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最寄り駅から少し離れた、人通りの少ないロータリー。
水族館の正面入口じゃなくて、裏手の搬入口近く。
あまり目立たない場所。
芸能人同士の暗黙の了解みたいな集合場所。
〇〇は電車を降りる。
キャップを深くかぶり、マスクを直す。
白のトップスに黒のミニスカ。
上から薄手のジャケットを羽織っている。
足取りは少し早い。
〇〇(まだ時間あるよね)
スマホを見る。
集合まであと15分。
余裕。
…のはずなのに、心臓は落ち着かない。
改札を抜け、駅の外へ出る。
春の空気。
少しひんやり。
その時。
「……〇〇?」
聞き慣れた声。
〇〇が顔を上げる。
目の前に、キャップにサングラス姿の樹。
〇〇「え、なんでここにいんの」
樹「それこっちのセリフな」
二人とも一瞬きょとんとして、
同時に笑う。
樹「偶然すぎるだろ」
〇〇「うそ、もう来てたの?」
樹「早めに出た。遅刻したら北斗にうるせぇこと言われるし」
〇〇は少し笑う。
〇〇「北斗、時間うるさいよね」
樹「今日だけは特に神経質そう」
その言い方に、〇〇の胸がちくっとする。
〇〇「……なんで?」
樹は少しだけ〇〇を見る。
サングラス越しでも、視線がわかる。
樹「わかってて聞いてる?」
〇〇は目を逸らす。
〇〇「別に」
少し歩き出す。
樹も隣に並ぶ。
二人で水族館方面へ。
朝だからか、人はまだ少ない。
樹「緊張してる?」
直球。
〇〇「……してない」
即答。でも早い。
樹「してる顔してる」
〇〇「してない」
樹「声震えてる」
〇〇「震えてない」
言い合いみたいになって、二人とも少し笑う。
でも、笑いが落ち着いたあと。
樹が少し真面目な声になる。
樹「今日、ちゃんと答え出すんだろ?」
足が少しだけ止まる。
〇〇「うん」
小さく、でもはっきり。
樹「怖い?」
〇〇は前を見たまま。
〇〇「怖い」
即答。
樹は少し驚いた顔をする。
〇〇「好きって言われて、ちゃんと返すの初めてだから」
正直な言葉。
樹はふっと笑う。
樹「〇〇がそんな顔するの珍しいな」
〇〇「どんな顔」
樹「女の子の顔」
一瞬、言葉に詰まる。
〇〇「なにそれ」
少しだけ照れた声。
樹「ちゃんと考えてるってこと」
歩きながら、〇〇は小さく息を吐く。
〇〇「北斗、なんか言ってた?」
不意に出た名前。
樹は横目で見る。
樹「言ってないよ」
少し間。
樹「でも行くって言った」
〇〇「うん」
樹「普通行かないだろ、好きな子の返事聞きに」
その言葉に、足が止まる。
〇〇「……」
胸が一瞬ざわつく。
〇〇「北斗は仲間だよ」
言い聞かせるみたいに。
樹「知ってるよ」
でも、樹はそれ以上言わない。
遠くに水族館の建物が見えてくる。
〇〇の鼓動が速くなる。
廉も、もう向かってる。
北斗も。
風磨も慎太郎も。
樹が小さく肩を叩く。
樹「とりあえず、今日は楽しめ」
〇〇「え?」
樹「答え出す日だけど、デートでもあるんだろ?」
その言葉に、顔が少し熱くなる。
〇〇「デートじゃないし」
樹「はいはい」
少しだけ空気が軽くなる。
集合場所まであと少し。
〇〇は胸に手を当てる。
鼓動が速い。
水族館の一日が、すぐそこまで来ていた。
館内は少し暗い。
天井から落ちる青い光。
水の揺らぎが壁に反射している。
入口を抜けた瞬間、ひんやりした空気に包まれる。
慎太郎「うわ、テンション上がる」
風磨「静かにしろよお前」
でも声は少し弾んでいる。
最初は大水槽。
巨大なガラスの向こう、ゆったり泳ぐエイとサメ。
〇〇は一歩前に出る。
「……すご」
思わず漏れた声。
マスク越しでもわかるくらい、目が丸い。
白のトップスに青い光が反射して、輪郭が柔らかく見える。
廉はその横顔を見る。
じっと。
魚じゃなくて、〇〇を。
廉(ほんとに、楽しそうな顔するな)
仕事の時の凛とした顔じゃない。
素の、少し子どもみたいな目。
〇〇はガラスに近づきすぎないように、少しだけ距離を取って立つ。
エイがゆっくり近づいてくる。
〇〇「見て、笑ってるみたい」
廉が横に並ぶ。
肩と肩が触れそうで触れない距離。
廉「ほんまや」
でも視線はエイじゃない。
〇〇の目元。
光が反射してきらきらしている。
〇〇がふと横を見る。
一瞬、目が合う。
〇〇「なに?」
廉「別に」
ほんの少し笑う。
〇〇は視線を戻すけど、耳が赤い。
少し後ろ。
北斗はポケットに手を入れたまま立っている。
慎太郎と樹が「でかっ」「こわっ」と騒いでいる横で、静かに。
北斗(廉、わかりやすい)
でも、責める気にはなれない。
自分だって同じ顔をしてる自覚がある。
〇〇が笑うたび、視線が吸い寄せられる。
ガラス越しの青い光の中で、〇〇が少し背伸びして水槽の上の方を見る。
その無防備な仕草。
北斗の喉が小さく鳴る。
北斗(……やめろ)
魚見ろ。
自分に言い聞かせる。
次はクラゲゾーン。
薄暗くて、円形の水槽がいくつも並ぶ。
柔らかい紫やピンクのライト。
静かな空間。
慎太郎「うわ、きれー」
風磨「静かに見ろって場所だな」
〇〇は自然と歩くスピードがゆっくりになる。
クラゲがふわりと浮かぶ。
触れたら消えそうな透明感。
〇〇「かわいい…」
その声は小さい。
本当に好きなものを見る時の声。
廉は少し後ろから見る。
〇〇の横顔。
光に照らされて、まつ毛の影が落ちている。
廉(今、触れたら怒られるよな)
もちろん触らない。
でも、手が少し動く。
北斗も少し離れた位置で立ち止まる。
〇〇が一つの水槽の前でしゃがむ。
黒のミニスカから伸びる脚。
慌てて視線を上げる。
北斗(見るな)
でも、廉が同じタイミングで視線を逸らすのが見える。
一瞬、目が合う。
無言。
お互い何も言わない。
でも、わかる。
同じことを考えてる。
〇〇はそんな空気に気づかない。
「ねえ、これ一番好きかも」
後ろを振り向く。
笑顔。
その笑顔に、廉が先に反応する。
廉「ほなここ最後もう一回戻ろうか」
〇〇「ほんと?」
廉「うん」
自然すぎる提案。
北斗の胸が少しだけ重くなる。
でも、口に出すわけじゃない。
ペンギンエリア。
外の光が少し入る。
ペンギンがよちよち歩く。
慎太郎が大騒ぎ。
「かわいすぎる!」
〇〇も笑う。
ペンギンがジャンプして水に入る瞬間、思わず声を上げる。
「わ、すご!」
その勢いで廉の腕を軽く掴む。
無意識。
掴んだ瞬間、固まる。
〇〇「……あ」
廉は一瞬だけ息を止める。
でもすぐ自然に。
廉「びっくりした?」
優しい声。
〇〇はゆっくり手を離す。
「ごめん」
「いいよ」
北斗はそれを見ている。
笑っている慎太郎の後ろから。
北斗(触るなよ)
心の中で思うだけ。
表情は変えない。
樹が横に来る。
樹「顔、出てるぞ」
北斗「出てない」
樹「出てる」
北斗は小さく息を吐く。
ペンギンが水中を高速で泳ぐ。
〇〇がガラスに顔を近づける。
その横顔を、今度は北斗が真正面から見る。
少し無防備。
少し子どもっぽい。
でも、今日の服は大人。
北斗(好きなんだよな)
改めて思う。
仲間って言われても。
それでも。
廉はその後ろ姿を見ている。
〇〇の背中。
白いトップスが光に透ける。
廉(今日、答えが出る)
怖い。
でも逃げない。
〇〇が振り向く。
「ねえ、次あっち行こ」
自然に笑う。
六人でまた歩き出す。
騒いだり、写真撮るふりしたり。
でも。
青い光の中。
それぞれの視線は、何度も交差する。
廉は〇〇を見る。
北斗も〇〇を見る。
〇〇は魚を見る。
そして時々、廉を見る。
時々、北斗を見る。
水槽の中の魚みたいに、感情がゆらゆら揺れている。
まだ答えは出ていない。
でも。
この時間は、確かに特別だった。
ペンギンエリアを抜けて、少し歩いたところ。
売店の甘い匂いと、フードコートのざわざわした音。
水槽の青とは違う、現実っぽい空気。
樹が急にお腹を押さえる。
樹「……無理。腹減った」
慎太郎「早」
風磨「さっきまでペンギンで騒いでただろ」
樹「だからだよ。体力使った」
〇〇が小さく笑う。
〇〇「もうお昼?」
スマホを見る。
もう12時を少し回っている。
廉「ちょうどいいんちゃう?」
北斗も頷く。
北斗「混む前に行こ」
自然にフードコートへ向かう六人。
注文カウンターでそれぞれ頼む。
慎太郎はカレー。
風磨はハンバーグプレート。
樹はラーメン。
北斗はサンドイッチとコーヒー。
廉はパスタ。
〇〇はオムライスとりんごジュース。
トレーを持って、席を探す。
少し奥まった窓際。
外の光が入る、でも人目はそこまでない場所。
慎太郎が先にテーブルを確保する。
六人掛け。
なんとなく、自然に座る。
並びはこう。
窓側の奥から
慎太郎、風磨、樹。
その向かい側。
北斗、〇〇、廉。
つまり。
〇〇の左に北斗。
右に廉。
一瞬だけ、空気が止まる。
でも誰も何も言わない。
座った瞬間、距離が一気に近くなる。
肩と肩の感覚。
〇〇は小さく息を整える。
慎太郎「いただきまーす!」
全員が続く。
少しの間、食べる音だけ。
でもすぐにいつもの空気。
樹「さっきのエイ、顔怖すぎ」
風磨「お前の方が怖い」
慎太郎が笑い転げる。
〇〇も笑う。
その笑い声に、左右の二人の意識が向く。
廉はフォークを持つ手を止める。
北斗はコーヒーに口をつけながら、横目で見る。
〇〇がオムライスを一口食べる。
「おいしい」
素直な顔。
廉「一口ちょうだい」
自然に言う。
〇〇「え、やだ」
即答。
廉「なんで」
〇〇「自分のあるでしょ」
北斗が少し笑う。
北斗「ケチ」
〇〇「北斗もあげないからね」
北斗「いらない」
即答。
でも少しだけ口元が緩んでいる。
廉が少し身を乗り出す。
廉「ほんとに一口だけ」
〇〇「だめ」
距離が近い。
声も少し低くなる。
樹がニヤニヤしている。
樹「ここカップル席?」
風磨「公開デート?」
〇〇「違う!」
少し声が大きくなる。
慌てて周りを見る。
廉が小さく笑う。
廉「冗談だって」
その笑顔が柔らかい。
北斗は黙ってサンドイッチをかじる。
でも視線はテーブルじゃない。
〇〇の横顔。
笑うと目が少し細くなる。
それをこんな距離で見るのは、正直きつい。
北斗(近すぎ)
でも席は変えない。
変えたら、負けたみたいで嫌だ。
〇〇のオムライスの横には小さなサラダ。
レタス、トマト、きゅうり。
そして――細く切られたにんじん。
〇〇はフォークでサラダをつつく。
一瞬止まる。
にんじんだけが綺麗に残る。
北斗が横目で気づく。
北斗「また残してる」
〇〇「残してない」
北斗「残すやつの動き」
廉もちらっと見る。
廉「嫌いだっけ」
〇〇「嫌いじゃない。得意じゃないだけ」
樹「一緒だろ」
〇〇は小さくため息をつく。
そして、サラダの端ににんじんを寄せる。
そのまま斜め向かいの風磨を見る。
〇〇「風磨」
風磨「ん?」
〇〇「にんじんあげる」
フォークでつまんで差し出す。
自然な動き。
風磨は一瞬止まる。
そして、わざとらしく眉を上げる。
風磨「なんで俺」
〇〇「食べれるでしょ」
風磨「食べれるけど」
少し身を引く。
風磨「他のやつにあげて」
その一言で、空気がほんの少し変わる。
慎太郎「え、俺やだよ?」
樹「俺もやだ」
廉が小さく笑う。
廉「人気ないな、にんじん」
〇〇は少しむっとする。
「風磨なら食べてくれると思ったのに」
風磨「思うな」
即答。
でも顔は少し面白がっている。
〇〇が困った顔でフォークを持ったまま止まる。
その様子を、左右の二人が見る。
廉が先に動く。
廉「ちょうだい」
手を出す。
〇〇「ほんとに?」
廉「うん」
少し照れたみたいな顔。
その瞬間。
北斗の手が、〇〇のトレーに伸びる。
無言でフォークを取る。
〇〇「え」
北斗、にんじんを一口で食べる。
もぐもぐ。
何事もなかったみたいに水を飲む。
「食えばいいんだろ」
静かな声。
一瞬、全員止まる。
樹「は?」
慎太郎「え、なに今」
風磨が吹き出す。
廉は固まる。
〇〇は目を丸くする。
「……ありがと」
小さく言う。
北斗は目を合わせない。
「別に」
廉が少しだけ笑う。
でもその笑顔は、少し引きつっている。
廉「俺の出番なくなった」
風磨「張り合うなよ」
慎太郎「にんじんで三角関係?」
樹「レベル低」
〇〇「違うから!」
でも顔が赤い。
北斗はもう普通にサンドイッチを食べている。
廉はフォークをくるくる回す。
風磨がぼそっと言う。
風磨「ほんと分かりやすい」
誰に向けてかは言わない。
〇〇は気づいていない。
ただ少しだけ、北斗の横顔を見る。
北斗はいつも通り。
でも耳だけ、少し赤い。
廉はその横顔も見ている。
そして思う。
廉(今日、ちゃんと決める)
にんじん一つで揺れる空気。
でも。
それくらい、今は敏感だった。
慎太郎「午後どうする?」
樹「イルカショーあるらしい」
〇〇「行きたい!!」
即答。
その声に廉が反応する。
廉「じゃあ時間調べる」
すぐスマホを出す。
北斗は何も言わない。
でも〇〇が少し身を乗り出して廉の画面を覗く。
肩が触れる。
その光景を、北斗は真横で見る。
胸の奥がじわっと熱くなる。
でも表情は変えない。
風磨がちらっと北斗を見る。
風磨(きついな)
でも何も言わない。
〇〇がふと北斗の方を見る。
「北斗は?」
突然話を振られる。
北斗「なにが」
〇〇「イルカショー」
北斗は少しだけ間を置く。
「行くよ」
短いけど、ちゃんと目を見て言う。
〇〇は少し安心した顔をする。
「よかった」
その一言が、北斗には重い。
廉はそれを横で聞いている。
廉(仲間、なんだよな)
わかってる。
でも、気になる。
六人で笑いながら食べる昼食。
でもテーブルの下では、それぞれの鼓動が違うリズムで鳴っている。
まだ午後は続く。
そして。
本番は、まだ先。
イルカショー会場。
半円状のスタンド席。
前列はびしょ濡れ注意のエリア。
慎太郎が迷いなく一番前に座る。
慎太郎「ここが一番楽しいだろ!」
風磨「絶対かかるやつ」
廉も隣に座る。
「まあ、前の方が見やすいし」
その後ろの列。
樹が真ん中に座り、その隣に〇〇。
〇〇の右側に北斗。
北斗は静かに座る。
ステージには大きなプール。
イルカが水面から顔を出す。
観客の歓声。
〇〇「近い…!」
少し身を乗り出す。
北斗はさりげなく背もたれに手を置く。
距離は近い。
でも触れない。
ショーが始まる。
ジャンプ、回転、拍手。
慎太郎が全力で盛り上がる。
「すげー!!」
風磨「声でかい」
廉も笑いながら拍手している。
でも時々、後ろを見る。
〇〇が楽しそうに笑っているのが見える。
その顔に安心する。
ショー中盤。
トレーナーが声を張る。
「次は特別パフォーマンスです!」
イルカが一斉に助走をつける。
北斗の視線が一瞬、プールの端に向く。
水面の揺れ。
角度。
位置。
北斗(あ、これ…)
前列は確実にかかる。
後列も、場所によっては。
ほんの一瞬。
本当に一秒未満。
イルカが同時に大ジャンプ。
大量の水が弧を描く。
その瞬間。
廉が気づく。
「やば」
反射的に後ろを振り向く。
〇〇を見ようとする。
でも。
北斗はもう動いている。
無意識。
考える前。
左手を背もたれから外し、〇〇の肩を引き寄せる。
自分の体を少し前に出して、覆う。
水が――
ざあっ!!!
前列直撃。
慎太郎絶叫。
風磨「冷たっ!」
廉もびしょ濡れ。
そして、後列。
水しぶきが届く。
でも。
北斗の背中にほとんど当たる。
〇〇の顔には、ほとんどかからない。
一瞬の静止。
水音だけが残る。
〇〇は目をぎゅっと閉じている。
でも、あまり濡れていないことに気づく。
ゆっくり目を開ける。
目の前に、北斗の胸元。
近い。
北斗の腕が、肩の前にある。
覆われている。
〇〇「……北斗?」
北斗はゆっくり体を戻す。
背中はしっかり濡れている。
髪から水が落ちる。
「大丈夫?」
それだけ。
廉は前列からそれを見る。
一瞬、何も言えない。
自分は振り向いただけだった。
北斗は、動いた。
樹が後ろで口を開けている。
「お前…」
慎太郎が振り向く。
「〇〇無事!?」
〇〇はまだ少し固まっている。
「うん…」
北斗を見る。
「ありがとう」
小さく言う。
北斗は目を逸らす。
「別に」
廉が立ち上がって振り向く。
髪から水が垂れている。
「かかんなかった?」
〇〇は少し迷ってから答える。
「うん、大丈夫」
その視線が一瞬、北斗に向く。
廉はそれを見逃さない。
胸の奥が、ぎゅっと締まる。
風磨がぼそっと言う。
「かっこつけやがって」
でも声は小さい。
ショーはまだ続いている。
観客は笑っている。
でも。
三人の間の空気は、さっきまでと違う。
北斗の背中は濡れている。
廉の心も、少しだけ揺れている。
〇〇はまだ鼓動が速い。
水よりも強い衝撃。
たった一秒。
でも。
その一秒が、確実に何かを動かした。
イルカショーが終わり、観客が一斉に立ち上がる。
ざわざわとした空気の中、北斗の背中ははっきり濡れていた。
黒いシャツの色が一段濃くなっている。
慎太郎「北斗、やばくね?」
風磨「びしょびしょじゃん」
樹「風邪ひくぞ」
北斗は軽く肩をすくめる。
「そのうち乾く」
でも空調は効いている。
冷えるのは明らか。
〇〇はじっとその背中を見る。
さっき自分を覆ったときの感触が、まだ残っている。
〇〇「服、買お」
突然言う。
全員が止まる。
廉「え?」
〇〇「このまま無理でしょ」
北斗「いらない」
即答。
〇〇「いる」
目をまっすぐ向ける。
「さっき私のせいで濡れたんだから」
北斗「お前のせいじゃない」
〇〇「でも嫌」
その言い方が、少しだけ強い。
風磨がニヤっとする。
「じゃあ行ってこいよ」
樹「この中ブランド入ってたよな」
慎太郎「俺らベンチで待ってるわ」
廉は黙っている。
〇〇が廉を見る。
「すぐ戻る」
その一言。
廉は少し笑う。
「うん、行ってきな」
声は普通。
でも目は一瞬、北斗に向く。
北斗はそれを受け止める。
何も言わない。
館内のアパレルショップ。
落ち着いた照明。
水族館らしい海モチーフの服もあるけど、普通のブランドも並んでいる。
〇〇と北斗、並んで入る。
店員が軽く会釈。
〇〇はラックを見始める。
「これとかどう?」
白のシンプルなシャツを持つ。
北斗「派手」
〇〇「どこが」
北斗「お前の基準バグってる」
〇〇は少し笑う。
濡れた北斗の背中を見る。
「寒くない?」
北斗「ちょっと」
正直。
〇〇は少し眉を寄せる。
「ごめん」
北斗「だから違うって」
目が合う。
さっきの一秒を思い出す距離。
〇〇はすぐ逸らす。
別のシャツを手に取る。
黒。シンプル。
「これ」
北斗はそれを見る。
「無難」
〇〇「無難が一番」
少し近づいて、タグを見る。
肩が触れる。
北斗の心拍が少し上がる。
〇〇は気づかない。
「試着して」
北斗「ここで?」
〇〇「試着室あるでしょ」
軽く背中を押す。
北斗は観念して試着室へ。
カーテンが閉まる。
〇〇は外で待つ。
少し落ち着かない。
さっきのことが頭をよぎる。
あの腕。
あの距離。
北斗「……どう」
カーテンが開く。
黒のシャツ。
濡れた髪が少し乾きかけ。
〇〇は一瞬、言葉を失う。
似合ってる。
でもそれをそのまま言うのが悔しい。
「うん、いい」
北斗「雑」
〇〇「似合ってる」
ちゃんと言い直す。
目が合う。
北斗は一瞬、視線を外す。
「じゃあこれでいい」
店員がそっと近づく。
「こちらお決まりでしたらレジへどうぞ」
北斗はタグを見て眉を少し動かす。
「思ったよりするな」
〇〇「いいじゃん」
北斗「よくない」
そのまま財布を出そうとする。
その瞬間。
〇〇が先にカードを出す。
北斗「は?」
〇〇「私が払う」
北斗「なんで」
〇〇は少しだけ真顔になる。
「さっき守ってくれたから」
一瞬、空気が止まる。
北斗「……守ってない」
〇〇「守った」
即答。
「私、全然濡れてなかった」
北斗は視線を逸らす。
「勝手に動いただけ」
〇〇「それが守ったって言うの」
カードを差し出す。
北斗がそれを止めようと手を伸ばす。
手が一瞬触れる。
〇〇の鼓動が跳ねる。
北斗「いいって」
〇〇「やだ」
まっすぐ見る。
「ありがとうの気持ち。受け取って」
北斗はその目に弱い。
ほんの数秒見つめ合う。
北斗が先に折れる。
小さく息を吐く。
「……一回だけな」
〇〇が少し笑う。
「うん」
会計が済む。
袋を渡される。
店を出る直前。
北斗がぽつりと言う。
「廉にも奢るの」
〇〇「なんで」
北斗「さっき振り向いてた」
〇〇は一瞬止まる。
「それは関係ない」
北斗「ふーん」
少しだけ棘のある声。
〇〇は首を傾げる。
「なに、気にしてる?」
北斗はすぐ否定しない。
数秒の沈黙。
「……別に」
その「別に」が、少し低い。
〇〇は気づかないふりをする。
「はい、これ持って」
袋を北斗に押し付ける。
歩き出す。
少し前を行く〇〇。
北斗はその後ろ姿を見る。
さっきの一秒。
肩を引き寄せた感触。
「守ってくれたから」
その言葉が頭から離れない。
ーーー
ベンチに戻ると、四人が顔を上げる。
慎太郎「お、ニュー北斗」
風磨「買ったのか」
樹「似合ってるじゃん」
廉も見る。
一瞬、〇〇を見る。
「似合ってる」
穏やかに言う。
〇〇がうなずく。
「でしょ」
自然な会話。
でも。
廉は袋を持つ北斗を見る。
「奢り?」
静かに聞く。
〇〇があっさり答える。
「うん」
空気がほんの少し揺れる。
廉の笑顔は崩れない。
「そっか」
それだけ。
北斗は何も言わない。
でも袋を握る手に、少し力が入る。
守った代わりにもらったシャツ。
ただの服なのに。
重さが、少し違った。
慎太郎「ニュー北斗、爆誕じゃん」
風磨「普通に似合ってるの腹立つ」
樹「サイズぴったりだな」
廉「うん、いいじゃん」
北斗「ありがと」
〇〇「私のセンスだからね」
北斗「自分で言うな」
〇〇「事実」
廉はそのやり取りを見て、少しだけ目を細める。
廉「このあとどうする?」
慎太郎「まだ時間あるよな?」
樹「深海エリア行ってなくね?」
風磨「クラゲもっかい見たい」
〇〇「行こ」
即答。
北斗は〇〇の横に自然に並ぶ。
廉は一瞬その位置を見るけど、何も言わず歩き出す。
深海エリア。
照明は暗め。
青い光がゆらゆら揺れる。
大きな水槽の前で、みんな自然と立ち止まる。
慎太郎「でっか!」
樹「顔こわ」
風磨「お前のほうが怖い」
〇〇は水槽に近づく。
ガラス越しに、ゆっくり泳ぐエイを目で追う。
〇〇「きれい…」
その横顔を、二人が見る。
北斗は少し後ろから。
廉は少し斜め前から。
廉はゆっくり近づく。
廉「さっき楽しかった?」
〇〇「うん、めっちゃ」
廉「濡れなくてよかった」
その言い方が少しだけ優しい。
〇〇「ほんとね」
一瞬、北斗を見る。
北斗は視線を水槽に向けたまま。
北斗「前列、悲惨だったけどな」
慎太郎「俺まだ冷たい!」
風磨「自業自得」
笑いが起きる。
少し空気が和らぐ。
クラゲエリア。
天井からも水槽が吊られている。
光に照らされたクラゲがゆっくり漂う。
〇〇は真上を見上げる。
白いトップスに青い光が映る。
北斗はその横顔を見る。
北斗「さっきの、ほんとにいいの」
〇〇「なにが」
北斗「服」
〇〇「いいって言ったでしょ」
北斗「借り一個な」
〇〇「いらない」
北斗「返す」
〇〇「返さなくていい」
目が合う。
距離が少し近い。
廉がその空気を感じて、間に入る。
廉「写真撮ろうか」
〇〇「撮る!」
すぐそっちを見る。
北斗は一瞬だけ視線を落とす。
みんな並ぶ。
慎太郎「俺真ん中!」
風磨「どけ」
わちゃわちゃしながら撮影。
廉がスマホを構える。
廉「いくで」
〇〇は笑う。
その瞬間、北斗は横目で〇〇を見る。
シャッター音。
歩きながら。
樹「このあとどうする?カフェ?」
風磨「甘いの食う?」
慎太郎「賛成!」
〇〇「アイス食べたい」
北斗「さっき昼食っただろ」
〇〇「別腹」
廉は少しだけ笑う。
廉「じゃあ最後にカフェ寄って帰ろ」
その声は穏やか。
でも心の中は静かじゃない。
廉(今日、どこで言う)
北斗(まだ時間ある)
〇〇は何も知らず、楽しそうに歩く。
水族館の青い光の中。
三人の距離は近いのに、
それぞれの気持ちは、少しずつ違う方向を向いていた。
ーーーー
水族館内のカフェ。
大きな窓から海が見える。
少し落ち着いた雰囲気。
慎太郎「ここ入ろ!」
風磨「混んでなくていいな」
樹「席どうする?」
〇〇「窓側がいい」
即答。
テーブルは六人掛け。
長方形。
窓側に三席、通路側に三席。
自然と座り始める。
窓側、真ん中に〇〇。
その右に樹。
左に――北斗が座ろうとする。
その瞬間。
廉「隣いい?」
ほんの少しだけ早い。
〇〇「うん」
廉が左に座る。
北斗の動きが一瞬止まる。
でも何も言わず、通路側の〇〇の正面に座る。
その隣に風磨。
一番端に慎太郎。
店員「ご注文お決まりですか?」
〇〇「えっと…いちごミルクありますか?」
店員「ございます」
〇〇「それで」
廉は少し笑う。
廉「やっぱそれやな笑」
〇〇「コーヒー無理」
北斗「子ども」
〇〇「うるさい」
北斗「ブラック飲めないくせに」
〇〇「飲めるけど飲まないの」
廉「無理して飲んで顔しかめるやん」
〇〇「やめてそれ言うの」
風磨「想像できる」
慎太郎「絶対苦い顔する」
樹「目つぶるタイプ」
〇〇「みんな敵?」
北斗はコーヒーを頼む。
廉もアイスコーヒー。
風磨は甘いラテ。
慎太郎はチョコパフェ。
樹はブレンド。
注文が運ばれる。
ピンク色のいちごミルクを両手で持つ〇〇。
北斗はそれを見て少しだけ笑う。
北斗「ほんと子ども」
〇〇「かわいいでしょ笑?」
北斗「自分で言うな」
廉はストローをくわえながら〇〇を見る。
廉「甘いの好きよな」
〇〇「うん!!」
無邪気に頷く。
北斗は真正面からその様子を見る。
ブラックコーヒーを一口。
苦い。
でも表情は変えない。
慎太郎「一口ちょうだい!」
〇〇「やだ」
慎太郎「ケチ」
風磨「パフェ寄越せ」
わちゃわちゃする空気。
その中で。
廉「今日さ」
少し落ち着いた声。
〇〇「ん?」
廉「来てくれてありがと」
一瞬だけ空気が静かになる。
〇〇「こちらこそ」
自然に笑う。
北斗はそのやり取りを黙って見る。
コーヒーカップを持つ手に、ほんの少し力が入る。
甘いいちごミルクと、苦いブラック。
向かい合う二人の距離は同じなのに、
味は全然違った。
カフェを出る。
夕方の光が少しオレンジ色。
慎太郎「まだ帰るには早くね?」
樹「隣ショッピングモールあるよな」
風磨「行く?」
〇〇「行こ」
即決。
廉は少しだけ〇〇を見る。
廉「歩ける?」
〇〇「余裕」
北斗「さっきパフェ食ってたやつが言うな」
〇〇「元気」
ショッピングモール。
中は明るくて人もそこそこいる。
みんな変装はしているけど、さりげなく距離を保つ。
まず入ったのは雑貨屋。
慎太郎「これ可愛い!」
風磨「お前それ家に置くの?」
樹「絶対使わない」
〇〇は小さなガラスのキーホルダーを見る。
イルカの形。
〇〇「これいい」
廉が隣に来る。
廉「今日の記念?」
〇〇「うん」
北斗も横に来る。
北斗「俺も買お」
〇〇「なんで」
北斗「別に」
廉も棚を見る。
少し考えて。
廉「じゃあ俺も」
三人、同じイルカのキーホルダーを手に取る。
樹「なにそれ」
慎太郎「お揃い?」
風磨「青春かよ」
〇〇「いいじゃん」
レジに並ぶ。
自然と並び順は、
〇〇の後ろに廉。
その後ろに北斗。
北斗は前の二人の背中を見る。
距離が近い。
少しだけ視線を落とす。
次は服屋。
慎太郎はキャップを買う。
風磨はサングラス。
樹はシンプルなTシャツ。
〇〇はアクセサリー売り場で立ち止まる。
細いシルバーのブレスレット。
〇〇「可愛い」
廉「似合いそう」
北斗は黙って見る。
〇〇は試着する。
手首が細い。
北斗の目線はそこに止まる。
〇〇「どう?」
廉「いい」
北斗「……似合ってる」
少し間がある。
〇〇は気づかない。
そのまま購入。
袋を持つ。
スポーツショップ前。
慎太郎「これお揃いで買わない?」
シンプルな黒のパーカー。
ワンポイントだけ小さなロゴ。
風磨「普段着れるやつだな」
樹「全員黒?」
〇〇「いいじゃん」
廉「サイズどうすんの?」
北斗はラックから一枚取る。
北斗「〇〇これ」
〇〇「でかくない?」
北斗「ちょい大きめがいい」
廉は別のサイズを取る。
廉「こっちの方がええ」
一瞬。
静かな火花。
〇〇「じゃあ…」
少し迷って。
「北斗のにする」
廉の指がほんの少し止まる。
でもすぐに笑う。
廉「そっか」
六人分、色違いで購入。
黒、グレー、ネイビー。
〇〇は黒。
北斗も黒。
廉はグレー。
袋が増える。
慎太郎「なんか修学旅行みたい」
風磨「お前テンション高すぎ」
〇〇は満足そう。
「今日楽しかったね」
廉はその横顔を見る。
北斗も見る。
二人の視線はまた交差する。
イルカのキーホルダーが、袋の中で小さく揺れる。
お揃いは一つだけじゃない。
でも。
本当に揃えたいものは、
まだ誰も揃えられていなかった。
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