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#執着
猫とろ
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金子りさ
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いっそ『知佳と俺は結婚している』と言えたなら、こんな面倒なことは起きなかったのだろうかと思った。
女子社員たちが俺の存在に気づき、落ちた紙を拾い集めるのを手伝ったあと、少し話をしてから彼女たちはそそくさと出て行った。
それを見送り、俺はまだ備品室の壁に背中を預けていた。
「せっかくのキスの余韻も台無しだな」
はぁ、とため息をつき、指先で自分の唇をなぞる。
──知佳は最近、どんどん綺麗になっていく。
掲示板の前に居た知佳の俺の知らない唇の艶めきと、その爪先に、どうしても気持ちが湧き立ってしまった。
綺麗になることは、一般的には良い変化だと捉えられるのだろう。だが、俺は違う。どうしてもそのように思えなかった。
その変わりようが知佳の心にまで影響し、契約結婚という|楔《くさび》を、いつしか振り切って行ってしまうのではないかと恐れているからだ。
「だから、変わらなくていいと言ったのに」
いっそ、家に閉じ込めてしまえばいいのだろうか。夫婦生活を円満にするためにと、知佳を口先三寸で言いくるめてしまおうかと本気で考えてしまう。
唇に触れても、先ほどまで感じられていた知佳の柔らかな感触はまるでない。
それどころか、口内と胸の奥には、苦渋にも似た雑味がまとわりついていた。
その雑味とともに、新たな懸念事項が頭をよぎる。
紙を集めるとき、手伝うと申し出てきた彼女たちから聞いた、インフルエンサーの『ウエハラ』なる人物のことだ。
その人物のことに探りを入れながら、合コンには興味がないことも伝えた。
最後には「誰かの悪口を言うのは感心しない」と、知佳へのヘイトにやんわりと釘を刺した。
本心としては、やんわりどころかキツく怒鳴りつけたい気持ちはあるが、そうすると余計に敵対心を煽るかもしれなかったのでやめておいた。
「全く……」
|些《いささ》かささくれた気持ちと、彼女たちから引き出した情報を整理するには、ここの空調機が低く響く、静かな音が向いていた。
どうせ早く戻ってきたのだ。部署に戻る時間には十分な余裕がある。
眉間を軽く揉んで、瞳を閉じた。
棚から紙束をわざと落としたのは、備品庫から知佳を逃すため。
もう一つは、女子社員たちが喋っていたインフルエンサーの『ウエハラ』という人物のことを聞き出すためだった。
SACRAで俺が知っているウエハラという名前は、上原専務のみ。
自分の娘である上原|杏莉《あんり》と俺を結婚させようとした人物だ。
だからこそ、どうしても『ウエハラ』という名前が気になった。
お喋りな彼女たちから、話を聞き出したいと思ったのだ。俺は上原専務には、すでに知佳との結婚を伝えている。
上原専務は驚いていたが、一応の祝福はしてくれた。
お互いに禍根を残すようなことはなかった。
元より俺の実家のことを知っていて、俺の父とのパイプが欲しかったような節があったが、そこは黙して語らず。
そこで下心を出すほどの、浅はかな狸親父ではなかったのだろう。
上原専務とはそういった表面的なやり取りしかしていなかったため、俺と結婚させようとしていた専務の娘のことはあまり知らない。
顔は一応、結婚を勧められたときにスマホの画像で見せてもらっていた。
今時の細いアイドルみたいな容姿は華やかで美人だとは思ったが、どこか作り物臭いと感じてしまったのを覚えている。元より知佳にしか興味がなかったから、記憶も朧気だ。
あとは、海区あたりでイベントオーガナイザーなどをしていると専務から聞いていたくらいか。
「イベントオーガナイザーなんて怪しい肩書だが、インフルエンサーだったらあり得るな。それがインフルエンサーの『Uehara』──正体が上原専務の娘だとしても、おかしくはないか」
眉間から手を離してそっと瞳を開け、ポケットからスマホを取り出す。
先ほど備品室で女子社員たちから聞き出した情報を頼りに、まずは彼女たちのアカウントを検索した。ものの五分ほどで特定することはできたが、その画面を見て俺は思わず絶句する。
「おいおい。仮にも法務部のアシスタントとして働く人間のSNSにしては、運用がザル過ぎるだろ」
スマホを握り締め、画面に映し出された投稿の
数々に呆れるしかなかった。
会社を一歩出たらプライベートだ。
そのプライベートに口を挟むつもりはないが、SNSのアイコンはやたらと胸を強調されたもの。
投稿された画像や文章の端々には、SACRAで働いているという『匂わせ』のアピールが散りばめられている。
よく見たら社員証が見切れていたり。SACRAの非売品グッズの写真が多数あったりと、『一流企業で働いています!』ということを暗に自慢しているアカウントだった。
「俺が前にコンプライアンス研修をしたのは覚えていないのか。寝ていたのか? こんなの、SACRAの人間だと側から見れば一発でバレるな」
そんな彼女のアカウントに近づいた『Uehara』は、一流企業で働くキャリアウーマンたちの流行りが知りたいという名目で、色々と彼女から社内情報を引き出していたようだった。
流石にその内容までは彼女も言わなかったが、終始目が泳いでいたので、個人的なことを多々喋ったのだろう。
「一体、何を喋ったんだ。それに、コンタクトを取られたのは彼女だけなのか……?」
真実はまだ分からない。
はぁ、と壁により深く背中を預ける。
なんならこのまま座り込んでしまいたいほどだが、握りしめたスマホの画面をタップして、次は『Uehara』のアカウントに切り替えた。
そこには、顔こそ映っていないものの、絵に描いたような『海区系女子』の世界が広がっていた。
ハイブランド品や高価なジュエリーに包まれながらの海外旅行。流行りの食べ物にコスメ。
そして、企業案件であろう美容関係の数々のアピール。
「フォロワー二十万人超えは、確かに凄いな」
しかし、それがどうしたという気持ちもあった。
「フォロワーの数なんて、金で買える」
数はどうにでもなる。
それよりも、さっきの雑なアカウントとは違って、『Uehara』のアカウントは個人情報がキッチリと守られていた。
どれだけ指を下に動かして画面をスクロールしても、個人を特定できる情報は見当たらない。
出てくるのは煌びやかな画像と、それに釣られて『Uehara』に憧れる女性たちのコメントばかりだった。
「そんな人物が、SACRAの女子社員と繋がりたがる理由……」
深呼吸して、部屋の無機質な棚たちを見渡して考えを巡らせても、これだと思う理由は浮かばなかった。
「本人に聞けば一番早いが、現時点でこちらからコンタクトを取っても仕方ない」
不明瞭なことが多すぎる。ここは専務に会ったときに、娘についてそれとなく探りを入れるくらいが現状のベストだろう、と結論づけた。
あとは、家に帰ったら知佳へのフォローをどうするか。それが一番重要だと思った。
そしてようやく壁から背を離し、足元の荷物たちを手に取って部署に戻ろうとした。
プライベートな思考から仕事の思考へと切り替える、僅かな瞬間に浮かんだのは、知佳の笑顔。
今も昔も、その笑顔だけを独占したいというだけなのに、そんな簡単なことができない俺はまだまだだな、と思うのだった。
コメント
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おつかれ〜! 第22話読んだよ。 主人公の独占欲と不安がすごくリアルで、特に「変わらなくていいと言ったのに」のとことか、知佳への執着がひしひし伝わってきてグッときた。あと、ウエハラの正体に徐々に迫ってく展開、スリリングで好き。インフルエンサーのアカウントがやたらザルだった話も「それな」って思ったわ笑 知佳との関係、どうなるんだろ…続きめっちゃ気になる🔥