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第三十五章
違和感
―失われゆく日常―
「あー……お腹すいたー。早く朝ごはん食べようよ」
宿の食堂に、琥珀の明るい声が響く。
いつもと変わらない朝。
けれど、その言葉を聞いた蒼紫の表情がわずかに曇った。
「……琥珀」
「ん?」
「でも……あなたは」
蒼紫の言葉に、琥珀は首を傾げる。
そして、いつものように笑った。
「何を言ってるのよ、蒼紫」
琥珀は自分の取り皿を手に取る。
「ご飯ってさ、味だけじゃないでしょ?」
少しだけ間を置いて、続ける。
「みんなで一緒に食べるから、美味しいって思えるの」
「……」
「味はしなくても……みんなで楽しく食べることには意味があるよ」
そう言って、琥珀はにこっと笑った。
そして何事もなかったように席につき、自分の取り皿へ料理を並べていく。
そんな琥珀を見つめ、蒼紫は小さく息を吐いた。
「……本当に、琥珀らしいね」
その呟きは、誰にも届かなかった。
「煉華は何を食べる?」
琥珀は料理を取り分けながら、煉華へ声をかける。
「……」
返事はない。
「……煉華?」
それでも反応がない。
琥珀は首を傾げた。
「ちょっと、聞いてる?」
その様子に気付いた詞葉が、そっと煉華へ近づく。
「煉華ちゃん? 具合が悪いのですか?」
そう言って、詞葉が煉華の手に触れた瞬間――
「……っ!」
煉華の身体が大きく震えた。
突然の反応に、詞葉も驚いた表情を浮かべる。
煉華は慌てて顔を上げた。
「あ……ごめん」
「……」
「考え事をしていて……何?」
「煉華ちゃん……」
詞葉は心配そうに見つめる。
「……琥珀ちゃんが、何が食べたいか聞いていましたよ」
詞葉の言葉に、煉華は小さく目を見開いた。
「あ……」
そこで初めて気付く。
聞こえていなかった。
「……そっか」
煉華は小さく呟いた。
今までなら、当たり前に届いていた声。
それが、届かない。
その事実が、胸の奥に重く残る。
「煉華? 自分でやった方がいい?」
琥珀が心配そうに尋ねる。
「大丈夫」
煉華は微笑んで答えた。
そして、差し出された取り皿を受け取る。
「ありがとう」
ゆっくりと料理を皿へ乗せていく。
いつも通りに。
何も変わっていないように。
「煉華……本当に大丈夫なの?」
蒼紫が不安そうに見つめる。
「出発まで休んでいてもいいんだよ」
しかし、煉華は返事をしなかった。
料理を取り分ける手だけが、静かに動いている。
まるで、今までの日常を守ろうとするように。
そんな煉華の姿を、羅刹は無言のまま見つめていた。
その瞳には、誰にも読み取れない感情が浮かんでいた。
コメント
1件
みぅです🤍🥀 今回、すごく胸が締め付けられました……。 琥珀が「味しなくてもみんなで食べることに意味がある」って言ったとき、逆にそれが切なくて。蒼紫が「琥珀らしいね」って届かない声で言うのも、本当に沁みました。 煉華の“聞こえない”違和感、日常が静かに失われていく感覚が、地の文からひたひた伝わってきて……ラストの羅刹の視線、何を見てるんだろう。 輪廻さんの、感情を押しつけずに描写で語るスタイル、すごく好きです。