さて、鷹丸が去りし後の教会では、シスターたちが何やら慌ただしく動いておった。
ひと際静けさの中、そっと小屋から抜け出したのは、若きシスター澄音でございます。
彼女が足早に立ち去ろうとしたその時、灯りがちらちらと近づいてまいりました。
現れたのは一人のシスターのお清にございます。
「澄音、あなたここでいったい何をしていたのです?」と問いただす声に、
澄音はぎょっと振り返り、か細い声で答えた。
「は、はい、私は眠れなくて夜風に当たろうと庭へ出たのでございます。
そうしましたら、小屋から何やら大きな音がしまして……」
これを聞いたお清は驚き、顔を曇らせて申した。
「なに!? 小屋から音が……?」
慌てて懐から鍵を取り出し、小屋の扉を開け放つや、
そこには無惨にも天井板が落ちておるではございませんか。お清は息を呑み、困惑の面持ちで問いただす。
「これは……いったいどうしたというのか? 誰かが入ったのでしょうか?」
澄音は俯き、首を横に振りながら
「私には何も分かりません。ただ、音がしたのを聞いただけで……」
お清はすぐさま厳しい口調で申しました。
「とにかく、シスター長に知らせなくては。澄音、あなたは部屋に戻り、休みなさい」
「……はい」と短く答え、澄音は深々と頭を下げてその場を後にする。
部屋に戻った澄音は、胸元の十字架を強く握りしめ、瞳を閉じて思い悩んでおりました。
――嘘をついてしまいました。これで本当に良かったのでしょうか?
心に芽生えたその迷いが、彼女の小さな肩を静かに震わせておりました。
翆緑の猫娘を描いたあの絵――呪いの絵と呼ばれるそれに、澄音はどこか悲しみを覚えていました。
教会で保管されているのは、災厄を世に放たぬため。しかし、いつからか澄音の中には、
あの絵がただの災いの象徴ではなく、何か言葉にできない哀れみを宿しているように感じられていたのです。
「あなたは、本当に呪われているのでしょうか……?」
さて、教会に騒ぎが起こりしその夜、シスターのお清は急ぎ足でシスター長サヨリの元を訪ねました。
「シスター長様、お目覚めでしょうか?」
先の騒ぎに気づいておったサヨリは、既に起きて蝋燭の光の中で待っておりました。
「お清、これは何の騒ぎですか?」
「はい、実は小屋に何者かが入ったようでございます。」
「なんですって……それで、例の絵画は?」
「ご安心ください。無事でございます。」
サヨリは窓の外に目をやり、静かに息を吐きながら申しました。
「あの絵画は、決して世に出してはならぬもの。
翠緑の輝きを帯びるあの絵がもたらす災い……それがどれほど恐ろしいものであるか、
知る者は少ないでしょう。私たちの手で守り続けねばなりません。」
その言葉に、お清は思わず息を呑みました。サヨリの声はいつもの穏やかさを湛えながらも、
どこか冷ややかな重みがありました。視線を窓に向けたまま、サヨリの横顔はまるで何か
遠い記憶を辿っているようにも見えます。その瞳の奥には、微かな恐れと決意が宿っているようでした。
お清は深く頷き、即座に申しました。
「はい、すぐに小屋の修繕と警備を強化いたしましょう。外部から誰か警備の者を雇いますか?」
サヨリは少しの間、考え込みましたが、やがて首を横に振り申しました。
「いいえ、外部の猫をこの敷地に入れるのは避けたいのです。」
「分かりました。それでは、私たち自身で見回りを強化いたしましょう。」
「今は神父様が不在ゆえ、くれぐれも気をつけてください。
あの絵画が狙われている以上、何が起こるか分かりません。」
教会の神父は布教活動のため何日も戻っておりませんでした。
「承知いたしました。」
そう言ってお清が部屋を出ようと扉に手をかけた時、ふと視線が止まりました。
「あら、これは……」
扉に一枚の葉っぱがへばりついておるではありませんか。お清はその葉を手に取り、首を傾げながら申しました。
「私の服についていたのが落ちたのでしょうか。」
葉を拾い上げたお清は、そのまま廊下を進み去っていきました。
だが、その様子を外の木陰に潜む鷹丸がじっと見ておることなど、教会の者たちは知る由もございません。
鷹丸は、そのやりとりを耳にしながら、口元に小さな笑みを浮かべた。
『絵を守る? それほどの代物か……』と、心の中でつぶやきました。
斯様(かよう)にして、教会の静けさの裏で、得体の知れぬ者が忍び寄る夜は更けていったのでございます。
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