月菜さんを庇い、衝撃に備えて身構え瞳を閉じる。けれどもいつまでたっても私の身体に狭山常務の手が触れることは無く……
「香津美、月菜さん。二人とも無事か?」
そっと瞳を開くと、狭山常務の手首を掴んだ聖壱さんが立っていたの。ドアの傍には月菜さんの夫の二階堂 柚瑠木さんの姿も……
聖壱さんの力強い声……凄くホッとする。このまま彼に抱きつきもっと安心したい気持ちはあるけれど、今は我慢しなくてはね。
「香津美さん、月菜さんをこちらに……」
私たちのすぐそばまで来た柚瑠木さんが、私にしがみついていた月菜さんをそっと受け止めて優しく抱きしめた。意外だわ、冷静沈着な柚瑠木さんが月菜さんにはこんな風に接してるのね……
「柚瑠木さん、すみません……私、柚瑠木さんにご迷惑を……」
「いいえ、月菜さんは何も悪くありません。僕は迷惑だなんて思っていませんから」
柚瑠木さんのその言葉を聞いて月菜さんはホッとした表情を浮かべた後、そのままフッと気を失ってしまった。きっと彼女は柚瑠木さんのことだけをずっと……
「香津美……待たせてすまなかったな。俺達がいない間、月菜さんを守ってよく頑張ってくれた」
「これくらいの事こと、なんてことないわ。けれど、まあ……後で褒めてくれてもいいわよ?」
ほらね、こんな事を言えるくらいの余裕はあるの。後で褒めてくれてもいいなんて……私にしては珍しく甘えたことを言ってしまった気もするけれど。
「お前達、どうしてここが⁉」
狭山常務は聖壱さんから掴まれた腕を力づくで外してから、彼らをきつく睨んだ。よほど聖壱さん達がこの場所に来たことが予定外だったのでしょうね。
まあそうでなければ私達を攫うなんて大胆な事はしなかったでしょうし。
「どうしてだって? 不正取引の証拠を集められ焦っているアンタ達が、俺達の妻に目を付けることは最初から分かっていた。そんな状態で、妻にいつ何をされるか分からないのに俺と柚瑠木が何の対策もしないでいると本気で思っていたのか?」
「……なんだと⁉」
確かに狭山常務たちは私と月菜さんの鞄の中やスマホなどはしっかりと調べていたようだけど……それくらいの事はこっちも予想済みなのよ。
「そうね、もちろん私も発信機くらい付けているわよ? このパンプスのヒールの部分……貴方達は疑いもしなかったようだけれど」
そう、私は奪われた鞄の中、そのメイク用品の中に一つ。そしてこのパンプスのヒールに一つ発信機を付けてもらっていたのよ。
「それにこれもそうですよ、気付きませんでしたか? 妻が持っているこのマスコットも怪しまないで……余程ご自分の作戦に自信があったのでしょうね」
柚瑠木さんは気を失った月菜さんを抱きしめたまま、右手で白クマのマスコットを持ってみせた。きっと月菜さんのためにあのマスコットは肌身離さず持っておくように言っておいたのでしょうね。
「お前達は、ふざけた真似を……! お前の妻たちがどうなってもいいと言うのか!?」
どうやら狭山常務は自分たちがこっちの罠にかかっていた事に気付いたようで、顔を真っ赤にして怒っている。周りの男女も焦ったように顔を見合わせているけれど……今頃気付いても、もう遅いわよ?
「……これですよね?」
柚瑠木さんがスーツのポケットの上着から、いくつかのUSBメモリーを取り出して狭山常務達に見せる。多分あれが聖壱さんと柚瑠木さんが集めた、彼らの不正取引の証拠なのでしょうね。
「貴方達はずっとこれが欲しかったんですよね? このUSBの中には貴方達の悪事の全てが入ってますよ」
そう言って柚瑠木さんはそのUSBを聖壱さんに渡したの。柚瑠木さんから渡されたものと聖壱さんが自分のポケットから取り出したもの、その手に持っていた数本のUSBメモリーが次の瞬間……宙に浮いた!
「そんなに欲しけりゃ、くれてやる!」
そう、聖壱さんは何のためらいもなくUSBメモリーを狭山常務に向けて投げたのだった。柚瑠木さんも聖壱さんのそんな様子を黙ってみているだけ。
「うわっと! ……これが私たちの不正取引の証拠!? ではこれを、人質と交換で私達に渡してくれるということなんですね?」
USBを拾って狭山常務は聖壱さん達をジッと睨んでいる。彼の中ではまたこの取引は終わってないつもりなのでしょうけれど……
「ええ、どうぞ。まあ、中身はコピーし、今頃は全て狭山社長に全て確認してもらっているはずですから」
そう、今頃はきっとこの出来事も狭山社長に伝わっているはず。もう狭山常務は無傷ではいられなくなるのよ?
「それにさっき狭山常務の口から【人質】という、妻を攫った決定的な言葉もくれたしな?」
聖壱さんは小型のボイスレコーダーを取り出して見せた。やはり私の夫は抜け目がないわね。
「ふん、そんな言葉一つくらいならば私にだってどうとでも出来ますよ。すぐにもみ消して、今度こそ貴方達を――――」
ここまで追い詰められても、まだ狭山常務は引こうとしない。もう彼に勝ち目はなく、他の人たちはそっと部屋の扉から外へ出ていこうとしているのに。
……けれどそんな常務の強気な発言もここまでだった。
「その必要はないよ、狭山常務。先程の会話ならば、僕のこの耳でちゃんと聞かせてもらったからね」
いつの間にか部屋の扉の前に一人の男性が立っている。ピシッとスーツを着こなし白髪交じりの髪を後ろに流した、聖壱さんとよく似た雰囲気の初老の……私はこの人を知っている。
「狭山社長、どうしてここに⁉」
そう、そこに立っていたのは間違いなく狭山社長で……まさか聖壱さん達に調査を頼んだ本人がここに来るなんて。
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