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「……やっぱり、今行く」
エリオットが顔を上げて言う。
その声に、チャンスは小さく頷いた。
「……ああ」
エリオットの腕の中には、相変わらず重たい白。
グビーは状況なんて関係ないみたいに、のんびりしている。
「……逃げんなよ」
ぽつり、とチャンスが言う。
「は?」
「途中で引き返すなって意味だ」
「……しねぇよ」
即答したが、内心は少しだけ揺れた。
(……マフィオソに会う)
それだけで、空気が変わる気がする。
古びた扉の前で、チャンスが止まる。
「……ここだ」
「……」
ノックする前に、内側から音がした。
――開く。
「……来ると思ってた」
低く、落ち着いた声。
そこに立っていたのは、やっぱりマフィオソだった。
視線が、すぐにエリオットの腕へ落ちる。
「……グビー」
その名前を呼んだ瞬間。
空気が、変わった。
エリオットは一瞬だけ、言葉を失う。
「……外にいた」
短くそう言って、そっと差し出す。
グビーはするりと腕を抜けて、マフィオソの方へ飛び込むように寄っていった。
「……まったく」
マフィオソはしゃがみ込む。
そして――
その大きな白いうさぎを、ゆっくり撫でた。
「どこ行ってた」
低い声なのに、驚くほど柔らかい。
指先は丁寧で、壊れ物でも扱うみたいに優しい。
「……心配させるな」
グビーは気持ちよさそうに目を細めて、じっとしている。
「……」
エリオットは、息をするのを忘れたみたいに見ていた。
(……こんな顔、するのか)
知っているマフィオソとは、まるで違う。
冷たくて、隙がなくて、近づけば危ない男。
――のはずなのに。
今目の前にいるのは、ただ大事なものに触れている人間だった。
「……意外か」
不意に声が飛んでくる。
視線を上げると、マフィオソがこちらを見ていた。
「……少し」
正直に答えてしまう。
「そうか」
それだけ言って、またグビーを撫でる。
「こいつは、昔から俺のそばにいる」
ぽつり、と続ける。
「他の奴は全部消えても、こいつだけは残った」
「……」
「だから――」
一瞬だけ、撫でる手が止まる。
「無事でよかった」
その一言は、やけに重かった。
沈黙を破ったのは、チャンスだった。
「……礼は?」
「欲しいのか」
「別に」
肩をすくめる。
「ただ、借りは作らねぇ主義なんでな」
マフィオソは少しだけ笑った。
「相変わらずだな」
そして立ち上がる。
「……エリオット」
名前を呼ばれて、心臓がわずかに跳ねる。
「持ってきたのはお前だな」
「……まあ」
「礼は、いずれ」
その言い方が、妙に引っかかる。
「……いずれって」
「また来い、という意味だ」
「……」
言葉が詰まる。
隣で、チャンスが小さく舌打ちした。
「勝手に呼ぶな」
「来るかどうかは本人が決める」
静かな火花が散る。
その間で、エリオットは――
さっき見た光景を思い出していた。
グビーを撫でる、あの優しい手。
(……あんな顔、知ったら)
簡単に、切り離せない。
「……帰るぞ」
チャンスの声に、現実に引き戻される。
「……ああ」
背を向ける。
でも――
扉の向こうから、もう一度だけ声が落ちてきた。
「エリオット」
振り返らないまま、足が止まる。
「次は、手ぶらで来い」
その意味を、考える前に。
隣のチャンスが、強く腕を引いた。
「行くぞ」
「……っ」
引かれるまま、歩き出す。
夜の空気が、少し冷たい。
「……何だよ、あの顔」
チャンスがぼそっと吐き捨てる。
「……見たのか」
「見たくなくても見える」
不機嫌そうに、前だけを見る。
「……ああいうのに、絆されるなよ」
「……」
エリオットは、答えない。
ただ、胸の奥に残っている。
優しい手と、静かな声と。
それと――
今、自分の腕を離さないチャンスの力。
(……どっちも、ずるいだろ)
また、小さくため息をついた。
夜は、まだ終わらない。
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