「これは……」
紅色と淡い桃色を旨くあしらった愛らしい、つまみ細工の花が取り付けられているかんざしに、月子は目を見張る。
「……中村が、学校にやって来て髪飾りの話をした。練習は各自自習ということにして、急いで小間物屋へ買いに行った。気に入ると……いいのだが……」
岩崎が、ボソボソと事の次第を説明した。
「まあ!旦那様が?!わざわざ……」
月子は微笑むと、箱のふたを閉じて、
「早速、お咲ちゃんに見せて来ますね。喜びますよ!」
と、嬉しげに居間へ向かおうする。
「お、お咲?!ちょ、ちょっと、待ってくれ!」
芳子が用意してくれた舞台衣装にもぴったりだと月子は喜んでいるが、岩崎は、焦り尽くして月子へせめ寄った。
「あっ、でも、旦那様もお戻りですし、芳子様もいつまでも留守番事でこちらにいらっしゃる訳にもいかないですね……」
「いや、だからなっ、なぜ、お咲なんだ?!」
「これ、子供用じゃないですか?旦那様こそ、何を仰ってるのでしょうか?」
「こ、こ、子供用?!そ、それがっ?!」
岩崎は、裏返った声をだし、その場にへたりこんだ。
「小間物屋の主人に、娘の小物を選んでくれと頼んだのだ……その方が、間違いないと思ったのに……それが何故、お咲?!わ、わ、私は、君に、君のために、月子のために!演奏会に着けて欲しくて買いに行ったのだよっ!!」
ああ、と呟く岩崎は、魂が抜けたと言って良いほど力なく宙を見上げ、挙げ句、自分はどうすれば良いのだろうと、月子に尋ねる始末だった。
「えっ?!こ、これ……」
事情を知った月子は、言葉がない。
一体全体、どういうことなのかと、頭を悩ますが、ふと、岩崎が言った、娘の小物という部分が引っ掛かった。
もしかしたら……。小間物屋は、岩崎が言わんとした、月子、すなわち、若い娘か使う物、ではなく、岩崎の娘、子供の為に、花かんざしを選んだのではなかろうか?
そう考えると、話の筋が通る。
ぶっと吹き出しそうになるのを堪え、月子は、さあ、などと口を濁した。
「月子様?」
襖が小さく開けられ、清子がこっそり覗いていた。
きっと居間にも岩崎の声が聞こえたのだろう。
心配そうにしているが、清子も笑いを堪えているようだった。
「え、え、えっと、と、ともかく、お咲ちゃんが舞台衣装に着替えていますので、折角ですし、こちらを合わせてみるのはいかがでしょうか?」
月子は、崩れこむように座り込んでいる岩崎へ寄り添うよう、腰を下ろし、機嫌を取ってみる。
「……そうか……好きにしなさい……」
よほど堪えたのだろう。岩崎は、誰に語るわけでもなく心ここにあらずの状態で言った。
そっと、清子が部屋に入って来て、月子から子供用の花かんざしが入っている箱を受けとると、岩崎の逆鱗に触れないようにと、抜き足差し足で部屋から出た。
「旦那様……?」
「月子……すまん。私は月子とは歳も親子ほど離れているのに、何をやってるのだろうか……ああ……」
すっかりしょげ返り、岩崎は俯いている。そして、
「……それか。そこか。親子ほどの歳の差……。小さい娘、子供が私にいても不思議ではないということなのだな。折角……髭を剃ったのに……。歳の差は、失くならない。月子とは親子に間違われるままなのだろうか……」
岩崎は、いきなり本音と言える胸のうちを月子へ吐き出した。
「歳の差……、親子……」
何をやってもダメだと肩を落としきる岩崎の姿に月子の口は動いていた。
「そんなこと!そんなこと関係ありません!そして、旦那様と私は、親子になんか見えません!だ、だって、だって!私達は、恋仲ですよっ!!」
勢いよく言い切った月子を、岩崎は顔を上げて、じっと見る。
「……恋仲……」
そう岩崎に言われ、月子は、初めて自分が口走った事を理解した。
どうしようもなくなり、口元を袖でおさえ、おろおろする。顔は一気に火照る。
ははは、と岩崎が笑った。
そして、コツンと月子の額に岩崎の額を添え、互いの額を合わせたまま、
「そうだった。私たちは、恋仲だ。今回は、失敗したが、次は……月子、一緒に店へ行こう。月子の好きな物を選ぶといい。恋仲だからね?」
「……は、はい」
恥ずかしさに襲われつつ、月子は小さく岩崎に返事した。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!