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「リハビリ」が日課になって、一週間。
夕食後のリビングは、今や私たちにとって
過去の痛みを一つひとつ手放していくための大切な聖域になっていた。
「……今日は、ここまで来れたわ」
私はソファに座る高瀬くんの隣で、彼の大きな手のひらの上に、自分の手を重ねていた。
以前なら指が触れるだけで心臓が激しく波打っていたのに
今は不思議と、彼の肌に触れている場所から穏やかな熱が全身に広がっていくのを感じる。
「すごいじゃないすか。もう全然、震えてませんよ」
高瀬くんが嬉しそうに目を細める。
彼の指先は、いつも驚くほど温かい。
その温度に触れるたび
宏太に冷たく突き放された夜の記憶が、じりじりと溶かされていくような気がした。
「……高瀬くんの手って、本当に不思議ね。…大きくて、少し硬くて、男の人の手なのに。……ちっとも、怖くない」
「はは、よかった。俺…先輩にどうやって接したら安心してもらえるかなってことばっか考えてたんで、怖くないって言ってもらえると安心します」
さらりと、でも重みのある言葉。
私は少し照れくさくなって、視線を泳がせた。
これまでは彼の手が「動くこと」を待っていたけれど
今日は自分から、もう一歩だけ踏み込んでみたくなった。
私は重ねていた手を滑らせ、彼の腕────
Tシャツの袖口を、ぎゅっと掴んでみた。
「あ……」
高瀬くんが短く息を呑むのが分かった。
これまで「守られる側」として受動的だった私が、自分の意思で彼を引き留めるように服を掴んだ。
それは、私なりの最大限の信頼の証だった。
「えっ、先輩…っ?!」
「…えっと、もっと近付いた方が克服できるかもって思って…袖掴んじゃったんだけど……嫌じゃ、ない?」
「……嫌なわけないじゃないですか。……むしろ、嬉しすぎます」
高瀬くんが困ったように笑い、空いた方の手で自分の顔を覆った。
指の隙間から覗く彼の耳が、真っ赤に染まっている。
いつも余裕たっぷりに私を甘やかしてくる彼が、私の些細なアクションにこれほどまで動揺している。
(……あ、私……今、この人のこと「男の子」だって思ってる)
上司としてのプライドでも、被害者としての恐怖でもない。
一人の女性として、目の前の愛おしい男性を意識してしまった瞬間だった。
「……凛さん…その、もうちょっとだけ、近づいてもいいですか?」
「……え?いい、けど…」
彼がゆっくりと肩を寄せ、私たちの腕がぴたりと重なる。
厚い胸板から伝わる、トク、トクという力強い鼓動。
服の袖を掴む私の指先に、さらに力がこもる。
「…少しずつ、でいいです……いつか、服越しじゃなくて、ちゃんと凛さんを抱きしめられる日まで。俺、ずっと待ってますから」
「……ありがとう…意気地なしの私に、付き合ってくれて」
「意気地なしなんかじゃないです。……俺にとっては、世界一勇敢な女性ですよ、先輩は」
彼の優しさが、心地よい重圧となって私を包み込む。
宏太が残した深い爪痕はまだ消えないけれど
高瀬くんがくれる温かい思い出が、着実にその上を塗り替えようとしていた。
おまる