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「なんだ、わざわざ来なくても良かったのに」
仕事を定時で終わらせて病院へと足を運ぶと、本を読んでいた課長の片桐が驚いた表情で出迎えてくれた。
強面な理人とは対照的な、穏やかでどこかふわんとした雰囲気を持つ男。年齢は五十代、仕事はそつなくこなす。
本来なら自分より片桐の方が部長に向いている気がするが、本人が昇進の話をすべて断ったらしい。
欲のない男だ。「自分は縁の下から支える方が向いている」と課長の座に留まり続ける男は、年下の理人が先に昇進した時でさえ、自分のことのように喜んでくれた。
……そんな男がひき逃げに遭ったと聞いた時、「なぜ係長(朝倉)ではなく、課長なんだ」と理不尽な怒りを感じたことは記憶に新しい。
「そう言えば、ひき逃げ犯は捕まったんですか?」
「いや……。それが、まだなんだよ」
理人の問いに、片桐は困ったように笑って視線を逸らす。
「目撃者はいたみたいでね。捜査自体は順調に進んでいるらしいんだが……」
「まさか、まだ見付かっていないなんて」
「まぁ、大丈夫だろう。警察に一任しているから。それより、みんなは元気にしているかい?」
話を逸らされ、理人は苦笑しながら萩原の結婚や、新戦力である瀬名の活躍などを掻い摘んで報告した。岩隈の件は伏せたが、萩原の話題には意外なほど興味津々といった様子で聞き入ってくれた。
やがて面会時間を気にしつつ、「何かあったらいつでも連絡してください」と言って理人は立ち上がった。
「部長、しばらく見ないうちに丸くなったね。体型じゃなくて……変な力が抜けているというか」
「そう、でしょうか?」
「ああ。良い表情をしているよ。何かあったのかな?」
「いえ、何もありませんが……」
エレベーターを待つ間、不意にそんなことを言われて首を傾げた。 自覚はない。だが、もし変わったとするならば――。
ふと瀬名の顔が脳裏に浮かび、じわじわと頬が熱を帯びる。
(なんで、こんな時に……っ!)
理人はぶんぶんと首を振り、動揺を悟られないよう無理やり咳払いをした。
「おや、その反応……やっぱり何かあるんじゃないのかい? 私の勘はよく当たるんだ」
「本当に、何でもないですからっ!」
「ふぅん? ……まぁ、いいや。あぁ、そうだ……鬼塚君。朝倉には、気を付けておいたほうがいい」
「……は?」
不意に真面目なトーンで告げられ、理人は怪訝な眼差しを向ける。
だが、片桐はそれっきり多くは語らず、ウインクを一つ寄越しただけだった。
朝倉に気を付けろ? 一体、どういう意味だ。 まさか、課長の事件と関係が――?
エントランスへ向かうエレベーターの中、理人は眉を寄せた。 普段、確証のないことは口にしない片桐がわざわざ名を出したのだ。
これは一度、調べた方がいいかもしれない。 理人が調査を依頼しようとスマホを取り出すと、瀬名から一件のメッセージが届いていた。
【出張が少し延びました。おそらく、25日には帰れると思います】
画面を見つめたまま、理人は思わず溜息を吐いた。 あと五日もすれば瀬名に会える。そう思うだけで心が躍る。 だが、逆に言えばあと五日も「この気持ち」を抱えて耐えなければならない。
「――はぁ、あと五日……か……」
深い溜息に苦笑しつつ、理人はある人物へと電話を掛けた。