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「どうかしらね、暫く店に顔を出していないし。仕事が忙しいことしか聞いていないけど」
短いやり取りの中から、高橋の心情を聞いた忍が青年のプライベートを思わず漏らして、ハッとした顔になった。
「やっぱり変わらないな。詰めの甘さが端々に出てる。その化粧と同じだ」
「ガードが固いままじゃ、口説く男が大変でしょ。中には物好きがいるものよ」
「それって俺のことか?」
高橋が吹き出しながら指摘すると、忍は肩をすぼめて首を横に振る。
「過去の男なんて知らないわ。これから口説いてくれる男について語ってみたのに」
「目の前にいるバケモノを、俺は口説いた記憶はないけど」
「健吾みたいな男に引っかかったことは、私の中で黒歴史になってるんだからね。出逢いたくはなかったわよ!」
「夢なら良かった?」
「そうね、だって夢なんだもの。目が覚めたらそれでお終いなんだから」
忍の言葉にゆっくりと目を閉じて、青年との日々を思い出した。
ただ弄ぶためだけに彼を騙し、その挙句の果てには写真を撮って脅した。高橋の与える苦痛と快感を躰に教え込ませるべく、嫌がる青年との濃厚な行為は、脳裏に刻まれる強い記憶だったはずなのに、今はすべてが夢の中の出来事のように、儚いものに変わっていた。
牧野からのプレッシャーや恐喝が、高橋の中にある悦びを、色褪せたものへと変化させたせいで。
「確かにそうだな。夢なら、こんな思いをせずに済んだはずなのに――」
「珍しく、意見が一致したわね」
「ああ……」
タンブラーの中身を、一気に飲み干した。ハイボールの旨味とともに、レモンの酸味も瞬く間に消えてなくなる。
閉じていた瞳を開けて、空になっているタンブラーをじっと見つめる。なにかの衝撃ですぐに壊れそうな薄造りされたグラスが、今の自分の心のように見えた。
「健吾、お代わりは?」
「もういい。帰ることにする」
カウンター席から立ち上がって地に足をつけたら、ふらりと一瞬だけぐらつく。
いつもよりピッチが速かったのと、日頃の疲れがあるせいか、したたかに酔っていることに高橋は情けなさを感じ、内心舌打ちをした。
「そう。聞きたかった江藤ちんの身の上話も聞けたし、それで満足したのかしら?」
「おまえのみっともない顔を見続けることに、心底苦痛を感じてるだけだ。出してくれる酒が美味いだけに、残念としか言えない。これ、釣りはいらない」
長財布から万券を差し出した高橋の手元から、忍は勢いよくそれを抜き取って、ひらひらと見せつけた。
「毎度あり。ちょっとした情報提供料も含まれている関係で、チップを弾んでくれたの?」
「そんなつもりはない。手切れ金の一部だと思ってくれたほうが、俺としては気が楽かな」
「言うわね。ここの開店資金にしろって手切れ金を渡したくせに、まだ払い足りないのかしら?」
どこか寂しげな笑みを浮かべて嫌味を言った元恋人に向かって、頬の上に描いたような笑みを漂わせた。
「払い足りていないだろ。俺に本気で恋した痛手を、あれくらいのはした金で補えてるとは思えない。その証拠が、見るに堪えないみっともない顔だろ?」
「イジワルを言うときの狡猾そうな表情は、全然変わらないのね。健吾のそういうところが大嫌いよ!」
「知ってる。俺も自分のこの顔が嫌いだ」
高橋の薄い笑みが、柔らかいものへと変わっていった。