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樹海――生者と死者の境界が曖昧になる場所。
濃藍の霧が立ち込め、枝は低く垂れ、かすかな風が葉を揺らす。
樹々が、まるで静かに息をしているかのようだ。
水の魔女「もうすぐ日が落ちるわ。今日はここで野宿しましょう」
私の提案に、相棒のカレンは
カレン「賛成!薪を拾ってくるよ」
と軽く手を振って深い霧の中へと消えていった。
寝所の準備を終えた頃、辺りは濃藍(こいあい)に包まれていた。
不安がよぎった瞬間、背後から
カレン「うらめしや〜」
水の魔女「きゃあ!」
と拳を飛ばす
カレン「痛ってぇ!」
そんな騒がしいやり取りをしながら、彼女が熾した火が、夜の静寂を照らし始めた。
シャリン……シャリン……。
澄んだ鈴の音が響く。
私はカレンを制し、火を消した。
亡き者たちが彼岸へ向かう列だ。
生者の火に惑わされれば、彼らは永遠に彷徨うことになる。
息を潜め、音が遠ざかるのを待った。
だが、闇はまだ終わっていなかった。
少女「ねぇ、お母さんはどこ?」
一寸先も見えない暗闇から、か細い少女の声がした。
カレンが再び灯した火に浮かび上がったのは、透き通るような肌をした、列に乗り遅れた迷い子だった。
少女を連れて、私は森の奥にある古い民家へと向かった。
男性「誰だ……」
扉を開けた男の姿に、私は息を呑んだ。
男の服は汚れ、部屋の中には、無数の継ぎ接ぎだらけのぬいぐるみが転がっていた。
男性「娘は……熊に襲われて死んだ。
あの子が最後に抱いていたこの人形だけが、ボロボロで見つかって……」
男の指は、針仕事で傷だらけだった。
男性「私が、もっと早く猟から戻っていれば……。
せめて、この人形だけでも元通りに直してやりたいんだ。
そうすれば、あの子が帰ってくる気がして……」
男の目の前で、
少女「パパ、泣かないで。私はここだよ」
腕は虚空をすり抜け、父の指先には届かない。泣きじゃくる娘の存在は確かにそこにあるのに、触れられない――そのもどかしさが、胸を締め付ける。
男が必死に繕っているのは、娘の「死」そのものだった。
私は、過去に、最愛の人を亡くした。
その事を思い出し、居ても立ってもいられなかった。
私は懐から、銀細工の眼鏡を取り出した。
水の魔女「これを使ってください。
旅の魔女からの、せめてもの贈り物です」
眼鏡をかけた瞬間、父の世界は白黒から鮮やかな色彩に変わった。
娘の頬の赤、手の温もり、涙の煌めき――すべてが確かに存在している。
男性「……あ……ああ、あぁ……!」
少女「パパ、ただいま! お人形、直してくれてありがとう!」
少女「おかえり……おかえり、私の宝物……っ!」
男は震える手を伸ばした。
魔法の眼鏡が、二人の境界線を一時だけ溶かし、男の指先に、確かに娘の肩の温もりが伝わった。父親の枯れ果てたはずの涙が、娘の透き通った頬を濡らす。
私は、二人の輪郭が光に溶けていくのを最後まで見届けることなく、静かにその場を去った。
森の入り口に戻ると、カレンが大きな欠伸をしながら待っていた。
カレン「おーい、相棒! どこ行ってたんだよ、腹減ったぜ」
水の魔女「……少し、忘れ物を取りに行っていただけよ」
私が目を伏せると、カレンは何も聞かずに、カレン「そうかよ」
とだけ言って、私の頭を乱暴に、けれど優しく撫でた。
彼女の掌には、私が消したはずの焚き火の温もりが、まだ微かに残っていた。
水の魔女「……さあ、行こう。次の街へ」
朝日が樹海の霧を透かし、私たちの足元を照らす。
過去の悲しみも夜の闇も、少しずつ溶けていくようだった。
そして私たちは、新しい一日と共に、静かに歩き出した。
今日も、誰かのために、光を灯すのだった。
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水の魔女セレン(瑟伦)