「……いや待って、これ俺が落ち着く番だろ?」
病院の廊下を行ったり来たり。
腕時計を見る回数だけが無駄に増えていく。
「深呼吸、深呼吸……っ」
吸って、吐いて。
……できない。
「おかしいな?
俺、高校の全国大会より緊張してんだけど?」
隣で様子を見ていた研磨に小声で言われる。
「……座れば?」
「無理。座ったら心臓止まる」
冗談のはずなのに、声が若干裏返った。
看護師が通りかかるたびに、条件反射で背筋が伸びる。
「今どんな感じですか!?
え、順調? “順調”ってほんとに!?」
「黒尾さん、落ち着いてください」
「クロ、うるさいよ。」
「落ち着いてます!」
即答。
誰が見ても嘘だった。
――分娩室の向こう側。
🌸が頑張っていると思うと、胸がぎゅっと締め付けられる。
「……俺、何もできてねぇな」
そう呟いた声は、自分でも驚くほど小さかった。
バレーの試合なら、声を出して、指示を出して、流れを作れる。
でも今は、ただ待つことしかできない。
「代わってやれたらいいのに」
冗談じゃなく、本気で思ってしまった。
その時。
「お父さん」
呼ばれて振り向く。
「産まれましたよ。元気な赤ちゃんです」
一瞬、音が消える。
「……は?」
頭が追いつかない。
「え、今?
ちょ、え? 泣き声聞こえた!? 俺、聞こえた気がする!」
足が勝手に動いて、分娩室の前へ。
ドアが開くと、小さな泣き声。
その中心に、🌸がいた。
「……🌸」
ベッドの上で、少し疲れた顔。
それでも、ちゃんと黒尾を見て笑う。
「……よく頑張ったな」
喉が詰まって、それ以上言葉が出ない。
看護師が、赤ちゃんをそっと差し出す。
「抱っこしてみますか?」
「い、いや、俺!?
今!?」
「大丈夫ですよ」
「いやでも首! 首どうなって……!」
完全にテンパる黒尾。
恐る恐る腕を出して、教えられるまま抱き上げる。
「……軽……」
思っていたよりずっと。
壊れてしまいそうで、息をするのも忘れる。
赤ちゃんが泣きながら、ぎゅっと指を握る。
「……あ」
その小さな力に、胸が一気に熱くなった。
「……俺の子、だ」
口に出した瞬間、実感が追いついてくる。
「こんなちっさいのにさ……
もう、全部懸かってる気がする」
🌸の方を見る。
「……ありがとう」
今度は、ちゃんと言えた。
「正直さ、俺テンパってばっかで、
絶対完璧な父親とか無理だけど」
赤ちゃんを見つめたまま、続ける。
「でも、この子だけは
絶対一生守り続ける、」
🌸が小さく笑う。
「なぁ」
赤ちゃんに、そっと声を落とす。
「父ちゃん、不器用でうるさいけどさ
一生味方だから」
泣き声が、少し落ち着いた。
その音に、黒尾はふっと息を吐く。
「……あ、今ちょっと父親になった気する」
🌸がくすっと笑った。
その笑顔を見て、黒尾は確信する。
――この瞬間を守るためなら、
何度だって必死になれる。
赤ちゃんを抱いたまま、静かに言った。
「ようこそ。
黒尾家へ」
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