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ら む ね _ @多忙
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くもねこ☁
303
#鬱
Ravi
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「……お前」
地下牢の出口へ向かっていたアゼリアの足が、止まった。
「……名前は?」
言葉が口から零れていた。
自分でも、 なぜそんなことを聞いたのか分からなかった。
アゼリアは、ゆっくりと振り返る。
鉄格子の向こう。
鎖に繋がれた悪魔は、少しだけ目を瞬かせていた。
「……名前?」
「ああ」
「僕の?」
「他に誰がいる」
「……」
悪魔はしばらくアゼリアを見つめた。
その紫色の瞳が、僅かに細められる。
意外だった。
そんな顔をしている。
まるで。
「天使が悪魔に名前を聞くなんて」
とでも言いたげだった。
アゼリアは少し苛立つ。
「……何だ」
「いや」
悪魔は小さく笑った。
「まさか、そんなことを聞かれるとは思わなくてね」
「答えたくないなら、それでいい」
「いやいや」
悪魔は首を横に振る。
「別に、構わないよ」
そう言って、 彼は少しだけ背筋を伸ばした。
「サリエル」
「……」
「サリエル・ヴァレンティア」
静かな声だった。
誇るでもない。
警戒するでもない。
ただ、 自分の名前を伝えただけ。
「……サリエル」
アゼリアは 無意識に、その名前を繰り返していた。
サリエル。
それが、 この悪魔の名前。
たったそれだけのことなのに。
胸の奥に 妙な感覚が残った。
今まで、 悪魔は「悪魔」だった。
名前なんて 聞いたことがなかった。
名前を知る必要などないと思っていた。
敵なのだから。
倒すべき存在なのだから。
けれど。
「……」
サリエル。
その名前を知ってしまった。
ただそれだけで、 目の前にいる存在が ほんの少しだけ、 違って見える。
「……あなたは?」
「……」
今度は、 アゼリアが目を瞬かせた。
「私?」
「うん」
サリエルは当然のように頷く。
「あなたの名前は?」
「……」
アゼリアは答えようとして、 止まった。
名前。
自分の名前。
そんなもの、 答えればいいだけなのに。
なぜか 躊躇した。
目の前にいるのは悪魔だ。
敵だ。
それなのに、 自分の名前を教える?
「……」
ミカリスの言葉が頭をよぎる。
――情を抱くな。
アゼリアは、僅かに眉を寄せた。
「……聞いてどうする」
「別に?」
「別に?」
「名前を知りたいだけだよ」
あまりにもあっさりと言われ。
アゼリアは拍子抜けした。
「……」
本当に それだけなのか。
罠ではないのか。
何か企んでいるわけでは。
「……」
考えれば考えるほど 馬鹿らしくなってくる。
自分は一体、 何を警戒しているのだ。
名前を教えるだけだ。
それだけ。
「……アゼリア」
「……」
サリエルが目を瞬かせた。
「アゼリア?」
「……アゼリア・エリオス」
言ってから、 アゼリアは 自分で驚いた。
「……」
しまった。
そう思った。
なぜ 名乗った。
「……」
サリエルは、 そんなアゼリアの様子を見て。
突然 くすくすと笑い始めた。
「……何がおかしい」
「いやぁ」
サリエルは笑いを堪えながら言う。
「意外と、ちゃんと名乗ってくれるんだなと思って」
「……」
「もっとこう」
サリエルは少し考えるように首を傾げた。
「『貴様に名乗る名などない』とか言うのかと」
「誰がそんなことを言う」
「天使って、そういう感じじゃない?」
「……偏見だ」
「そう?」
サリエルは楽しそうに笑う。
「でも、僕だったら絶対に言うと思うけどなぁ」
「お前と一緒にするな」
「おや」
サリエルが片眉を上げる。
「じゃあ、僕のことを悪魔だからって一括りにするのはやめてくれるのかな?」
「……」
アゼリアは黙った。
「……そういう意味ではない」
「ふふ」
サリエルは笑った。
「まあ、いいけど」
「……」
どうにも 調子が狂う。
アゼリアは眉をひそめた。
目の前の悪魔は 戦場で見た時とは まるで違う。
あの時は、 今にも消えてしまいそうだった。
「助けて」と言った。
それだけだった。
なのに 今は、 こうして普通に話している。
笑っている。
「……」
そのことが、 なぜか 不思議だった。
「アゼリア・エリオス」
突然、 名前を呼ばれた。
「……何だ」
「うん」
サリエルは、 アゼリアの名前を口の中で転がすように呟く。
「いい名前だねぇ」
「……」
「響きも綺麗だ」
「……悪魔に褒められても、嬉しくない」
思わず 反射的に答えていた。
サリエルは、 一瞬だけ目を丸くした。
それから。
「ふふっ」
「……何だ」
「いや」
サリエルは肩を揺らす。
「そう言うと思った」
「……」
「本当に真面目だねぇ、あなた」
「……」
アゼリアは 少しだけ睨んだ。
「お前は……」
「うん?」
「……よく喋るな」
「そうかな?」
「捕虜にしては」
「それは褒めてる?」
「褒めてない」
「じゃあ、悪口か」
「……」
また 笑っている。
「……」
アゼリアは、 ほんの少しだけ 警戒を緩めかけた。
――いや。
違う。
緩めてはいけない。
アゼリアはすぐに自分を戒めた。
目の前にいるのは悪魔だ。
自分が殺さなかった。
だからと言って、 信用していい理由にはならない。
名前を知ったから。
少し話したから。
笑ったから。
そんなことで 何かが変わるわけではない。
「……」
アゼリアは剣に手を添えた。
その動きを サリエルは見逃さなかった。
けれど、 何も言わない。
「……サリエル」
「ん?」
「私は」
アゼリアは言葉を選んだ。
「お前を信用したわけじゃない」
「うん」
「……」
「分かってるよ」
あまりにも簡単に返され、 アゼリアは少し戸惑った。
「……ならいい」
「でも」
サリエルは 少しだけ笑った。
「名前を教えてくれたってことは」
「……」
「僕のこと、ちょっとは知りたいと思ってくれたのかな?」
「――違う」
即答だった。
「……」
「……」
「……」
サリエルが じっとアゼリアを見る。
「……何だ」
「いやぁ」
サリエルは 口元を緩めた。
「必死だなぁと思って」
「……っ」
「違うなら、別にいいけど」
「……」
アゼリアは 何も言い返せなかった。
確かに。
自分は。
必死になって否定している。
それが どうしてなのか、 分からなかった。
「……」
名前を知りたかった。
ただ、 それだけだった。
それ以上でも。
それ以下でもない。
――そうでなければならない。
「……」
アゼリアは、 自分の中に芽生えた小さな疑問を 無理やり押し込めた。
「……今日は、もう帰る」
「そう?」
「ああ」
アゼリアは踵を返す。
そのまま、 地下牢の出口へ向かう。
「アゼリア」
背後から 名前を呼ばれた。
足が止まる。
「……何だ」
「また来てよ」
「……」
アゼリアは振り返らない。
「……必要があればな」
「じゃあ」
サリエルの声が 少しだけ楽しそうになる。
「次は、僕から質問してもいい?」
「……質問?」
「うん」
アゼリアは 少しだけ考える。
「……内容による」
「ふふ」
「何だ」
「いや」
サリエルは 小さく笑った。
「やっぱり、面白い人だなぁと思って」
「……意味が分からない」
「そのうち分かるよ」
「……」
アゼリアは 今度こそ歩き出した。
一歩。
二歩。
地下牢の出口へ。
けれど。
不思議だった。
さっきまで。
この場所は。
ただの牢獄だった。
暗くて。
冷たくて。
一刻も早く出たい場所だった。
なのに。
今は。
「……」
ほんの少しだけ 違って見えた。
――サリエル。
頭の中で その名前を繰り返す。
ただの悪魔だったはずなのに。
今は、 一人の名前を持った存在として その名が残っている。
「……」
アゼリアは ふと足を止めた。
自分の名前を あの悪魔が呼んだ。
たったそれだけのことが。
なぜか 胸の奥に残っていた。
「……馬鹿らしい」
小さく呟いて アゼリアは歩き出す。
背後には サリエルがいる。
まだ そこにいる。
そして。
「アゼリア・エリオス」
また、 名前を呼ばれた。
今度は 振り返らなかった。
けれど ほんの少しだけ 歩く速度が遅くなった。
「……また来てよ」
その言葉を 聞こえなかったことには できなかった。
アゼリアは、 何も答えないまま 地下牢を後にした。
けれど、 この日から アゼリアの中に 一つの名前が残った。
サリエル・ヴァレンティア。
それはまだ、 「敵」の名前だった。
――少なくとも。
この時のアゼリアにとっては。