖を両手で受け取る。木の冷たさの奥に、かすかな温度を感じる。魔力の粒子が指先にまとわりつき、杖の輪郭を薄く光らせた。
「この杖は、すごい効果がありそうですね。私のなんかより、ずっと良い杖です」
「良かったじゃないですか!」
エリーゼがそっと隣に膝をつき、ラシアの肩に近づく。細い睫毛、真っ直ぐな瞳、柔らかい髪の香り。無機質だったはずの笑顔が、わずかに熱を帯びている。
ラシアの胸が一度、大きく脈打った。意志に逆らって波打つ鼓動が、杖を握る手に伝わる。
どうして、コイツのことが気になるんだよ!きもちわりいな!
小さく息を飲み、距離を取るように一歩後ろへ退いた。
「急いで、カイルさんのところに行った方が良いですよね……」
「はい!一緒に行きましょう!」
エリーゼの無邪気な声が空気を変える。重かった胸の奥に、ひとすじの光が差したようだった。
ラシアの手には、新しい杖。胸の奥には、まだ消えない熱とわずかな戸惑い。
次の階層の入り口が、静かにその先を開いていた。
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