「さあ、やりますか!」
気合を入れて、作り付けのクローゼットを開けると、ムワッと空気が動く。
全開にした窓から、爽やかな風が吹き込み、部屋の空気が入れ替わる。心なしか初秋の訪れを感じた。
テキパキとダンボールを組み立て、どこから手を付けようかと悩んでしまう。幸い冬物の衣類は収納ボックスに入っていて、このまま持って行けそうだ。
ふと視線をあげると袋棚の隅にあるアルバムを見つける。
幾つかあるアルバムの中身は、美幸の成長を記録した物はもちろん、政志と付き合っていた頃の写真や、ウエディングフォトまである。
失敗してしまった結婚生活の記録のようで、複雑な気持ちにさせられた。
うれしそうに微笑んでいる当時の自分に、今の現状を教えてあげる事が出来たなら、同じ轍は踏まないだろうと考えてしまう。
ウエディングフォトは棚に戻し、美幸が産まれてからのアルバムをダンボールに入れる。
それから、自分の子供頃のアルバムや両親が残したアルバムを取り出そうとした。
古いアルバムは、表紙も分厚く重量もそれなりだ。
「よいしょっ」と、思わず声が出る。
背伸びをしながらの作業、高い所から引っ張りだすのは、意外と骨が折れる。
重いアルバムを頭の上で掲げる形になり、グラリとバランスが崩れる。
「ひゃあー」っと、変な声を上げて、踏み留まったもののアルバムが手から逃げて行く。
ドンッと重みのある音がして、足元にアルバムが広がった。
「お母さん、大丈夫?」
隣の部屋に居た美幸が心配そうに駆けつけて来た。
「うん、大丈夫、アルバムを落としてしまっただけだから」
「わー、古い写真。これ、お母さんの子供の頃?」
見れば、セピア色にあせた写真には、沙羅の母親の幼き日の姿が写っている。
「これは、お母さんのお母さん。美幸のおばあちゃんにあたる人よ」
「おばあちゃん?」
「そう、美幸が産まれる前に事故で亡くなってしまったけれど、優しい人だった。美幸にも会わせてあげたかったわ」
アルバムの中には、美幸の歳と幾らも変わらない母の姿がある。こうして見ると血筋を感じるほど、美幸ともよく似ていた。
特に似ているものは、誰かの結婚式なのか、集合写真の中にワンピース姿で写っている写真だ。
「この写真のおばあちゃん、美幸によく似ているわ」
「あっ、ホントだ」
押し入れの片づけをしていると、つい他の事をしてしまいがちの悪い癖も楽しい時間を与えてくれる。
「この写真に写っている人たちって、おばあちゃんの親戚かなぁ?」
「そうかもね。お母さんもよく知らないの」
沙羅の両親が結婚する時に、母方の親類から反対があったらしく、駆け落ち同然でふたりは結ばれたらしい。
それ以来、親戚付き合いは無く、葬儀の際にも連絡先のつけようがなかったと、葬儀を取り仕切った伯父からそんな話を聞いた。
「なーんだ、残念」と言って美幸は、興味を失くしたのかアルバムをパタンと閉じ段ボールに仕舞った。
「お母さん、早く片付けしよ」
「そうね」
「ねえ、新しいお家で使うベッドのシーツ買おうよ」
言われてみれば、そうだと思った。
寝室に並んだふたつのシングルベッド。政志とお揃いで使っていたシーツを新しい家で使うのは嫌な気持ちを引きずりそうだ。
「名案ね。明日、早速買いに行きましょう」
「でね。そのまま、新しいお家にお泊りしようよ」
あれから、美幸は政志を顔を会わせないように、夜になるとピリピリして過ごしている。
美幸の精神状態を考えたなら、一日も早くこの家から出た方が良いのかもしれない。
「旅行みたいで楽しそうね。じゃあ、そのまま、泊まれるように荷物を作って持って行きましょうか」
「やったあ」
段ボールの荷物は、予約してある配送業者に頼めばいい。
数日分の荷物があれば、そのまま田辺から紹介してもらった部屋で暮らすことが出来るだろう。
◇ ◇
夜、10時を過ぎた頃、政志は玄関を開いた。
少し前なら、パタパタと足音が聞こえ「お帰りなさい」と沙羅が顔をみせてくれていた。でも今は「ただいま」と声を掛けても誰も応えてはくれない。
自分の過ちのせいとはいえ、政志は孤独感に苛まれる。
リビングに入り、ネクタイを緩めながらソファーに身を沈め「はぁ」と深いため息を吐き出すと、何気なく部屋の隅に積み上げられたダンボールが目に入る。
「えっ⁉」と短い声を上げ、目を見開いた。
すると、パタパタと足音が近づき、リビングのドアから入って来たのは沙羅だ。
「お帰りなさい。ちょうど良かった政志さんにお話があるの」
決して良い話ではないのは、予想が出来る。
政志の心臓はドクドクと早く動き出した。
「話し?」
「ええ、新しく住むお部屋が決まったから、私と美幸は出ていきますが、お願いがあります」
沙羅から何を言われるのか予測がつかず、政志の鼓動は早く打ち続けていた。
「今は美幸もいろいろあったから、政志さんを避けて居るけれど、嫌いにならないで欲しいの」
「もちろん嫌いになんてなるはず無いよ。それに美幸が俺を避けて居るのだって、自分に原因があるのもわかっている。もう遅いかも知れないが、美幸のために良い父親になれるように努力するよ」
その言葉に沙羅は、心底ホッとしたような表情を見せる。
「そう言ってくれて、良かった」
久しぶりに見る沙羅の柔らかな表情に、政志の鼓動は落ち着きを取り戻すも、切なさで胸が締め付けられるように痛んだ。
「それで、この家から引越すのに勝手言って悪いんだけど、美幸の受験のためにこれからもいろいろ手助けをお願いします」
「やっぱり、引越して行くのか? 」
「うん、離婚届を書いた頃は受験まで一緒に住むって言ったけど、あんな事があって、私も美幸も家に居るのに穏やかな気持ちで過ごせないの」
「そうか、そうだよな。……ごめん、本当にバカな事をした。沙羅や美幸に嫌な思いをさせてすまなかった」
自分の気持ちを優先させて半年の同居を願っても、沙羅や美幸の気持ちは離れて行くばかりだ。
それなら、沙羅や美幸が望む形で関わって行きたいと政志は願った。
沙羅は、謝る政志の姿をこれまで何度も見てきたが、今の謝罪は心があるように思えた。
「美幸の気持ちが落ち着いたら、政志さんと会えるようにするから」
「……頼む」
政志は、じわりと涙が滲むのをグッと堪えた。
「沙羅や美幸に……二度と会わないと言われるのかと思った……」
◇ ◇
「おはよう、美幸」
「うーん。おはよー」
沙羅がカーテンを開けると、眩しそうに目をこすりながら、美幸がベッドから起き上がる。
子供部屋の物も粗方片付き、勉強机の上のはガランとしている。
「朝ごはん食べちゃいましょう」
「……お父さんは?」
「もう、仕事に行ったわ。美幸の受験の手助けしてくれるって約束してくれたの。応援しているって言っていたわよ」
「そう……」
あれ以来、美幸は政志を避けて暮らしていた。
今日、新しい家に移るのに、政志には会わないままだった。
思春期の多感な年頃に、父親の不倫や愛人からの嫌がらせは、父親に嫌悪感を抱かせるのに十分すぎる出来事。
親子関係の修復には、時間が掛かりそうだ。
「ねえ、お母さん。わたしお父さんと仲直りした方がいいのかな」
「……いろいろな事があって、美幸がお父さんをゆるせないって思うのもわかるわ。だって、お母さんも美幸と同じような気持ちだもの。暫くして、気持ちが落ち着けば、怒りの感情が薄まって行くかもしれない。その時、美幸がお父さんに会いたいって思ったら、会えばいいのよ」
「うん……そうする。お母さんは? お父さんに会うの?」
「うーん。用事があれば、会わないといけないわよね」
裏を返せば、用事が無い限り会わないという事だ。
言葉の意味を汲み取ったのか、美幸はつぶやいた。
「そうだよね、しょうがないよね」
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