「はるくんは元気なのか?」
苦いレモンの味を舌の上で堪能しつつ、鼻腔に感じる清々しい香りに導かれるように、聞きたかったことがするっと喉から飛び出た。
さっきまでは躊躇っていた名前がスムーズに出たことに、高橋自身驚きを隠せずに目を見開き、そのまま固まった。
「何て顔してんのよ。健吾らしくない……」
右手の中にあるタンブラーの中から、氷がカランと音を立てた。まるで、高橋の動揺を示しているように聞こえたそれを誤魔化そうと、意味なくタンブラーを揺らして、雑音を増やしてみる。
「アンタ、何やってんのよ。無意味な行動は嫌いだったでしょ。馬鹿のやることだって、笑っていたじゃないの」
「無意味な行動じゃない。レモンの苦みを薄めようとしてるだけだ」
「まぁ素直じゃないのね。江藤ちんのことは知りたくないの?」
忍に核心を突かれたことで、タンブラーの動きを止めて、みっともない顔を渋々見上げた。目の前にある、ちょっとだけ微笑みを湛える唇に、どうしても目が留まる。彩りを与える紅の色が鮮やかすぎて、目に毒だと思わずにはいられなかった。
「……はるくんは、この町にいるのか?」
「さぁね。アンタに紹介されたお客だけど、その後のプライベートを、わざわざ教えるわけがないでしょ」
忌々しそうな表情を浮かべた忍の顔つきや、その他の微妙な様子で、青年の身の上を高橋は自然と悟ることができた。
「元気にこの町にいるのか。わかった」
「私は何も言ってないし、教えてもいないでしょ。勝手にここにいることにしないでちょうだい!」
「足繁くとはいかなくても、この店に顔は出しているようだな」
「何でそうなるのよ」
「忍なら、はるくんのいい相談相手になれると俺が思ったから。俺様に見せかけてはいるが、見た目以上に繊細で傷つきやすい心を持っている。俺からの紹介で、最初は警戒していた彼が、人当たりのいいおまえと仲良くしていることくらい、容易に想像できるさ」
残っているワード・エイトを飲み干し、タンブラーから手を放した途端に、別のグラスが隣に置かれた。
見るからに高級そうな極薄のタンブラーに、高橋の注文したハイボールが作られていたが、グラスの中に絞った形跡のあるレモンの欠片が、ちゃっかり投入されていた。
「ワイド・エイトは、私の驕りにしてあげる」
「俺としては、普通のハイボールが飲みたかったのに、どうして余計なものを入れたんだ」
文句を言いつつも、自分が注文した手前、しょうがなくそれを口にしてみる。ウイスキーの旨味とレモンの酸味が合わさって、絶妙な爽やかさが口の中に染み込んでいく気がした。
だが、ここで美味いと言えば忍が喜ぶだろうと考え、高橋は感情が顔を出ないように気を付けて、石のように押し黙る。
「素直な男じゃないわね。アンタがそんなんだから、どんな反応でも引き出してやろうと、こっちは頑張っちゃうのよ。わかってる?」
「そんなものは頼んでない。このレモンと一緒じゃないか」
タンブラーの底にあるレモンを指さして、くどくど小言を告げてやった。
「本当はレモンピール(レモンの皮)を隠し味程度に入れるのがいいところを、健吾の味覚に合わせて、それを入れてあげたの。アンタの初恋の味でしょ?」
「初恋……どうしてそう思うんだ?」
高橋の乾ききった声が店内に響いた。
「江藤ちんと別れたあの日。酷い顔をしてたって、さっき言ったでしょ。心底好きだった男の表情の違いがわからない、元彼じゃないのよ私は」
顔はにっこりと微笑んでいるのに、悲しげな瞳を宿した忍の声が、高橋の耳には悲痛な叫びのように聞こえた。
「そうか」
「そうよ。アンタと出逢ったことで、江藤ちんも私と同じくらい辛い思いをしたけど、その分だけ今はきっと幸せになっているでしょうね」
高橋から視線を外し、小窓に移る景色に視線を飛ばす。
「はるくんは――アイツはいいヤツだからきっと恋人ができて、うまいことやってるだろうな」
忍の告げた幸せという言葉を使って、具体的に表現してみた。自分が不幸せな分、青年には幸せになってほしいと心から願う。
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