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810号室、見上げたネームプレートにはWADAの4文字、最初に来た時には気付かなかったが木製のプレートにはヨットの模様が彫られていた。
(ーーーセーリングが趣味だとか言っていたわね)
重い音が解錠を知らせ木蓮の心臓が跳ね上がった。
「よう、久しぶり」
「よう、久しぶり」
雅樹の首元に残る柑橘系の爽やかな香りが木蓮を包み込み胸が締め付けられた。あの情熱的な夜を思い出す悲しさ。
「入らないのか」
「これ、返しに来ただけだから」
「そうか」
木蓮はショルダーバッグから810号室の鍵を取り出すと差し出された雅樹の手のひらに置いた。心許ない金属音が耳に残った。
「じゃあ」
「じゃあ」
木蓮は雅樹を振り返る事もなく背を向けた。愛おしい女性の後ろ姿を見送った雅樹は音もなく玄関扉を閉めた。力が抜けその場に座り込むとハタハタと涙が溢れて落ちた。カツカツカツと遠ざかるパンプスの足音。
(木蓮)
耳を澄ませばエレベーターの扉が閉まるベルまで聞こえるような絶望感に襲われた。