テラーノベル
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「……今日はさすがに、病院行ってくるよ」
元貴がそう言うと、リハーサル室の空気が少しだけ動いた。
若井はすぐに頷く。
「それがいい。絶対」
涼ちゃんも短く言う。
「一人で行くなよ」
元貴は苦笑して肩をすくめる。
「大丈夫だって。
検査して、薬もらって終わりだろ」
その言い方が、逆に不安を含んでいた。
⸻
病院の待合室。
消毒の匂いと、やけに大きく聞こえる時計の音。
元貴は無意識に左耳を気にしていた。
周りの音が、少し遅れて届く感じがする。
診察室に呼ばれ、検査が続く。
音を聞き分けるテスト。
ヘッドホン越しの、曖昧な高音。
医師がカルテを見ながら言った。
「左耳ですが、反応が落ちていますね」
元貴は曖昧に笑う。
「やっぱり、疲れですか?」
医師は首を振る。
言葉を選ぶように、間を置いてから告げる。
「突発性難聴の可能性が高いです」
一瞬、言葉が理解できなかった。
「……え?」
医師は続ける。
「原因ははっきりしないことが多いですが、
強いストレスや過労が関係することもあります」
元貴の呼吸が浅くなる。
「ちょっと待ってください」
声が、かすれた。
「嘘ですよね……?」
医師を見る目が、揺れる。
「僕……」
言葉を探して、やっと絞り出す。
「僕、もう音楽できないんですか?」
診察室が、静まり返る。
医師はすぐに否定した。
「そうと決まったわけではありません。
早めに治療すれば、回復する可能性はあります」
「可能性……」
その言葉だけが、妙に重く残る。
元貴は俯いたまま、小さく呟いた。
「歌う仕事なんです」
「聞こえなくなったら……
僕、何を頼りに歌えばいいんですか」
医師は穏やかな声で言う。
「だからこそ、今は休むことが一番大事です」
休む。
その二文字が、胸に刺さった。
診察室を出た後、
元貴はしばらく廊下で立ち尽くしていた。
「……突発性、難聴だって」
電話越しの涼ちゃんに、低い声で伝える。
「左耳。
“可能性がある”って」
一拍、沈黙。
若井の声が入る。
「元貴、今どこ」
「病院」
少し間を置いてから、正直に言った。
「……怖い」
初めて、はっきりそう言った。
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