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島田タクミに連れられて玄関を抜け、一度エントランス庭へとでた。
それから1階に降り、ダンボール箱やビールタンクが置かれた裏口から、店内へと足を踏み入れた。
休憩時間のホール。
優美な内装とは釣り合わない軽快なJポップダンス曲が流れていた。
裏口からすぐのテーブルでは、百瀬あかねが携帯電話に触れながら、音楽に合わせて頭を揺らしている。
ホール反対側の入り口付近には、ひとりの男が客椅子をベッドのように並べて眠っている。
ツトムはすぐに時夫がいるであろうキッチンを覗いてみたかった。
しかし音楽を切り裂く百瀬あかねの声に視線を奪われた。
「あっ、ツトムくんだー。入居おめでとう!」
百瀬あかねが近づいてきてはツトムの腕をつかみ、椅子へと引きずり込んだ。
「タクちゃんはこっちこないでね。ちょっとふたりで話すことがあるから」
「さっさと終わらせてくれよ」
「ああ、タクちゃん、知ってた? ツトムくんて、わたしの彼氏候補なんだよ。だよね? ツトムくん」
「みなさんとはじめて会うんだ。誤解を招くような話はやめてくれよ」
「ねぇねぇ、そんなことよりわたしのビッタのお味はどうだった?」
「ああ、それずっと気になってたんだけど……。けっきょくなにかわからずじまいだったよ」
「うそ……。わたしと会った3日後に、体調不良にならなかった?
もしかして体を鍛えたプロスポーツマンにはビッタが効かないとか? えっ、でもそうだとしたらわたしの生理痛はどこに消えたんだろ?」
「あっ! あれがそうだったのか」
ツトムは思わず大声をあげた。
野球人生においてはじめて体調不良で練習に参加できす、選手寮でうめきつづけた3日間だった。
頑丈な体が取り柄だったツトムは当時失意を抱いたが、いまさらながらそれが百瀬の能力によるものだと知り、なぜか胸を撫でおろした。
「わたしは自分と相手との体調を入れ替えられるの。対象を3回叩くことで、3日後に相手はわたしの体調を引き継ぐのよ」
「体調を入れ替える……」
「そう。生理痛を経験したんだから、すこしは女として生きる辛さがわかった? わたしに優しくする気になったでしょ」
「気絶王子とまで呼ばれた俺が、体調不良で練習を休んだんだ。監督やコーチが抱く南海ツトムの印象が、その日を堺にどうなったか想像がつくかい?」
「ん? どういうこと?」
百瀬は宙に目をやりながら、身に起こった状況を考えた。
それから急に血の気を失い青ざめた。
「ツトムくん……。ごめんなさい」
「いや、謝るなんてとんでもないよ。むしろありがとうって言いたいほどさ。
俺は3日間床に伏したことで、じつは自分の心がどこにむいているのかをはっきりと認識し、シェアハウスへの入居を決心できたんだから」
「でしょー。さすがわたしだよね」
「……」
ツトムは呆気にとられながら席を立った。
「とにかく、まずはみなさなんにあいさつをしたいから、またあとで」
「あっちで椅子を並べて寝てるのが、ホベルト・ソウスケだ」
島田タクミは入り口近くで眠る男を指さした。
「ブラジル人と日本人とのハーフだが、ブラジル公用語であるポルトガル語は使えない。
しかも神戸生まれの関西弁人間で、さらにはイカれたヤロウだ。つまり情報過多の面倒くせぇヤツってわけだ」
「ホベルト・ソウスケさんですね。覚えておきます」
ツトムはふとももにホベルト・ソウスケと3度書き込んだ。
「ヤツのビッタはすげぇ特殊でな。本人は非公開だと言ってるんだけど、じつはまだ自分がもつビッタがなんなのかわかってないんだ。
神戸の港で偶然美濃輪雄二に能力者だと告げられて、ふたつ返事でここにやってきた能天気ヤロウってわけさ」
「そんなことがあるんですね」
「しかしもっと恐ろしいのは、ヤツは時々無意識にビッタを発動させる。
そしてヤツのビッタが発動したら、まわりには一目瞭然だ。なのに当の本人だけはビッタに気づいていないという、本末転倒な状況が発生する」
「それってどういうことですか。
ビッタが発動しているのに、本人がそのことに気づいてない。それでどうやってこれまで平穏無事に過ごしてこれたのですか?」
「そりゃオレたちだからビッタだから気づくんであって、ふつうの人はヤツを変人扱いするだけさ。幸か不幸か、現にそう思われてもおかしくないような人格の持ち主だからな、あいつぁ。
まあ、本人が非公開だと言ってるからいまは教えてやれないけど、すぐ目にするときがくるさ。その日まで楽しみにしとくといい」
「わかりました」
ツトムは込みあげる興味本位をぐっと押さえた。
「で、つぎにキッチンなんだけど……」
島田タクミはキッチンの入り口手前で立ち止まった。
「飲食店では往々にしてあるんだが、ウチの店もホールとキッチンはあまり仲がよくないんだ。だからさっと顔見せだけ行ったら、すぐにでるようにな」
島田タクミのあとについてキッチンに足を踏み入れる。
ホールに鳴り響くJポップがぐっと音圧を下げた。
焼き窯が存在感を放つピザキッチンでは、五十嵐真由が作業台のうえにファッション雑誌を広げて目を通していた。