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蝉時雨 ~不倫のち不貞~

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蝉時雨 ~不倫のち不貞~

50 - 番外編 【粉雪が舞う日に】 美幸の受験前の1月の出来事

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2024年02月09日

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今にも泣き出しそうな空模様。

吐く息も白く、ブーツを履いているのに足先がジンジンと冷えてくる。

沙羅は、コートの上に羽織ったストールで首元を覆い、足を急がせた。


「寒い、もしかしたら雪になるのかも……」


待ち合わせのお店が見えて来て、ホッと息を吐く。

アンティーク調の木製のグラスドアを開けると、店内の温かさに肩の力が抜ける。

オーク材のカウンターの向こうでは、マスターが注ぎ口の細いケトルでコーヒーを入れていた。

店内を見回した沙羅は、窓際の一番奥の席に座る政志を見つけ、向かいの席に腰を下ろした。


「こんにちは、お待たせした?」


「いや、それより、もう体の具合は大丈夫なのか?」


「ええ、もうすっかり順調です。お正月も……あっ、ご挨拶がおくれました。あけましておめでとうございます」


「……あけましておめでとうございます」


政志と向かい合っていても、なにか波長が合わない。離婚してからまだ半年もたたないのに、夫婦だった頃がとても昔に感じられた。


微妙な沈黙がふたりの間を刻む。


店内に流れるBGM、ノラ・ジョーンズの優しい歌声が聞こえて来る。

名曲のDon‘t know whyだ。

恋人が何処か遠くに行ってしまうのに付いて行く事が出来ず、現実を受け入れられず後悔する唄がセンチメンタルを誘う。


コーヒーが運ばれて、その芳香に誘われるように沈黙が途切れた。


「美幸は元気か? これ、お正月に会えなかったから、渡して欲しい」


政志が差し出しのは、お年玉が入ったポチ袋。

去年までは、ニコニコと笑う美幸に直接手渡しをしていた。

でも、今年は美幸の拒絶で、会う事すら叶わなかった。あの不倫の代償は大きく、いつまでも後を引く。


「ありがとう。政志さんからって、渡して置くわね。美幸は風邪も引かずに元気よ。今日も塾で頑張っているわ」


「最後の追い込みか。受験まで、後少しだよな」


「そうね、お正月返上で塾通いだったのよ。政志さんは、お正月は実家へ帰っていたの?」


政志の実家への帰省は、結婚していた頃は盆暮れ恒例行事だった。

帰省中の数日間、嫌味を言われながら忙しく動いていた事を沙羅は、思い出していた。



「……ああ、離婚の報告もして来た。やっぱり、母さんには、グチグチ言われたよ。あんなに良い嫁さんは、この先逆立ちしても出て来ないのに何やっているんだって」


「お義母さんがそんな風に……私、てっきり嫌われているのかと思っていたわ」


政志の母親からの意外な評価に沙羅は驚きで、目を丸くした。


「田舎の家だから……嫁は動くのが当たり前、嫁は仕えて当たり前の古い価値観で凝り固まって、姑にやられた事をそのまま沙羅にやっていたんだと思う」


「……正直言って政志さんの実家に行くの、憂鬱で仕方なかったわ。でも嫁の勤めだと思って頑張っていたの」


夫のため、家庭のためと努力した。けれど、その努力は、今となっては何だったのか……。虚しさだけしか残らなかった。

政志は、気まずいのか、テーブルの上にあるコーヒーに視線を落とした。


「本当は、俺が間に立てば良かったのに、沙羅が母と上手くやってくれていると安心して、何もしなかった。悪かったと思っている」


「そうね。何もしないっていうのは、古い価値観を肯定しているのと同じだと思う。夫の実家は妻にとってのアウェーで夫が味方になってくれないなら、妻は孤立無援の状態なの」


「……ごめん」


沙羅は気持ちを切り替えるように細く息を吐き出した。


「お義母さんには、お世話になりましたと、お手紙でも送らせてもらうわ」


窓ガラスには、外気温で冷やされた水滴が溜まり、景色がぼやけて見える。時折、水滴が涙のように窓ガラスの上を滑り落ちていく。


「今日、政志さんを呼び出したのは、入院していた時に用意してくださったお金をお返ししようと思って……。あの、これ、受け取ってください。入院手続きもして頂き、とても助かりました。ありがとうございました」


白い封筒を政志へと差し出し、沙羅は頭を下げた。

夫婦であったならば、パートナーに何かがあれば駆け付けるのは当然の事。

他人行儀にお礼を言われ、政志は戸惑う。


「いや、頼ってもらえて嬉しかったよ。俺で良ければ、いつでも力になるから」


政志は、自分の犯した罪の大きさを自覚しながら、それでも以前、幸せだった頃を夢見てしまう。そして、ゆるされるなら、もう一度家族3人で暮らしていきたいと思っていた。


沙羅は、困ったように眉尻を下げ、視線を泳がせた。

手をギュッと握り込み、政志へ真っ直ぐ向き直る。


「あの……。もうひとつ大切なお話があります。私の母方の親戚で従妹叔母に当たる人と養子縁組をしようと思っています」


「……なんで?」


養子縁組というワードに政志の思考は追いつかない。

ドクドクと心臓の鼓動が脈動をくり返していた。



政志に向けられた沙羅の瞳には、強い意思が込められている。


「この前みたいに、私に急に何かあった時、そばに頼れる大人がいるのは美幸にとっても良い事だと思ったの。それに、母と呼べる人が出来るのは、とても心強いの」


美幸に頼られるのは、父親である自分でいいはずだ。それに沙羅に何かあったのなら、この先も迷わず駆けつけるだろう。

でも、その特権を政志は自らの過ちで手放したのだ。


「苗字が変わるのか?」


「そうね。佐藤ではなくってしまうけど、離婚して旧姓に戻すのと、感覚的に同じように感じている」


離婚しても沙羅が旧姓の岩崎に戻さず、佐藤姓を使ってくれていた事で、まだ、自分たち3人は家族として繋がって居るような気がしていた政志だった。

それが、今になって、沙羅が違う姓を名乗るとは夢にも思っていなかったのだ。

もう、本当に「家族には戻れないんだ」という想いが腑に落ちてくる。


「そ……そうか」


政志は、何か引き留められる手は無いかと考えを巡らせたが、ショックが大きくて思考がまとまらない。

やっと、たどり着いた言葉を沙羅に問いかける。


「美幸の受験の面接で不利になったりしないのか?」


「それは心配ないわ。お正月に従妹叔母の所に来た親戚の方が、美幸の受験校の教師をされている方で、イマドキ片親だからという理由で受験に不利になるような事はないって、言ってくれたの。ネットの受験口コミサイトの情報は、親の思い込みもあるから書いてあることのすべてが真実じゃなかったみたい」


これ以上、引き留める言葉も見つからず政志は肩を落とした。

ただ、沙羅が遠くなっていくように感じられた。


「そうか……」


裏切って悪かった。

心から反省している。

もう一度やり直したい。

また、家族3人で暮らしたい。


沙羅と美幸を傷つけた自分の罪の重さを考えると、言いたい言葉はたくさんあるのに、言葉にすることは出来ない。

例え、言葉にしても受け入れてはもらえないと、わかっている。

心に大きな傷を沙羅に負わせてしまったのは、他ならぬ政志自身なのだから。


政志は、窓の外へ視線を移した。


霞んで見えるガラスの向こうで、雪が降り始めている。

冷えたガラスに、溜まった水滴が涙のようにこぼれていく。




【番外編・粉雪が舞う日に 終わり】

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