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あらぁーーーー!と、芳子の嬉しそうな声が居間から聞こえる。
「桃太郎ーーーー!にくーー太郎ーー!」
続けて、お咲の唄声が流れる。
「……何でにくーー太郎ーー、なんだ?」
岩崎が、額を月子と合わせたまま、問いかける。
余りにも近すぎた。
月子は、恥ずかしさに我慢できず、体を離すが、自然に耳に入って来るお咲の、桃太郎ではなく、にく太郎の唄に笑いが込み上げてしまい、うっかり、声をあげて笑ってしまった。
「な?変だろう?なぜ、肉なのだ?」
いや、そこではなく……と、岩崎に言い返せないほど、月子は笑っている。
そこへ、
岩崎が、ポンと月子の頭に手を置いた。
「月子。笑えるようになったな。いや、そうじゃないな。こんな面白味のない私を相手にしてくれて、ありがとう。笑ってくれて、私は嬉しいよ」
「……旦那様……」
月子の視線の先には目を細める岩崎がいた。先程とは売って変わって、本当に嬉しそうにしている。
「……演奏会が終われば、祝言の話をきちんとしよう」
「し、祝言?!」
岩崎は、けじめは大切だ。そして、祝言を挙げて……と、そこで言葉を止めた。
「あ、あの、祝言……」
月子は、口ごもる。岩崎の言う通りなのだ。見合いをしたのだから、祝言を挙げる。ただ、それだけなのに、なにか、落ち着かなかった。
それは、岩崎も同じくのようで、プイとそっぽを向いたり、俯いたりしながらも、意を決したのか言葉の続きを言う。
「幸せになろう。そして、月子にはいつも笑っていて欲しい。今のようにね。笑いの絶えない……家庭を……作りたい」
ど、どうだろうか?と、岩崎が月子を伺って来る。
異存などない。
「……は、はい」
月子は、恥ずかしさを堪え、岩崎に返事をした。
アハハハと、これでもかと居間から、芳子と清子の笑い声が聞こえてくる。
「……まあ、笑っているのだからよしとしても、大きすぎるだろう!私の声が大きいと言えた義理ではないぞ!」
照れ隠しを兼ねてなのか、岩崎の口調は、どこか取ってつけた感じで、お決まりの、プイとそっぽを向いてくれた。
「旦那様……居間へ戻った方が……」
「そうだな」
二人はぎこちなく頷き合うと、部屋を出た。
そして、居間では、舞台衣装となる新しい着物に、かんざしまで買ってもらえたと、お咲は、ご機嫌を越えたのか、桃太郎ではなく、自分が作ったにく太郎の唄を披露している。
「あーー!可笑しい!!お咲ちゃん!そのお唄も、明日、舞台で唄えば良いわっ!」
芳子は、畳に転がりそうになりながら大笑いしていた。
清子も、立場上、必死に我慢していたが、それも、どうやら限界のようで、ぶっと大きく吹き出してしまう。
「なんですかっ!義姉上!お咲をその気にさせないでください!桃太郎だけで、いいでしょう?!」
居間へ移った岩崎が、憮然と言っている。
「あらぁーーーー!いいじゃないの?!楽しくて!」
すると、柱時計がボーンと鳴った。
「奥様?京介様も戻られたことですし、お咲の衣装合わせも終わりました。私達は、そろそろ……」
「そうね、あっ!!清子ダメよ!!月子さんの着物を!!」
あっと、清子も忘れる所だったと慌て、風呂敷包みから、月子様に寸法直しした、着物を取り出した。
「季節に合わせて、撫子柄にしてみました。大和撫子……。月子様らしいでしょ?」
いかがです?と、意味深に、清子は着物を広げながら、岩崎を見る。
「私は、月子さんだから、お月見柄、月とススキが、いいんじゃないかと思ったんだけど、奇抜すぎるって、清子どころか、他の女中まで言うのよねぇ。だから、撫子柄にしたんだけどぉ、地味じゃない?」
芳子は、選んだ着物を月子が気に入るかどうか心配そうにしている。
畳に置かれた着物は、淡い空色に紅色の撫子の花が、ここぞとばかりに飛び交っている意匠のものだった。
決して地味の類いには入らない、しかし、派手ではなく、ハイカラ、モダン、今風、そんな言葉が相応しいもので、月子はその美しさに見入ってしまう。
これを自分が着るのかと思うと、少し緊張する、艶やかでそれでいて可愛らしい物を、芳子は選んで持って来てくれたのだ。
「あーー、月子さん?もったいない。とか、わたしには。とか、謙遜めいたことは言わないのよ!あなたに、ぴったりだと、私も、皆も、思っているわ。当然……」
ニンマリ笑って芳子は、立ち上がる。
「清子、京介さんのタキシードと、中村さんへお貸しするものを……。あとは、京介さん、お願いね」
ふふっと、芳子は笑むと居間から出て行く。その後を清子が追った。
こうして、居間に残された岩崎と月子は、もじもじしなから、置かれている着物に目をやった。