「ああ、バーバラ様が羨ましいですわ」
「あんなにも優秀なスヴェン殿下という素敵な婚約者をいらして、わたくしの婚約者にも見習ってほしいくらいです」
ああ、まただ。
またスヴェン殿下の外面の良さに騙されているご令嬢たちがいる。
バーバラは内心ため息をつきたい気持ちになりながらも、スヴェン殿下の話題に夢中になっている令嬢たちに尋ねてみた。
「あらスヴェン殿下のどんなところを評価されているのかしら?」
「それは、」
「バーバラ様の前では少し申しづらいと言いますか」
婚約者の前で言っていいものかと令嬢たちは顔を見合わせている。
「気にしなくていいのよ。婚約者が他の方達からどう見られているのか、少し気になっただけですの」
バーバラから気にしなくていいと言われ、ひとりの令嬢が勢いを持って口にした。
「スヴェン殿下はなんといっても、どんな者に対しても優しく接していらっしゃいます。それになによりかっこよくて、目の保養になります!」
「いつも穏やかな笑みで私たちの話を聞いてくれて、とてもありがたいと生徒会のメンバーも言っていましたわ」
「わたくしの婚約者も真面目で優秀な殿下をいつも尊敬しておりますよ」
スヴェン殿下は確かに見目がよい。闇夜を思わせる漆黒の髪をひとつに結い、目力がある。肌も色白で、10人に美男子かと尋ねると10人ともそうだと答えるほどの容姿だ。
一見冷たそうな顔つきに見えるが、優しそうに微笑むとかっこいいのだと以前、令嬢たちが話しているのを聞いた。
令嬢たちの言葉を聞いて、バーバラは乾いた笑みしか浮かべられなかった。
「そう、スヴェン殿下はみんなに好かれていられるのね」
そう答えるほかない。本当ならスヴェン殿下の内と外での対応の違いについて話してしまいたいが、貴族令嬢としての矜持がそれを許さなかった。
だがこう思わずにいられない。
「(ご令嬢の皆様、殿下の外面の良さに引っかかりすぎではなくて?!)」
バーバラは自身の表情が歪まないよう、気をしっかりと持つよう努めた。
◆
バーバラ・フォン・フレーベ伯爵令嬢。
星の光を零したような流れる銀髪にアメジストの瞳を持ったバーバラを知らない者は、この貴族社会でいないだろう。
次期皇帝と目されているスヴェン・H・ノルトハイム殿下の婚約者として、常に完璧な態度を求められている。
慎ましい立ち居振る舞いを求められるバーバラは、ご令嬢たちから自身の動揺を悟られぬよう穏やかな笑みを浮かべ、ティーカップに口づける。
しかし心の中では、とても令嬢がしないような悪魔の形相で荒れ狂っていた。
理由は、バーバラの婚約者スヴェン・H・ノルトハイム殿下の外面の良さに騙されている令嬢たちの話を聞いたからだ。
バーバラはスヴェン殿下と幼い頃に婚約をして、以来一緒にパーティーなど随伴している。
社交界に出ているときのスヴェン殿下は静かな笑みで相手の話を聞き、丁寧に接していらっしゃる。
しかしふたりきりで会うと、外面の良さがなくなり、周囲の人間の愚痴や陰口を言うのだ。
あとバーバラ相手になら何をしてもいいと思っているのか、笑顔もなく、口数も少ない。
こんな殿方と将来を一緒に過ごさなくてはならないのかと、早くもバーバラはこの先の人生を憂いていた。
バーバラの元気のない様子に気付いたご令嬢たちがお茶会に誘ってくれたのだが、まさか原因が婚約者のスヴェン殿下だと思いもしないのだろう。
ご令嬢たちはバーバラを元気づけようとに話しかけるが、バーバラにとっては婚約者への怒りとご令嬢たちへの申し訳なさが心の中に溜まる一方だった。
「申し訳ございません。私少し具合が悪いみたいなので、ここで失礼いたしますね」
◆
「はあっ、みなさんに悪いことをしてしまったわ」
馬車の中でバーバラは自己嫌悪をするような呟きを零した。
これから学園の卒業パーティーのためにスヴェン殿下と打合せをしなくてはならない。
それがバーバラにとって億劫でたまらなかった。
そしてバーバラには最近もうひとつ悩みの種ができたのだ。
ロッテ・ラウアー男爵令嬢。
小柄で愛くるしい見目をしている方だとバーバラも思う。ぱっちりとした大きな目に、元気さが感じられる赤毛をふたつにまとめられている方。
季節外れに転入してきたこのご令嬢がスヴェン殿下に引っ付いているのだ。
しかもスヴェン殿下は満更でもなさそうな様子で対応しているのが、バーバラにとって余計に腹立たしく感じた。
ロッテ嬢はまだ一年生で転入してきたばかりだと言うのに、いきなり生徒会に特例で入ったのだ。
慣例に従うなら生徒会へ入るには、教師と生徒会メンバーの推薦が必要だ。
ロッテ嬢を生徒会へ入れたのは、スヴェン殿下の一存だった。
スヴェン殿下の外面のいい笑みで、こう言ったのを今でも夢で思い出す。
「ロッテ嬢が早くこの学園の役に立ちたいと言われてな、人手が足りていなかったしいいんじゃないか?」
昔、スヴェン殿下と少しでも話したい女生徒たちが、生徒会に入れてくれと嘆願があったのだ。
それはちょっとした騒動になった。
困り果てた当時の生徒会長が推薦と日ごろの行いの審査のもと、生徒会に入れるメンバーを選出すると決め、事なきを得たというのに…。
「スヴェン殿下。ロッテ嬢はまだ転入して日が浅いはず、生徒会へ入れるには尚早のように思えますが」
「バーバラ、私の意見に賛同しないのか? 私だけでなく、君を思ってのことだというのに」
スヴェン殿下は少し悲しげに瞼を臥せた。そういう表情が周囲から好青年だと言われる要因だ。
しかしバーバラには分かる、スヴェン殿下は確信犯でこんな事を言っているのだ。
自分の評価をあげながら、自分の望みを叶えるスヴェン殿下の外面の良さにバーバラは眩暈がしてきた。
「私は今のままで問題ありません。ロッテ嬢には学園に慣れていただいてから、検討したほうがよろしいかと。生徒会に入りたいという生徒は大勢居られますし……」
「そんな!私、生徒会に入ったら一生懸命頑張るつもりだったのに! ひどいわ、バーバラ様!」
ロッテ嬢は瞳に涙をためて、スヴェン殿下を見た。
「(ロッテ嬢のためを思って言ったのだけど……)」
周囲の反感を買うかもしれないから、もう少し学園に慣れてからのほうがいいのはと気を使ったのだが、どうにもロッテ嬢はそう思わなかったらしい。
スヴェン殿下が強硬にロッテ嬢の生徒会入りを推し進めたため、異例の早さでロッテ・ラウアー男爵令嬢は、生徒会書記に任された。
ロッテ嬢が生徒会に入ってからの日々をバーバラはあまり思い出したくない。
ロッテ嬢の議事録がまともにまとめられておらず、結局バーバラが書き直したことが両手でも数えきれないほどある。
そしてロッテ嬢は生徒会におしゃべりに来ているとしか思えなかった。
何か仕事をやったかと言うと、特にやっていない。
ロッテ嬢のことで何度かスヴェン殿下に相談したが、ふたりきりのときはムスッとしていてバーバラに雑な対応しかしないのだ。
スヴェン殿下の外面の良さをほんの少しだけ私の前でも使ってくれたらいいのに。
生徒会のメンバーもスヴェン殿下の推薦の手前あまり強く言えず、またロッテ嬢の人懐っこい振る舞いに心を奪われたようだった。
城の応接室の前に到着し、バーバラはすうっと深く呼吸をした。
今から大事な卒業パーティーの打合せだ。
この打ち合わせのために、バーバラは連日準備に追われていた。
この卒業パーティーは王族にとっても大事な催しだ。国を支える王立学園の生徒の門出を祝う会。
そしてスヴェン殿下とバーバラが正式に結婚することを皆に伝える大事な場。
だがバーバラは自分たちのためだけにここまで頑張っているのではない。
学園の生徒たちに少しでもよい思い出になってほしいと思い、普段の学業と生徒会の業務の合間に卒業パーティーの準備をしているのだ。
私は貴族令嬢として恥じない振る舞いをしなくては、そう自分自身に喝をいれると、ドアをノックした。
「やっと来たか」
「スヴェン殿下、約束の時間より少しお早い到着ですね」
スヴェン殿下が約束の時間より早く到着していたことにバーバラは驚いた。
「別に…、たまたま早く到着したのだ。お前こそ、婚約者なら早めに準備をしておくべきではないのか?私をこんなに待たせるなんて……」
バーバラはふと時計を見るが、バーバラだって約束の時間の10分前についている。スヴェン殿下の言い分にバーバラは少し苛っとしたが落ち着いた態度で謝罪をする。
「それは失礼いたしました。資料の準備なら、こちらにできております」
スヴェン殿下は当たり前のようにバーバラから資料を無言で受け取った。
その後、資料にさっと目を通すと資料を突っ返して無愛想に言った。
「ではこの資料通りに準備をしろ」
本当に資料に目を通したのか、少し疑いたくなるものだ。そう言うと、スヴェン殿下が立ち上がり、部屋を出ていこうとする。
「殿下はどちらへ」
「私は少し陛下に呼ばれてな。ここで失礼する」
そう言って、わずか数分で大事な卒業パーティーの打合せが終わってしまった。
バーバラは資料を手に取ると、疲れた様子で部屋を後にした。
◆
「おや、バーバラじゃないか。久しぶりだね、少し疲れているのかい?」
「……カール殿下。お久しぶりでございます」
スヴェン殿下と双子の弟であるカール殿下は、心配したようにバーバラを見る。
カール殿下は双子の兄であるスヴェン殿下同様、闇夜を思わせる黒髪だが、短く切りそろえていた。少し肌も日焼けしており、おそらく外で剣術の訓練でも行っているのだろう。
カール殿下はある意味スヴェン殿下と正反対な雰囲気を持つ方だ。
そんなスヴェン殿下とカール殿下は、双子であるため次期皇帝の後継者争いをしている。
しかしカール殿下はあまり次期皇帝の地位に興味がないらしい。
いつもスヴェン殿下を立て目立たないように行動しているため、カール殿下は後継者争いから退くのではと城中内で噂されているくらいだ。
「顔色が悪い。休んだ方がいいのでは?」
カール殿下は私の顔色を見て、周囲を見渡して言った。
「まったくスヴェンは婚約者を置いて、いったい何をしているんだ?」
珍しく温厚なカール殿下がスヴェン殿下に怒っているようだ。
バーバラは自分のことを心配してくれるカール殿下の対応に嬉しく思った。
カール殿下は数年前に隣国へ留学し、数日前に帰国したと聞いていた。
数年顔を見ない間にカール殿下は変わられた。
留学前はスヴェン殿下より小柄な体格で、バーバラと同じくらいの身長だったはずだ。
しかしこの数年で身長も伸び、もうスヴェン殿下と同じくらいか少し高いかもしれない。
また周囲から頼りないと思われていた昔と変わって、精悍な顔つきになられていて、闇夜の髪とすごく似合っていた。
カール殿下の成長した姿に思わず目元を抑えたくなった。
昔はカール殿下が心配のあまり、バーバラはスヴェン殿下と一緒によく声をかけていたが、今後はそんな心配も起こらないだろう。
むしろ心配なのは、スヴェン殿下のほうだった。
最近スヴェン殿下のロッテ嬢への入れ込み方を周囲は困惑し、分裂を招くほどだった。
スヴェン支持派はロッテ嬢への接し方はスヴェン殿下の優しさと平等であると主張している。
しかしごく少数のスヴェン反対派は、自分の行動を律せずに行動するスヴェン殿下にこの国の未来を任せられないと主張までされていた。
外面の良さは続けているようだが、それでも今まで周囲から心配の目など向けられていなかった頃にはきっと戻れない。
ロッテ嬢のわがままを何でも叶え、溺愛している様子を隠そうともしない。
おかげでバーバラの立場は惨めなことになっていた。
バーバラにとっては今まで雑な対応をされていたので今更だと思ったが、周囲からは一応国の将来を導く婚約だと思われていたらしい。
余りの対応にバーバラと親しい令嬢がスヴェン殿下と仲のいい婚約者に苦言をいったそうだ。
そして令嬢の婚約者もそれとなくスヴェン殿下に注意をしたところ、それ以降すごく雑な対応をされていて困っていると聞いた。
その対応にはバーバラは覚えがあった。自分がよくスヴェン殿下にされているあの冷たい対応だ。
外面のいいスヴェン殿下に慣れていて、いきなりそんな対応をされたら令嬢の婚約者もとても困っただろうに。
自分のせいで申し訳ないと思ったバーバラは、出来る限り令嬢と令嬢の婚約者の気持ちをフォローするようにしていた。
そしてバーバラは思う。
恋は盲目と言うが、もう少しあなたはまともだったのでは?と思わずにいられない。
「君、ため息をついているよ。やっぱり疲れているんじゃないか」
「いえ、カール殿下。ご心配には及びません」
「そうやって、ひとりで頑張るのは君の良くない癖だ」
カール殿下は、令嬢が持つには少し重たいカバンをひょいっとバーバラから取ると、紳士的な態度でこう言った。
「馬車まで送ろう。この荷物は僕が預かるよ」
「殿下に荷物持ちをさせるなんて」
カール殿下に荷物持ちをさせるなんて不敬に当たらないかしらと、バーバラは冷汗が出るのを感じた。
「いいよ、いいよ。それにしてもこれ重いね。これ卒業パーティーの資料が入っているのかい?」
「ええ」
いつもならカール殿下に荷物持ちをさせるなんて失態を侵さないが、流石にバーバラは心身ともに疲れていた。
カール殿下は柔らかな笑顔でバーバラを見ると、
「バーバラはすごく頑張っているんだね」
あまりにも優しい笑みに、暖かい言葉に、バーバラは胸が熱くなった。
今までこんな労わりの言葉をスヴェン殿下からもらったことがない。
自分の頑張りを褒められるということが、これほど嬉しい事なのかとバーバラは少し照れくさい気持ちになって、自然と笑みが零れた。
「あっ。バーバラ、やっと笑ったね」
カール殿下は嬉しそうに言った。バーバラは貴族らしく自分の感情を律せなかったことにハッと気づき、すぐに淑女としての表情に切り替えた。
「僕の前では無理しなくてもいいのに。フレーベ伯爵令嬢としてではなく、自然体のバーバラでいいんだ」
なんて優しい言葉だろう。
こういう対応がスヴェン支持派から次期皇帝にふさわしくないとよく指摘されていたけれど、バーバラはカール殿下の自然な優しさが快く思っていた。
「ありがとうございます。カール殿下」
バーバラは心からカール殿下に感謝を告げた。
◆
カール殿下の言葉のおかげで残りの卒業パーティーの準備を頑張れそうに思えたが、人生は思い通りに行かないのが常であった。
王立学園の卒業パーティー当日
「バーバラ・フォン・フレーベ伯爵令嬢。貴女との婚約、この場をもって破棄させてもらう!そして私はロッテ・・ラウアー男爵令嬢と婚約する事をここに宣言する」
険しい顔をしたスヴェン殿下の宣言で、卒業パーティーの空気は一瞬で凍ってしまった。
スヴェン殿下にべったりとくっついているロッテ嬢は当然のことよと言いたげに堂々としている。
バーバラは半分予感していた。
スヴェン殿下が卒業パーティーでバーバラをエスコートしないと言った日から、こんなことになるのではないかと。
しかし半分は信じてみたかったのだ。
この国のためにお互い努力し合ったスヴェン殿下の事を、そんな期待もあっけなく壊れてしまったが。
「(本当に……、やってられませんわ)」
スヴェン殿下はなにかバーバラに言っている。スヴェン殿下の傍らには高級なネックレスをつけたロッテ嬢が今にも泣きだしそうな表情でバーバラを見ていた。
スヴェン殿下が何を言っているのか、もう聞き取れない。
バーバラは周囲の憐れみや一部の嘲笑の視線にも気にせず、その場で俯いてしまった。
この場で伯爵令嬢として正しい行動は、ここで黙って俯くことではない。
しかしバーバラにとっては精神的なショックから立ち直るのに時間が足りない。
バーバラは今まで生きてきた中で一番居たたまれなくなった。
誰か、助けて。
その時だった。
「じゃあ、ぼくがバーバラと婚約してもいいかな?」
バーバラの後ろから暖かい言葉が聞こえてきた。この言葉の暖かさをバーバラは知っていた。
「カール?!」
スヴェン殿下はカール殿下が自分を立てずに、バーバラに婚約の言葉をかけたことに驚愕したようだ。
しかしカール殿下は双子の兄の驚いた様子を意にも介さずに、呆然としているバーバラの手を取った。
「えっ?」
予想外の出来事にバーバラは驚いた表情を隠せなかった。
「ふふ。君、今貴族令嬢としての表情ができていないよ?」
カール殿下は親しみやすい口調でバーバラに言った。
少しでもバーバラの緊張がほぐれるように言ってくれているのが分かる。
「まあ、そんなバーバラの珍しい表情も見れた僕は幸運だな」
「カール殿下?!」
照れた顔を両手で覆い隠したくなるが、右手はカール殿下の手に捕まっていた。
そしてカール殿下の真剣な瞳で自分を見る姿にバーバラは思わず顔を赤くした。
「私、カール・H・ノルトハイムは、バーバラ・フォン・フレーベを愛しております」
その言葉を聞いたとき、バーバラの目から自然と一筋の涙が流れた。
「私でよろしいのですか?」
「バーバラ以外に僕は何もいらないよ」
その純粋に思いを告げるカール殿下と感激して普段泣いている姿など見せたことがないバーバラの光景に周囲から自然と暖かな拍手が起こった。
卒業パーティーに参加していたバーバラと親しい令嬢たちは、すすり泣いているようだ。
「なんて素敵な光景に立ち会えたの」
「本当によかったですわ。バーバラ様、嬉しそう」
バーバラのことが心配で堪らなかったのだろう。
その令嬢たちの涙をエスコートしている殿方たちは拭い、良かったですねと令嬢たちに声をかけている。
◆
あの卒業パーティーから数か月後。
卒業パーティーはカール殿下の告白によって、穏やかな雰囲気で終えることができた。
ロッテ嬢は自分が主役になって、周りからちやほやされると思っていたのにも関わらず、バーバラ達への祝福の言葉が溢れた会場に苛立ちを隠せずにいた。
苛立ったロッテ嬢はその場で自分はバーバラにいじめられていたと話していたようだが、一部の生徒を除き、それは嘘だと気づいていた。
生徒たちは冷たい視線でロッテ嬢を見ると、ロッテ嬢は癇癪を起こしたそうだが、すぐに皇帝直属の部下に会場の外へ連れていかれていたそうだ。
そしてスヴェン殿下は今まで自分を立ててきた双子の弟が、まさかこんなにも場の空気を搔っ攫うとは思っていなかったようだ。
そしてロッテ嬢が連れていかれたことに気付いたスヴェン殿下は、会場の外に出ると皇帝直属の部下を思わず荒い口調で引き留めてしまった。
その姿を何人かの生徒が見ていたらしく、スヴェン殿下の実際の姿に幻滅したそうだ。
もうスヴェン殿下の印象は覆らないだろう。
しかもスヴェン殿下はバーバラがロッテ嬢を妬みいじめていたという話をして、自身の婚約破棄の正当性を主張し、自分の立場を維持しようとしていたらしい。
なんと浅ましい行動をするのだろうと、後から聞いたバーバラは深いため息をついた。
一度は一生を国とスヴェン殿下に尽くすと決めた身だったが、そんな気持ちもすっかり冷めてしまった。
◆
今日はバーバラとカールは城の応接室で会っていた。
あと数日で、ふたりの婚約の儀が執り行われる。カール殿下は最高の結婚式にすると豪語し一生懸命準備をしていたので、バーバラがカール殿下を心配して休憩を申し入れたのだ。
「実はさあ、僕スヴェンの外面の良さでバーバラが困っているの知っていたんだ」
カール殿下はそれとなくバーバラに言った。バーバラはまさかカール殿下にそこまで知られていたのかと思わず自分を恥じた。どんなときでも貴族令嬢らしく毅然としなくてはいけないからだ。
「それで相談にのってくれたのですか?」
「困っているときに相談にのったら、少しでも僕の存在がバーバラの心に残るかなと思って」
少しずるかったかな?と言うカール殿下はいたずらっぽく微笑んだ。その微笑みにバーバラは少しどきっと胸が鳴ったのに気づいた。
「昔バーバラとスヴェンの婚約が決まったとき、僕は自分が情けなかったよ。好きな子ひとり思いを告げることもできないのかってね」
そんなに前から自分はカール殿下から慕われていたのかと、改めてカール殿下の暑い言葉に思わずバーバラは照れてしまう。
「でも君は一生懸命この国とスヴェンのために努力している姿を見ていたから、僕も変わりたいと思った。だから留学をして自分を磨いていたんだよ」
「そうだったのですね」
「僕はこの国と国を導くふたりを支えるつもりで勉学に励んでいたのだけど、帰国してみたら君たちの仲が悪そうで心配になったんだ」
バーバラの顔色の悪さから、嫌な予感を感じ取ったカールは自分の側近たちに調査を命じた。
「だからいろいろ調べさせてもらったんだ。それから君がすごく苦労していることが分かったし、スヴェンも王族としての義務を果たしていなかったからね。もっと早くに帰国していれば、君にこんな苦労をかけなかったのに、すまないね」
「殿下が謝ることではありません。私がもっと周囲に相談していればよかったのです。それにしても驚いたのは、あの場で私とカール殿下の婚約がすぐに認められたことですね」
バーバラの不思議そうな表情を見て、カール殿下はまたいたずらっぽく笑った。
「事前に陛下たちに根回ししておいたんだよね。スヴェンが王族としての義務を果たさなかったら、僕が次期皇帝になり、この国を導くってね。僕もスヴェン同様に外面が良いからさ、すぐに陛下も認めてくれたよ!」
「まあ……」
カール殿下はそう言っているが、陛下はカール殿下の今までの行動と実績を見ての判断だろう。カール殿下が留学して頑張ってきたことを知っているからだ。
「ただスヴェンにもチャンスをあげないとと思ってね。スヴェンがこのままきちんと王族の義務を果たすのか確認したかったんだ。まさか卒業パーティーで婚約破棄を宣言する阿呆なまねをするとは思わなかったけどね」
カール殿下は申し訳なさそうな顔でバーバラを見ると、バーバラの手を優しく取ると、
「そのせいで、バーバラには辛い思いをさせてしまったね」
カール殿下は悔いているのだろう。バーバラにトラウマのような出来事を味わせてしまったことに。でもバーバラにとっては違った。
「いいえ、カール殿下。私はあの場で、……カール殿下の言葉に救われました」
あの時のことをバーバラはこの先一生忘れないだろう。
「好きな人には優しくいたいし、大事にしたいんだよ」
「私分かっております。カール殿下が家族や周囲の方達にも優しい、心の強い方だということを」
カール殿下のは精神は強い。
カール殿下は留学を経験して、さらに精神が強くなられたように感じる。
カール殿下の優しさは、スヴェン殿下に持っていないものだった。
次期皇帝になる野心が強かったスヴェン殿下には、周囲と打ち解けるカール殿下の在り方がまぶしかったのだろう。
スヴェン殿下があのように人と接するようになったのは、カール殿下を見て学んだ処世術だったのだ。
しかし普段からいい人を演じていたらストレスが溜まってしまう。だから自分には逆らわないバーバラには雑に扱っていたのだ。きっとバーバラは誰にも自分の雑で冷たい態度を言わないだろうと思ってだ。
そしてスヴェン殿下はどうやら身分が低い者にもバーバラほどではないが雑な対応をしていたらしい。
そんなときにロッテ嬢と出会い、自分の雑な対応にも気にせず、笑顔で話しかけるロッテ嬢に惹かれ、今回の暴走に繋がったらしいとカール殿下から聞いた。
もちろん、ロッテ嬢もただ優しく笑ってスヴェン殿下と接していたわけではない。
スヴェン殿下に好かれることで自身の玉の輿を狙っていたようだ。
スヴェン殿下もロッテ嬢もお互い野心家である意味お揃いなふたりだったのだ。
あれからスヴェン殿下の好き放題に皇帝陛下も重い腰をあげ、処分を下していた。
スヴェン殿下は貴族として大事な婚約を勝手に破棄したこと、また次期皇帝としての対応ではないとし、北の領地への長期赴任を命じた。
いわゆる左遷に近い。
ロッテ嬢とは引き離され、さらに自身に下った思い処分にスヴェン殿下も周囲の目も気にせずに最初は怒り狂ったが、その後はかなり落ち込んでいた様子で北の領地で部屋に引きこもっていると聞いた。
ロッテ嬢は国で自分にも他人にも厳しいことで有名な侯爵夫人のもとで働いていると聞いた。
人によっては軽い処分だと思われるだろうが、侯爵夫人の指導が厳しいことを妃教育を通してバーバラ自身が一番知っている。
人に甘えて生きてきたロッテ嬢に一番効く処分だと、陛下の判断に畏敬の念を感じずにいられない。
他人に優しくし、常に自分を保つのは難しい。
それでもバーバラは自分もカール殿下のような在り方で生きていきたいと思った。
するとカールは急にバーバラを優しく抱きしめた。
「愛してるよ。バーバラ」
「わたくしもカール殿下を……」
すると急にカール殿下はバーバラ抱きしめるのを止めると、バーバラの唇の前に自分の人差し指を当てた。
「待って、バーバラ。ひとつお願い」
カール殿下は真剣な表情で言う。
「僕の事、殿下って言うのやめよう!」
「えっと……」
それはバーバラにとってすごく気恥ずかしいことだ。しかしカールはめげずに復唱を求める。
「カール」
「か、カール様」
バーバラにとっては、これが精いっぱいの今できる事だ。
「まあ今はその呼び方でいいか」
カールはバーバラなりに頑張ったことを分かっているため、名前だけで呼んでとまで要求しなかった。
しかしバーバラにはまだカールに言いたいことがあった。
「あの、カール様」
「なに?」
「私もカール様を愛しております」
<終了>
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