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急いで走って事務所に向かう。どうやらギリギリ間に合ったようだ。そうして私は息を整え、いつもの笑顔を貼り付けながら、ドアを開ける。
「おはようございます」
「お、おはよーさん!今日はギリギリやったなあ!」
そう言って彼ーー《スワロウテイル》の記録者で私の同僚とも言える男ーー踏分誠一がキッチンから顔を覗かせた。おそらく朝ごはんを作っているのだろう。トーストのいい匂いが漂う。
「…ええ。…少々寝坊してしまって」
彼の笑顔を見るといつもは憎たらしく感じてしまうが、今は、わずかに体が震えてしまうほど安堵している自分がいた。
「ほ〜ん。珍しいこともあるもんやなあ。 …って、どーしたん!?その指!?」
「はあ?指?指がどうし…あ」
しまった。私としたことが。遅刻しそうなことに気を取られて、今朝切った指の手当てをしていなかった。そのせいで、今もなお血が滴っている。
思っていたより深い怪我だったらしい。よく見ると手のひらや服にまで、所々血がついてしまっている。誠一くんはお人好しだから、きっと顰めっ面にでもなっているんだろう。恐る恐る顔を上げると、案の定、いや想像以上に顰めっ面な誠一君がいた。
「…で?その指はどうしたんや?」
「…うるさいですね。今朝落としたティーカップで切っただけです。そんなに痛くないので、お気になさらず」
「人の心配に対して、なんちゅー態度や!…まあええわ。そこに座っとき。救急箱持ってくるから。 手当したる」
そう言って彼はそばの椅子を指す。
「………は!!!???誠一君に!!??手当てをしてもらう!!??…死んでも結構です。自分でできるので、お構いなく」
「失礼なやっちゃなあ!!…まあ問答無用だけどな。大体、利き手の手当ては自分でしづらいやろ」
「くッ…それは…そうですが…」
「たまには甘えるのも悪ないで?ついでに服の洗濯もしとくから、貸せ」
こういう時誠一くんが頑固なのは百も承知なので、仕方なく椅子に座り、羽織っていた服を渡す。
「…誠一くんのくせに、私に命令しないでください。…ですが… ありがとうございますボソッ」
「ん?なんか言ったか?」
「いいえ!!!さあ!!!早く!!!取ってきてください!!!」
「かぁー、なんちゅー態度や!…まあええ、大人しく待っとれよ!」
そう言って彼は、部屋の奥の方に姿を消す。
仕方がない…ほんっとうに!仕方がないので!!!待っててやりましょうか。あの愚か者を。大体、なんで自分の怪我じゃないのに、あそこまで心配できるんですか。自分には関係ないのに。…だから、あの人が嫌いなんですよ。あの人のそういうところが。
ティッシュで止血を試みるが、なかなか止まらない。数分格闘していると、隣から音が聞こえ、恵美まどかが目を覚ます。
「ムニャ…おはよ〜健三」
「おはようございます、まどかさん」
「…って、どうしたの!?その指!?」
眠そうな目から一転、彼は名探偵の名に相応しい、鋭い瞳で私の指を見つめる。さすがはまどかさん、と心の中で称賛をお送りしつつ、誠一君と同じ反応…と少しジェラシーに感じながら、質問に答える。
「…今朝自宅でティーカップを落としてしまいまして。その時に切っただけです。今誠一君が救急箱を取りに行ってくれてるので、お気になさらず」
「え?…てことは、手当てもしないで、そのまま事務所に来たの?」
「…そうなりますね。少しボーッとしてまして。遅刻しそうだったので、慌てて来てしまいました」
そういうと、まどかさんは少し呆れたような、それでいて少し悲しい顔をした。
「…まったく。健三は変なところでおっちょこちょいなんだから。健三が怪我したら、僕はもちろん誠一だって悲しむんだからね」
「…申し訳ございません。以後気をつけます」
悲しんでくれるなんて、優しいことを言ってくれますね。それが本当だったら、私の心はどれだけ救われることか。
「まあ反省してるみたいだし、いいけど。…それで?ティーカップを落とすほど、何を考えていたの?」
鋭くて、何もかも見透かすような瞳が、私の姿を捉える。今朝の夢のことなんて、言えるわけない。夢でこんなに怯えてしまうだなんて、私らしくない。
《オリーブダヴ》のことは、メイハとの一件で、振り切ったはずなのに。今度はまどかさんたちのことで、苦しんでいるだなんて。それに、私のことで、迷惑をかけたくない。
そう思った私は咄嗟に、嘘をついた。
「…いえ、少し疲れていただけです。お気になさらず」
…大丈夫。私は、強いから。
一人でも、きっとなんとかなる。
なんとかする。
そうしなきゃーーー
ーーー私はただの、足手纏いになってしまう。
コメント
3件
神か?いや、神だな(断言)
読了しました。健三さん、今回もツンデレ全開で可愛かったです笑 でも最後の「足手まといになってしまう」という独白がぐっときました。強がってるけど本当は誰かに頼りたいんだろうな…って。誠一くんの「たまには甘えるのも悪ないで?」という言葉と、それに照れながらも素直に「ありがとうございますボソッ」って言うところが大好きです。怪我を心配してくれる二人の優しさに、健三さんの心が少しずつ溶けていくといいなあ。次話も楽しみにしてます!