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ら む ね _ @多忙
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くもねこ☁
303
#鬱
Ravi
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夕刻の訓練場は、 誰もいないと やけに広く感じられた。
昼間は天使たちの声で満たされている場所。
剣と剣がぶつかる音。
翼が風を切る音。
教官の怒号。
訓練を終えた者たちの笑い声。
けれど、 今は何もない。
ただ、 静かだった。
空が ゆっくりと夕暮れに染まっていく。
白かった雲の端が 淡い橙色に染まり、 その向こう側へ 太陽が沈もうとしていた。
アゼリアは、 訓練場の端に腰を下ろしていた。
背中の翼は 力なく畳まれている。
「……」
今日も、 剣を振った。
何度も。
何度も。
けれど、 上手くいかなかった。
身体が重い。
集中できない。
頭の中に、 余計なものが浮かんでくる。
――紫色の瞳。
――黒い翼。
――鎖の音。
――サリエル。
「……」
アゼリアは 空を見上げた。
また あの名前を思い出している。
「……はぁ」
小さく息を吐いた。
その時、 隣に誰かが座った。
「……最近、ぼーっとしてるよね」
「……」
聞き慣れた声。
アゼリアは 横を見る。
「リア」
そこにいたのは、 セリス・オリヴァだった。
アゼリアにとって 唯一の友人。
セリスは 隣に座るなり、 アゼリアの顔を覗き込んだ。
「……何だ」
「何だじゃないよ」
セリスは笑う。
「最近、ずっと変」
「そう見えるか?」
「見える見える」
即答だった。
「今日だってさ」
セリスは指を折りながら。
「剣の振り方、雑」
「……」
「集中力、ない」
「……」
「教官に三回も怒られてた」
「……二回だ」
「二回も怒られてた」
「……」
「あと」
セリスは、 にやりと笑う。
「さっき、木人相手にぼーっとしてたでしょ」
「……見ていたのか」
「見てた」
「……」
アゼリアは ため息をついた。
「暇なのか、お前は」
「リアを見てるのが面白いから」
「……」
「うわ、今の顔」
「何だ」
「いつものリアなら、もっと嫌そうな顔するのに」
「……」
「やっぱり変だ」
セリスは 冗談めかして笑った。
いつもと同じ。
軽い調子。
何も変わらない。
けれど、 その水色の瞳は 笑っていなかった。
心配している。
アゼリアには それが分かった。
だから、 余計に 苦しかった。
「……なあ、セリス」
「ん?」
「……悪魔って」
アゼリアは 空を見たまま言った。
「本当に、全員同じだと思うか?」
「……」
セリスが、 黙った。
ほんの一瞬。
風が吹いた。
アゼリアの白い翼が 微かに揺れる。
「……何、それ」
セリスは きょとんとした顔をした。
「急にどうしたの?」
「……いいから」
「うーん」
セリスは 少し考えるように空を見上げる。
そして、
「ああ」
と。
納得したように頷いた。
「そりゃ、そうでしょ」
「……」
あまりにも 簡単な答えだった。
「悪魔は悪だよ」
セリスは 何の疑いもなく言った。
「倒すべき存在」
「……」
「それが僕らの役目じゃん」
「……そうだな」
アゼリアは 小さく返した。
「生まれた時から教えられてることだし」
セリスは笑う。
「天使は悪魔から世界を守る」
「……」
「だから僕らは剣を持つ」
「……」
「簡単な話じゃない?」
「……そうだな」
また、 同じ言葉が出た。
けれど 今度は、 自分の声が ひどく遠く聞こえた。
「……」
簡単じゃない。
もう、 自分には 簡単じゃない。
セリスは、 そんなアゼリアの横顔を見ていた。
「……リア」
「何だ」
「もしかして」
セリスは、 少しだけ声を落とした。
「疲れてるんじゃない?」
「……疲れ?」
「うん」
「私は別に――」
「最近ずっと前線だったでしょ」
セリスが アゼリアの言葉を遮った。
「休みもほとんど取ってない」
「……」
「今回だって、倒れたんだよ?」
「……」
「僕、聞いた時すごく心配したんだから」
その言葉に、 アゼリアは少しだけ目を伏せた。
「……悪かった」
「だから謝るなって」
セリスは笑う。
「リアって、ほんとそういうところ変わらないよね」
「……」
「何でも一人で背負う」
「私は――」
「そういうところ」
セリスが、 アゼリアの肩を軽く叩いた。
「一回、里に帰った方がいいよ」
「……」
その言葉に、 アゼリアの身体が 微かに固まった。
「……里」
「うん」
セリスは立ち上がる。
「ずっと帰ってないでしょ?」
「……」
「最後に帰ったの、いつ?」
「……覚えていない」
「ほら」
セリスは 呆れたように笑う。
「だから帰りなよ」
「……」
里。
その言葉を聞いた瞬間? アゼリアの脳裏に 一つの顔が浮かんだ。
――ラフィエル。
育て親。
そして、 師。
自分に剣を教えてくれた人。
天使として、 どう生きるべきなのか。
何を守るべきなのか 教えてくれた人。
『迷うな、アゼリア』
いつか聞いた言葉。
『お前が迷えば、その分だけ誰かが傷つく』
『だから、正しいと信じた道を進め』
「……」
アゼリアは 目を閉じた。
ラフィエル。
自分にとって、 父親のような存在だった。
彼の言葉を 何度も信じてきた。
だから 自分は、 今日まで 剣を振ってきた。
迷わなかった。
疑わなかった。
――いや。
疑わないようにしていた。
「……」
そして、 その記憶の中に 別の顔が重なる。
紫色の瞳。
「……」
サリエル。
『助けて』
アゼリアは ゆっくりと目を開いた。
「……」
胸の奥が、 また 痛んだ。
「……私が」
「ん?」
セリスが振り返る。
「……私が、もし」
アゼリアの口から 言葉が漏れた。
「……間違っていたら」
「……」
セリスの表情が変わった。
「……え?」
「私が」
アゼリアは、 自分でも止められなかった。
「私たちが信じてきたものが」
声が 僅かに震える。
「もし」
「……」
「本当は、間違っていたら」
「アゼリア」
はっきりと 名前を呼ばれた。
「……」
アゼリアが 顔を上げる。
セリスは 笑っていなかった。
「考えすぎだよ」
優しい声だった。
本気で 心配している声。
「……」
「リアらしくない」
「……」
「僕らは天使だよ」
セリスは 当たり前のことを言うように。
「守る側だ」
「……」
「正しい側だよ」
その言葉が 胸に刺さる。
「それを疑い始めたら」
セリスは、 アゼリアを見る。
「剣なんて、握れなくなるよ」
「……」
アゼリアは 何も言えなかった。
握りしめた手のひらが、 僅かに震えている。
セリスは それに気づいた。
けれど、 何も言わなかった。
代わりに 少しだけ笑う。
「だからさ」
「……」
「一回、帰ろう」
セリスは 夕暮れの空を見る。
「里に」
「……」
「昔のこと、思い出してきなよ」
その言葉に、 アゼリアは 黙っていた。
「戻ってきたら」
セリスは いつものように笑った。
「また一緒に訓練しよう」
「……」
「今度は、僕が負けないから」
「お前が?」
アゼリアは 思わず少しだけ笑った。
「私に勝てると思っているのか」
「お、やっといつものリアが戻ってきた」
「……うるさい」
「ほら、やっぱり帰るべきだよ」
「……」
セリスは、 先に歩き出す。
夕陽を背に、 白い翼が 赤く染まっている。
「じゃあね、リア」
「……ああ」
「ちゃんと帰るんだよ」
「分かっている」
セリスは 手を振った。
「また明日!」
「……ああ」
その背中を アゼリアは見つめていた。
セリスは 何も知らない。
サリエルのことも。
自分が悪魔を助けたことも。
そして、 自分の中に生まれた疑問のことも。
知らない。
知らないからこそ。
あんなふうに 笑える。
「……」
アゼリアは 再び空を見上げた。
――里に帰る。
その言葉が 頭の中に残っている。
そして、 その場所には ラフィエルがいる。
自分を育て。
自分に剣を教え。
自分に「正しさ」を教えた人。
「……」
会いたくない そう思った。
けれど、 同時に 会わなければならない気もした。
自分が今、 何を信じればいいのか 分からないから。
「……先生」
小さく呟く。
夕暮れの空に、 その声は消えていく。
アゼリアは まだ知らなかった。
これから帰る場所が、 自分にとっての「始まり」だったことを。
そして、 その場所で 自分が信じてきた「正しさ」が、 もう一度 大きく揺らぐことになることを。