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夜。風はやわらかかった。
放課後、校門を抜けた先で、遥と日下部は並んで歩いていた。口数は少ない。遥の足取りは、ほんの少しだけ日下部の横より遅れている。
「……なんか、今日は静かだな」
不器用な声で日下部が言った。遥は、答えずに笑った。作ったような、でも、嘘でもない笑み。
「うるさいより、いいだろ」
「いや……別に、うるさくてもいい」
その言葉に、遥の目がすこしだけ動いた。気づかれないように、指先で制服の袖を握った。
日下部の言葉が、やさしすぎて。
その“やさしさ”が、遥には──少しだけ怖かった。
誰かの手は、いつも乱暴だった。
口元にかかる息も、背中に押しつけられる重さも。
それが、いつのまにか「知ってること」になっていた。
でも、今。
歩く速度を少しだけ合わせてくれる足音と、黙って隣にいる気配は。
遥の中で、うまく整理がつかなかった。
──こんなふうに、寄りかかっていいのか。
ふいに、日下部の指が、遥の手にふれた。ほんの少し。無意識か、ためらいか、それとも意図的か──分からないくらいの軽さ。
その瞬間、遥の体が一瞬だけ、びくりと強ばった。
脳裏に、蓮司の笑う声がよぎった。
「いい子だな、遥は」
「壊れたまま、おれのとこ戻ってきてさ」
その感覚に、足が止まる。
「……遥?」
声に振り返ることもできずに、遥は、うつむいたまま囁く。
「……ごめん、いま、ちょっとだけ無理」
ほんとうは逃げたかった。
でも、日下部がなにも言わずに、ただ静かに待ってくれているのが分かって──
遥は、そっと顔をあげた。
視線が交わる。拒絶も哀れみもない目に、また戸惑う。
「……おれ、さ。たぶん、ちゃんと“付き合う”ってこと、わかってない」
「いいよ。俺もたぶん、そんなに分かってないし」
その言葉に、遥は一歩だけ近づいた。ほんの一歩。
「じゃあさ……わかるまで、いっしょにいようよ」
かすれた声だった。心の奥で、蓮司の残響がまだ消えていなかった。でも。
「壊れるって、怖いけど。壊れないままも、ちょっと、しんどいんだ」
日下部は何も言わず、そっと目を伏せた。
触れそうで触れない距離。だけど、逃げない距離。
遥は思った。
こいつには、たぶん──支配も、所有も、できない。
けれど。
それが、ひとつの“救い”かもしれない、と。