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⧉▣ FILE_019: ハッキング ▣⧉
車はワイミーズハウスの門から少し離れた街路樹の陰に停まった。
「……ここでいいのか?」
助手席のAに視線を寄越しながら、レイが低く問いかける。
「はい。ありがとうございました、レイさん」
Aはシートベルトを外し、ドアノブに手をかけた。
そのまま出ようとして──ふと、言い添えるように振り返る。
「……あの、今日のことは“極秘”でお願いできますか」
声には、どこか申し訳なさがにじんでいた。
レイはひとつ小さくため息を吐くと、苦笑を浮かべながら頷いた。
「言われなくても、分かってるよ」
Aは一瞬だけ、助手席からその顔を見つめ──微笑んだ。
「……ありがとう、レイさん」
それだけを告げて、ドアを閉める。
車のテールランプがゆっくりと遠ざかっていき、やがて夜の中に溶けた。
Aはその場にしばし佇み、深く息をついてから、ワイミーズハウスへと歩き出した──
重い扉を開けると、いつもの喧騒が一気に押し寄せてくる。
「Aお兄ちゃんだ!」
「おかえりー!」
「ねえねえ、今日どこ行ってたの?」
「見てこれ!」
小さな足音と甲高い声。
何人もの子どもたちが、一斉に駆け寄ってきた。
袖を引かれ、腰に抱きつかれ、手を掴まれる。
いつもの光景。いつもの帰宅。
けれど、今日は──
「……ごめん」
Aは、ほんのわずかに声を落とした。
子どもたちの視線が一斉に集まる。
「今、少し忙しいんだ」
「えー?」
「あとで、必ず話すから」
そう言って、そっと手を外し、すり抜けるように廊下を進む。
背中に、名残惜しそうな声と、少しだけ不満げな視線が突き刺さる。
けれど、振り返らなかった。
胸の奥で、別の音が鳴っていた。
──国家機密をハッキング?
さすがにまずいだろ……。
階段を上がり、二階の奥。
目立たない一角にある──Lの個室。
ドアの前に立つと、Aは深く息を吸い込み、吐いた。心拍を落ち着かせるように、数秒だけ目を閉じる。
(……でも、Lの指示だ。やるしかない)
自分に言い聞かせるように、Aは扉を押し開ける。
床に置かれたパソコンに近づき、パソコンを立ち上げた。
起動と同時に、黒い画面に緑色の文字が走り出す。ログインには既にLの特権IDが使われており、ネットワークに直接アクセスするモードになっていた。
「……本当に、これで捕まらないのかな」
キーボードに手を置いたまま、Aはふと壁を見つめた。外の光も音も届かない。静寂が、逆に恐怖を膨らませる。
(こんな政府機関をハッキングするなんて、まともな人間のやることじゃないな)
けれど──
(Qを巻き込むくらいなら、僕がやる)
指が、キーを叩き始める。
まずは、ハーヴェル科学防衛庁の外部ネットワークに接続されている広報用サーバー。その中に、Lが事前にマークしていた“旧式のリモート監視端末”がある。
目的は、そこから裏口を見つけること──
「……」
──Lはこういうとき、何も感じないのだろうか?
頭の片隅で、そんなことがよぎる。
「……感じないんだろうな」
トンネル経路……生成。ポートは……443、SSL偽装。
指先が止まらない。画面には次々とコードとIPが現れ、そして弾かれ、また潜り込む。
「お願いだから、まだ見つからないで……」
心の中で、そう祈りながら。
Aは、“国家の裏”へと、踏み込んだ。
──そして、見つけた。
“ゼカイン”と名づけられたファイル。複数の暗号化層に守られたその麻薬の正体を。
Aの手元にある復号ツールがひとつひとつ剥いでいく。汗が指の隙間を流れた。
ファイルには、ゼカインの実物写真。やはり、白い粉である。
撮影日時も場所も不明の写真が添付されていた。
──これが、ゼカイン?
添付されたレポートには、こう記されていた。
────
物質名:Marche Zecaine Tranquilizer
分類:合成麻薬性化合物/軍事用神経刺激薬
初期開発:1975年
開発主体:アメリカ合衆国 国防総省
本物質は、冷戦期における特殊作戦部隊用の覚醒・鎮痛・精神安定を同時に実現する戦闘補助薬として設計されたものであり、“主用途は軍人の戦闘持続能力の強化である”。
少量投与時には、
・疲労感の消失
・恐怖心の鈍化
・集中力および判断速度の向上
・痛覚の抑制
といった効果が確認されている。
一方で、過剰摂取時には強い多幸感と依存性を示し、一般的な麻薬と同様の中毒症状を引き起こす。
なお、本物質は免疫系を直接刺激、あるいは破壊する作用を持たず、自己免疫反応・過剰免疫反応・炎症性ショック等を誘発する性質は確認されていない。
──すなわち、『ゼカイン(麻薬)と免疫反応による死亡との因果関係は、医学的に否定される』。
────
「……軍事用の麻薬……」
その言葉に、Aの頭が真っ白になる。
“戦闘補助薬”──それは、命を救うための薬ではなく、命を削って戦わせるための薬。
冷戦時代に作られた薬物。恐怖を鈍化させ、疲労を感じさせず、兵士を“効率的な兵器”に変えるための、戦場のための設計思想。
そんなものが、今──200人以上の死の原因として扱われているというのか?
……しかし。
「──医学的には、あり得ない」
Aは、画面の報告書に目を落とす。
“ゼカインと免疫反応による死亡との因果関係は、医学的に否定される”。
ゼカインは確かに強力な薬物だ。過剰摂取すれば中毒症状を起こし、依存性も高い。
だが──“免疫系を直接刺激する作用はない”。自己免疫疾患を引き起こすような性質もない。
「……じゃあ、なんで」
ゼカインが“原因ではない”というのなら、今回の“免疫暴走”とは完全に無関係ということになる。
にもかかわらず、死者の一部からはこの麻薬成分が検出されている。
それはつまり──“誰か”が、ゼカインを利用しているだけなのか
偽装のためか?混乱を煽るためか?
どちらにせよ──
「──事件の核心は、別のところにある」
Aは、冷や汗を拭うことも忘れ、ファイルの最下部に添えられていた一行に目を凝らした。
本物質の存在は、現時点では“国家機密相当”とする。漏洩の可能性が生じた場合は、迅速な対応を。
──まずい、見つけてしまった。
──消されるかもしれない。
早く、閉じないと。
すると──
《──通信遮断、セッション切断》
「えっ──!?」
Aが画面に表示されたエラーコードに目を見張る。ついさっきまで安定していたトンネルが、突然切断された。
誰かが逆流するデータの動きを察知し、強制的に遮断したのだ。
「やられた……!?」
冷たい汗が頬を伝う。だが、それだけでは終わらなかった。
Aが開いていたウィンドウが、突然“上書き”される。真っ黒な画面、そこに浮かぶのは、ただ一行のメッセージ。
NICE TRY, A.
「──ッ!」
ぞくりと背筋が凍る。キーボードを叩く手が止まる。次の瞬間、画面全体が別のスクリプトに塗りつぶされる。
──侵入された。
──逆ハッキング……!
「まずいッ……!」
Aは即座にショートカットキーを叩き込んだ──キルスイッチ。あらかじめ仕込んでいた自爆プログラムが起動し、接続セッションを強制的に遮断する。
同時に、ハニーポット内部の全ファイルを暗号化し、追跡ログを焼却。だが──
YOU THINK YOU’RE SAFE?
画面に浮かぶ、第二のメッセージ。
「なっ……!?」
焦りを押し隠せない。セッションは切断されたはずだった。だが、このメッセージはローカルに届いている──つまり、侵入は外部からではなく、内部にすでに入り込んでいる。
「……ウイルス、じゃない。これは、スクリプトが走ってる。誰かが、“入って”る……!」
Aは震える指でPC背面のLANケーブルを引き抜いた。だが、画面は止まらない。
それどころか──
WE ALREADY KNOW.
モニターが、一枚の画像へと切り替わる。
それは、Aの顔だった。数分前、部屋でPCに向かっていた、まさに今のA自身の姿。
「……パソコンのカメラを、抜かれた……!」
喉が渇く。背筋を冷たい刃が這うようだった。
──やばい。
やばい、やばい、やばい、やばい。
思考が、意味を成さない速度で暴走する。
侵入された。
見られた。
場所が割れた。
顔を押さえられた。
頭の中で警鐘が鳴り続ける。けれど、止め方が分からない。
(落ち着け、落ち着け、落ち着け……)
何度もそう言い聞かせる。深呼吸をしようとする。けれど、肺がうまく膨らまない。空気が、喉の奥で引っかかる。
鼓動が速すぎる。
耳の奥で、自分の心音が爆音みたいに鳴っていた。
(待て、待て……相手は誰だ……?ハーヴェル? 政府? それとも、別の……?いや、違う、こいつは……もっと、悪い)
“WE ALREADY KNOW.”
その言葉が、何度も何度も、脳内でリフレインする。
知っている。
もう知っている。
最初から知っていた。
(何を……?)
指先が、かすかに震える。
僕の名前?
僕の顔?
侵入経路?
Lとの接触?
それとも──
考えが、そこまで到達した瞬間。
モニターの文字が、切り替わった。
ARE YOU IN WAMMY’S HOUSE.
──息が、止まった。
「……っ」
喉が引きつる。
視界が、急激に狭くなる。
(……ワイミーズ、ハウス……?)
背筋を、氷水で殴られたような感覚。
知ってる……?
この場所を……?
ここが、どこなのか……。
──『特定された』。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
ここには──子供たちがいるのに。
何も知らない、小さな子供たち。Aを「お兄ちゃん」と呼って、無邪気に笑う子供たち。逃げ場も、守る術も、何も持たない子供たち。
(やめろ……)
頭の中で、何かが音を立てて崩れる。
(それだけは……!)
呼吸が、荒れる。
視界の端が、滲む。
もし……もし、ここが特定されたら──
Lが──ワイミーズが、あの子たちが──
最悪の想像が、雪崩のように流れ込む。
爆破。
銃撃。
ウイルス。
毒物。
──皆殺し。
「……や、やめろ……」
声にならない声が、喉の奥から漏れた。
僕の、せいで……?
僕が、ハッキングなんかしたから……?
僕が、Lの代理なんかやってるから……?
指先の震えが、止まらない。
違う……違う、違う、違う……!
こんなの、許されるわけない……!
画面には、まだ、あの一文が光っている。
ARE YOU IN WAMMY’S HOUSE.
敵はすぐそこまで来た。
もう、境界線は越えられた。
このPCは、『敵と繋がった“扉”』。
切れ……!
切れ……!
今すぐ……!!切れ!!
Aは、衝動的に立ち上がった。
机を蹴り、モニターに掴みかかると──そのまま、全力で叩き落とす。
「っ、あああああああ!!」
──ガッシャァァアアンッ!!!
鈍い破壊音。
モニターが割れ、キーボードが弾け飛び、本体が床に転がる。
──さらに、何度も、何度も、踏みつける。
砕く。
壊す。
潰す。
繋がりを、断ち切るために。
息が切れるまで、腕が痺れるまで、指が痛覚を失うまで。
そして、ようやく──Aはその場に崩れ落ちた。
荒い呼吸。
汗と冷気に濡れた額。
床に散らばる破片の中で、Aは天井を見上げて呟いた。
「……くそ……」
喉の奥で、かすれた声が転がった。