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⧉▣ FILE_020: 失敗 ▣⧉
「……はあ、はあ、はあ」
──どうしよう。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
胸の奥で、同じ言葉がぐるぐると回り続ける。出口のない迷路みたいに、思考が同じ場所を踏み荒らす。
居場所が、バレた。
Aである、僕も。
ワイミーズハウスという、名前も、位置も、存在そのものも、外部には極力伏せられているはずの場所が──
Lと繋がっていることまでは、相手にバレていないと信じたい。
いや、信じるしかない。
もし──もし、あの一文が、ただの“揺さぶり”だったのなら。偶然に“ワイミーズ”という単語を投げてきただけなら。
(……そうだ、そうであってくれ)
けれど、胸の奥では、別の声が冷たく囁く。
──偶然なわけあるか。
──完璧に特定された。
思考が、軋む。
胃の奥が、ひっくり返るように痛む。
どうしよう。
どうしよう、どうしよう。
Aは無意識のうちに、右手の人差し指で、親指の爪を弾いていた。
カチ。
カチ、カチ。
乾いた、小さな音。
落ち着こうとするときの、癖。
自分でも気づかないうちに、いつもやっている動作。
カチ。
カチ、カチ、カチ。
(……報告、するべきだ)
Lに。
今、起きたことを。
逆ハッキング。
メッセージ。
ワイミーズハウスの特定。
すべて、正確に。
伝えなきゃ。
それは、分かっている。
分かっているのに──
指が、止まらない。
カチ。
カチ、カチ。
(……怒られる、よな)
胸の奥が、きゅっと縮む。
Lは、怒鳴らない。
感情を荒げたりもしない。
それは分かってる。
でも、それが──いちばん怖い。
〈なぜ、もっと慎重に行動しなかったんですか〉
〈あなたの侵入は、想定より浅かった〉
〈──もういいです〉
そんな声が、容易に想像できてしまう。
そしたら、僕はどうなる──?
L候補から外される。
「適性なし」と判断され、Lから下ろされる。
それは、この場所における“死刑宣告”と、ほとんど同義だった。
Lを下ろされたら、僕はもう、このハウスに必要ない。
才能がない子供。
役に立たない駒。
居場所はない。
残るのは、追い出されるか、捨てられるか。
捨てる──?
また……?
また、僕は捨てられるのか──?
──そんなの、嫌だ。
思考が、そこでひっくり返る。
胸の奥で、拒絶の感情が暴れるように跳ねた。
──嫌だ、嫌だ、嫌だ。
思わず、頭を抱える。
指が髪を掴み、爪が頭皮に食い込む。
考えるな、と自分に命じても、考えずにはいられない。
Lに、報告しなければならない。
事実を。『失敗』を。
想定より浅かった侵入を。
判断を仰がなければならない。
わかっている。
それが、正しい。
それが、義務だ。
……でも。
報告したその瞬間、見限られたら?
使えないと思われたら?
すべてが終わってしまったら──
喉が、ひくりと鳴る。
呼吸が浅くなり、胸が詰まる。
報告するという行為そのものが、“自分の存在を裁きに差し出す”ことのように感じられた。
捨てられる。
そう、はっきりした予感が、背骨に沿って這い上がる。
しかし──ハッキングされたことを、このまま黙っているわけにはいかない。
分かっている。
分かっているのに。
Aは、床に散らばった破片を踏まないように避けながら、震える指で携帯を拾い上げた。
電話、しなきゃ。
でも……押せない。
いや、押したくない。
押した瞬間、何かが終わってしまう気がして。
「……は……」
喉から、空気が漏れる。
「……はぁ……っ」
息が、浅い。
肺が、うまく広がらない。
吸っているのに、吸えていない。
酸素が、足りない。
「……っ、は……はぁ……」
無意識のうちに、肩が上下する。
呼吸が速くなる。
視界の端が、白く滲む。
(……落ち着け……)
そう言い聞かせるほど、心臓は暴れ出す。
肋骨の内側から、破裂しそうなほどの鼓動。
掌に、じっとりと汗が滲む。
指先が、冷たい。
背中を、冷たいものが流れ落ちる感覚。
(……どうしよう)
どうしよう。
どうしよう、どうしよう。
頭の中で、言葉が壊れたみたいに回り続ける。
(……僕、捕まっちゃうのかな)
不意に、現実的な恐怖が、胸に突き刺さる。
国家機関への不正侵入。
軍事データへのアクセス。
逆ハッキングの痕跡。
顔。
居場所。
──全部。
(……捕まる)
その三文字が、脳裏に焼き付く。
手錠。
取調室。
白い蛍光灯。
机。
無数の質問。
「誰の指示だ」
「目的は何だ」
「Lとはどういう関係だ」
(……やめろ……)
想像しただけで、喉が締めつけられる。
息が、さらに乱れる。
「……っ、は……はぁ……」
喉の奥から、嗚咽にも似た音がこぼれた。
(……やだ)
そんなの、絶対に。
許されない。
許されるはずがない。
(……言わなきゃ)
言わなきゃ。
Lに。
全部。
正直に。
隠さず。
取り繕わず。
(……怒られてもいい)
失望されても。叱責されても。冷たく切り捨てられても。それでも。
(……みんなを守るためなら)
子供たちを。
ワイミーズを。
そして、Lを。
Aは、震える指で、画面を見つめた。
通話ボタン。
たった一回、触れるだけ。
それだけなのに。
指が、どうしても──……動かなかった。