「ねぇ、ヤバいね。ワイドショーとかあの話題で持ちきりよ」
あの日から数日。婦人雑誌にすっぱ抜かれた莉音とMISAの熱愛報道と、子役苛めの実態を特集した記事は瞬く間にテレビやネット上で拡散され、世間の注目を一身に集めた。
そうして、雑誌が発売されて数日が経った今日も、テレビやネットで連日の報道が流れ続けている。
アレが自分たちの記事じゃなくて良かった。自分たちの保身の為、彼らを売ったような形になってしまったが、普段の態度が態度だった為に、心の何処かでざまあみろと思えたのはここだけの話だ。
「いいんじゃねぇの? 美月やオッサン達を散々馬鹿にして来た報いを受けたんだ。当然の結果って奴じゃね?」
高視聴率をつづけていた、ドラゴンライダーも視聴率は急降下し、もはや風前の灯とまで言われる始末。
「ちょっと可哀想な気もするけど……」
「姉さんは甘すぎるんです。だいたい、姉さんの可愛さに気付かないなんて、あのMISAって人もたかが知れてますよ」
控室で台本を読みながら、弓弦がいけしゃぁしゃあと言い放ち、それに同意するように東海が激しく首を縦に振っている。
「でもさ、酷いよみんな。俺だけ、大事な時に居なかったなんて……声掛けてくれても良かったのに」
クッションを抱き締めながら、ナギが不貞腐れた様子で不満げな声を漏らした。自分だけ除け者にされていたのが余程不満だったのか、拗ねた様子を隠すことなく唇を尖らせている。
「悪かったって言ってるだろ? 記者に狙われてたのは俺達二人だったからさ、一緒に居ない方がいいと思ったんだ」
「……わかってる。 わかってるけど……俺ばっか守られてるみたいで……嫌だ」
膝を抱えてクッションに顔を埋めるナギを、抱きしめてやりたい衝動に駆られるが、一度伸ばした手を躊躇して引っ込めた。
例え控室と言えど、何処で誰が見ているのかわからない。もう二度と同じ轍は踏まないと誓ったのだ。
そんな軽率な行動はしたくない。
「ナギ君の気持ちもわからなくもないけど。取り敢えず、蓮君の衣装に細工した犯人も無事にわかったんだし、一件落着って事にしようよ」
「棗さんの言うとうりです。これで心置きなく撮影が再開できますね」
雪之丞が窘めるように言うとそれに便乗する形で弓弦がにこやかに頷く。
「そうだね。謹慎してた間ずっと台本の読み込みしてたから、じつは俺、セリフ全部覚えちゃったんだよね」
「え? マジで? ナギはどんだけ暇してたんだよ」
「そう言う逢坂さんだって、撮影が無さ過ぎて台本全部覚えた~とか言って、学校でスタントの練習してたじゃないですか。御堂さんよりもキレのある動きをするんだって張り切って、私に無理やり練習に付き合えって無茶ぶりしてたの誰でしたっけ?」
「ちょっ、草薙君 それは言うなって言ったじゃん!」
慌てふためく東海を見て、その場にいた全員が噴き出し、控室内に楽しげな笑い声が満ちる。
やっぱり、この空間が好きだ。色々とトラブルも多いけれど、皆で揃っていて初めて居心地がいいと感じられる。
「そういえばさ、台本読んでて思ったんだけど……。“シークレットキャラ”って何?」
美月がページを捲りながら首を傾げると、すかさず東海が食いついた。
「それ俺も気になってた。ブラックの欄に名前がなくて、代わりに《シークレット》って書かれてんだよな」
「新キャラかなぁ? でも追加戦士はもう出揃ってるし……」
雪之丞がゲームをしていた手を止め、不思議そうに眉を寄せる。
「サプライズ枠なんじゃないですか? それとも以前みたいにゲスト回限定とか」
弓弦が台本をぱたんと閉じて、静かに言った。
「あ! この間の銀次君みたいな感じかな? ちょっとだけ出てきた幻のブラック!」
ナギが思い出したように声を弾ませると、みんなが「あぁ」と納得したように頷く。
「確かにありそうですね。でも、ブラック=銀次さんってイメージが強いですし、違う人って可能性もありますよ」
「まぁな。銀次はコラボ限定キャラだったし、別キャラって線の方が濃いかも」
東海が腕を組んで唸る。
「でもでも、銀次君再びって可能性もゼロじゃないでしょ? あのコラボ回、結構反響すごかったみたいで。再登場を望む声も多いって聞いたし」
美月が楽しげに言うと、雪之丞が小さく頷いた。
「ぼ、ボクは銀次君とまたやりたいな……。一緒にいて面白かったから」
「ゆきりんも? 実はアタシも!」
「お、俺だって……アイツとなら楽しくやれそうな気がする……」
控室に漂う期待の空気に、自然と笑みがこぼれる。
まるで、全員が次にやってくる展開を心待ちにしているようだった。
「っていうかオッサン、なんか知らねぇの? アンタ、凛さんの弟だろ?」
「えっ、あ、あー……うん。兄さんとは最近話が出来てなくて……」
東海の何気ない質問に、思わずしどろもどろに返してしまった。
兄とは未だに距離が空いたままだ。以前は一言だけでもメッセージのやり取りがあったのに、最近は皆無。連絡自体ほとんど取れていない。
招集日の連絡だって、弓弦やナギから教えてもらったくらいだ。
以前はあんなに仲が良かったのに、なんでこうなってしまったのだろう。
最後に見た、辛そうな凛の顔だけは瞼の裏に焼き付いていて忘れられない。
「えー……なに? 二人ともまだ喧嘩してたの?」
「いや……喧嘩って訳じゃないと思うんだけど……」
微妙な返事をした蓮に、何かを感じ取ったのかナギはそれ以上追及するのをやめた。
最初は兄が姿を見せないのは、色々と根回しのために動いてくれているからだと思っていた。
だが、週刊誌の件が片付いても一向に姿を見せないのは、それとは別の理由があるのではないかと考えてしまう。
「まぁ、兄さんもいい大人だし、そろそろ来るんじゃないかな?」
公私の区別はきちんと付ける人だ。それに、凛は誰よりも作品にこだわり、成功させたいと願っているはずだ。
いくら何でも自分で皆を呼び出しておいて、すっぽかすなんてことはしないだろう。
「そりゃ、オレも凛さんのことは尊敬してるけどさ……。もし新キャスト連れて来るつもりなら、早い方がいいのに」
「はるみんってば人見知りだから、慣れるのに時間がかかるんだよね」
「うっせぇなぁ。仕方ないじゃん」
美月のツッコミに、東海が頬を膨らませて反論する。
そういえば、最初の頃はツンツンしていて、しばらくは話しかけても返事すらしてくれなかった。
そんなことを思い出していると、控室の扉がカチャリと開く音がして、凛がひょこっと顔を出した。
「兄さん……」
久しぶりに見る兄の顔に、緊張で少し声が上ずってしまった。
だが、凛は一瞬だけチラリと蓮を見ただけで、特に何を言うでもなく、すぐに他のメンバーへと視線を移した。
「すまない、遅くなってしまった。早速、撮影を再開しようと思うが、その前に――今日は新キャストを紹介したいと思う。入ってくれ」
凛の言葉に、その場の空気が一気に張り詰める。
メンバーたちは顔を見合わせ、自然と背筋を正した。
「やっぱり新キャスト待ちだったんだ」
「……やば……。なんか、緊張してきた……」
「いよいよお披露目ってことか」
誰もが固唾を呑み、扉の方へ視線を集中させる。
控室の扉が静かに開き、凛の背後から姿を現したのは――スラリとした長身の男だった。
「――え……っ」
驚きに声を漏らす者がいる。
「えっ、ちょっと待って。新キャストって……やっぱり銀次さんだったの!?」
「みなさん。どうもお久しぶりです」
少し照れくさそうに頭を掻き、にかっと笑ったのは――以前、遠征ロケでコラボしたことのある銀次だった。
「改めまして。黒川大吾役を務めさせていただきます、銀次です。どうぞよろしくお願いします」
そう言って背筋を伸ばし、綺麗に一礼する。その姿は、かつてはゲストの立ち位置だった男とは思えないほど堂々としていて、控室の空気が一気に沸き立つ。
「“改めまして”って……つまり、銀次さん、正式にブラック役やるってことよね!?」
美月が思わず確認するように声を上げる。
「えぇ、まぁ……そういうことになりますね。正直、不安しかないんですが……」
銀次は少し照れくさそうに首を掻きながら答えた。
その言葉を補うように、凛が一歩前へ出る。
「公式サイトに“銀次君は今後出演しないのか? “ぜひ再登場してほしい”という声が多く寄せられていてな。銀次君と話し合った結果、正式に獅子レンジャーに参加してもらうことで合意した」
「はは……凛さんの熱烈なアタックを断れるクールガイなんていませんよ。それに、皆さんとのコラボは本当に楽しかったですし」
銀次は肩を竦めつつも、真っ直ぐな眼差しで一同を見渡す。
「だから、こうしてまた一緒に戦えるのは光栄です。やるって決まったからには、精一杯務めさせていただきます!」
その真摯な言葉に、控室の空気がふっと明るくなった。
「そっか。これからますます楽しくなりそうじゃん?」
東海が真っ先に声を張り上げると、弓弦や雪之丞も頷きながら嬉しそうに拍手を送った。
「よかったですね、棗さん。裏方作業もこれでまた楽になるのでは?」
弓弦が優しい笑みを浮かべて雪之丞に声を掛ける。
「そ、それは……。銀次君が迷惑じゃなければ……。無理強いはしたくないし」
雪之丞は少し尻込みしながら答えたが――
「え? グラフィックの話っすか? もちろん! 協力させていただきますって!」
銀次がすかさず親指を立てて笑ってみせた。
「……よかった。これでまた、全員で力を合わせられる」
蓮は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
「あ、でも……銀次さんがブラックって事は、アクターはどうするのかな? まさか、まだ決まって無いとか? 結構背が高いから、限られてきそうな気もするけど……」
「俺がやる」
「えっ!?」
雪之丞の言葉に、響いた声。まさかの返事に雪之丞だけでなく、この場に居た全員が声の主を見て驚いた。
「うっそ!? マジで! 凛さんの演技がまた見れるんっすか!?」
東海が目を輝かせ興奮気味に言うと、凛は静かにコク、と頷く。
これには蓮も驚きを隠せなかった。 だってそんな話、聞いてない。自分がアクターを目指すきっかけを作ってくれた兄の演技がまた間近でみれる日が来るなんて、夢にも思わなかった。
だが、実質監督業もアクターの演技指導も全てを担っている兄が復帰するとなると、監督は誰が変わりにやるのだろうか。
そんな蓮の素朴な疑問を察したのか、凛は小さく息を吐くと静かに口を開いた。
「……実は、長い事作品から離れてたアイツが、ようやく戻ってくることになったんだ」
「アイツ? 誰の事?」
「監督よ。猿渡監督。女遊びが激しすぎてお嫁さんに逃げられて、アタシ達がこんなに苦労する原因を作った超本人。最近やっと、その辺のごたごたが落ち着いたんだって。この間、アタシのマネージャーがそう言ってた」
「あぁ。そういや、いたなぁそんな奴」
美月の呆れたような物言いに、思い出したように東海がポンと手を叩く。
演者に忘れ去られる監督ってどうなんだとツッコミを心の中で入れつつ蓮はチラリと兄を見た。
やはり兄は此方を見ようともしない。自分と向き合う事を避けているような気がして、ズキリと心が痛んだ。
「でもまぁ、これでようやくスタートラインに戻れるんだね。銀次君が入ってくれるなら話題性にも事欠かないし、一安心だ」
そんな蓮の変化に気付く者はそう多くない。
心なしか嬉しそうな雪之丞の声でハッと我に返り、蓮は今の雰囲気を壊してはいけないと思い直し、作り笑いを浮かべてその場を誤魔化した。
「銀次君が正式参入してくれて本当に良かった。……お兄さんもそう思うよね?」
隣に座るナギが、覗き込むように問いかける。
「うん。……そうだね」
蓮は短く答えただけだったが、その声音にはどこか力がなかった。
「……なんか、元気ないね。凛さんとのこと?」
ナギの瞳が真っ直ぐに射抜くように見つめてくる。心配と戸惑いが入り混じった眼差しに、胸の奥がざわつく。
「ううん。大丈夫。大したことじゃないから」
笑みを作り、言葉を押し出す。けれど、自分でも空々しいと分かるほどの声だった。
「でも――」
ナギはまだ食い下がろうと口を開いた。蓮の手を掴みかけて、何か言いかけたその瞬間――
「って、もうこんな時間じゃん!」
東海の声が飛び込み、全員が待ってましたとばかりに立ち上がる。慌ただしい空気が一気に広がり、ナギの言葉は途中で掻き消された。
「凛さん、撮影! 早く続きをやりましょう!」
「そうだな。じゃあ十分後にシーン6から始める。銀次君は、台本の読み込みと、今日は現場の雰囲気を実際に見て学んでくれ」
「はい! 勉強させていただきます!」
凛の言葉に、銀次もやる気に満ちた表情をして頷いた。やはり兄が隣に居ると、周囲の空気が一気に引き締まる。
ただ、相変わらず自分に視線を合わせてくれない事だけが残念でならないが、兄もアクターとして参戦することが決まった以上、全く話さないと言うわけにはいかないだろう。今はじっとチャンスが来るのを待つしかない。そう自分に言い聞かせ、蓮は静かに棚に並べてあるマスクに手を伸ばした。
あれから一か月。銀次の正式参入回がオンエアされると、SNSは瞬く間にその話題で持ちきりになった。
撮影は順調だった。銀次の演技は完ぺきとは言えない。だが、程よい素人臭さがありつつも一生懸命で、それが逆に可愛いと一部熱狂的なお姉さんファンの間で話題になっていると、弓弦がこっそり教えてくれた。
流石は人気配信者というべきか。彼が加入したことでSNS界隈の話題も沸騰し、公式動画のフォロワー数も一気に増えているらしい。
兄である凛は銀次のぎこちない動きに合わせるのに苦労しているようだったが、それでも違和感なくこなしてしまうところが凄いと、皆、心底驚いていた。
「やっぱ凛さんってすっげぇ。あの人、どんな役者にでも合わせられるって聞いてたけど……本当だったんだな」
モニターを食い入るように見つめながら、東海が感心したように呟く。
「ホント凄いっスね。あの人、あんま喋んないから怖い人かと思ってたんっスけど……」
銀次がぽつりと本音を漏らす。
「銀次君甘いわよ! 御堂さんの演技指導は鬼よ。鬼! マジで厳しいんだからっ」
すかさず美月が突っ込み、隣のナギもウンウンと大げさに頷いた。
「ほんっとそう! 注文は多いし、顔怖いし……中々OK出してくれないし……マジで鬼だと思う!」
「ひ、ひぇえっ、マジっすか!? じゃあ俺、扱かれるんじゃ……ッ」
ナギの言葉に銀次の顔色がみるみる青ざめる。それをオロオロと見守る雪之丞の姿に、蓮は思わず苦笑を漏らした。
「ちょ、ちょっとナギ君! そんなこと言ったら……っ」
「――誰が、鬼だって?」
「ッ!?」
地を這うような低い声が響き、場の空気が一気に凍り付く。
その場に居合わせた全員がビクリと身体を強張らせ、油の切れたブリキ人形のようにゆっくりと声のした方へ顔を向けた。
そこには、今しがた撮影を終えたばかりの凛の姿があった。
「ヒッ、り、凛さん……っ」
顔を真っ青にしたナギが助けを求めるように蓮の後ろへ隠れ、その隣の美月はジワジワと冷や汗を滲ませ、頬を引きつらせながらも笑みを浮かべた。
「あ、あのね……御堂さん? アタシたちは別に、深い意味があって言ったんじゃ……ね? ナギ君!」
「そ、そうそう! 特に意味は無かったんだ……っ!」
「ほう? 深い意味は無い……のに、人を鬼呼ばわりするとはいい度胸だ。二人とも、どうやら体力が有り余っているみたいだな?」
ピキリとこめかみに青筋を浮かべつつ、凛はにっこりと――しかし恐ろしい笑みを浮かべる。
その様子に美月とナギの表情はみるみるうちに真っ青になり、二人で顔を見合わせた。
「ご、ごめんなさいっ!」
「ちょっ、筋トレメニュー増やすのは勘弁してっ!」
悲鳴に近い叫びが室内にこだまし、蓮たちは困ったように眉尻を下げて乾いた笑みを零す。
「り、凛さんって……怖いんですね。止めなくてもいいんですか?」
銀次が恐る恐る問いかけると、弓弦は苦笑して肩を竦めた。
「ハハッ。まぁ、あれは姉さん達の自業自得ですから」
雪之丞に至っては、とばっちりだけは避けたいとばかりに部屋の隅へ移動し、背景と同化するように黙々と次のシーンの台本に目を通している。
「お兄さんもなんか言ってよぉ!」
不意にナギに話を振られ、蓮は気まずそうに頬を掻いた。
「……まぁまぁ、兄さん。二人とも頑張ってるんだし、許してあげてよ。ね?」
「……フン。まぁ、いい。次に可笑しなことを彼に吹き込んだら容赦はしないからな」
凛はそう言って蓮を一瞥すると、それ以上多くは語らず、自分の荷物からタオルを取り出して軽く汗を拭い、何事もなかったかのようにスタジオを出て行った。
「も~、凛さん怖すぎだよ」
風呂上がりの濡れた髪のまま、ナギはソファに座る蓮の隣へドカリと腰を下ろし、そのまま肩に寄りかかってきた。
ふわりとシャンプーの香りが鼻孔をくすぐり、思わずドキリとする。
「ちゃんと髪乾かさないとダメだって、いつも言ってるだろ?」
「んー、めんどい。お兄さん乾かしてよ」
「……ったく、仕方ないなぁ」
甘え上手な年下の恋人に小さく笑い、蓮はナギの髪にタオルを当てて優しく水気を拭き取っていく。
柔らかな髪は絹糸のように滑らかで、指に吸いつくような艶やかさを持っていた。自分の髪とはまるで違うその感触に、自然と目を細めてしまう。
「ナギって……髪まで綺麗なんだな」
「フハッ、何それ」
くすぐったそうに笑ったナギは、蓮の手を掴んで頬に押し当てる。
「お兄さんの手の方が綺麗だよ。努力してる人の手って、なんか特別な感じがして好き……」
甘えるように頬を擦り寄せる姿は、まるで懐いた子猫のよう。
自分の前でだけ見せる無防備さに鼓動が早まる。
「ナギ……」
その愛おしさに抗えず、旋毛へ口づけを落とそうとした瞬間――。
「あ! そう言えばさ……お兄さん、早く凛さんと仲直りしなよ」
唇がぴたりと止まる。急に改まった調子で言われ、蓮は気まずそうに身を引いた。
「俺にくらい、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
「……っ、それは……」
顔を上げて真っ直ぐに問われ、蓮は言葉を詰まらせる。
だが、ナギの瞳は冗談では済ませないと告げていた。
胴を跨いだまま、ナギは煽るように腰を蓮の股間へ押し付ける。
わざとらしい動きに、蓮は思わずゴクリと喉を鳴らした。
「あはっ……硬くなってきた。お兄さんって、やっぱりエッチだよね」
「ちょっ、ナギ……っ!」
布越しにぐりぐりと押し当てられ、下半身に熱が集まっていく。
行為を思わせるいやらしい腰の動きに、昂りが抑えきれず、股間が脈打つのが自分でもわかる。
「ねぇ、すごいよ。触ってないのに……どんどん硬くなってく」
「……っ」
ナギは愉しげに目を細め、さらに腰をゆっくり円を描くように動かした。
熱と欲望を焚きつけられ、否応なく意識が下へと引きずられていく。
「ね、お兄さん。我慢できるの?」
甘い囁きが耳元をくすぐり、蓮は息を呑んだ。
「いやらしいなぁ……こんなに硬くしちゃって」
ナギが甘く囁き、熱い吐息を蓮の耳にかける。
「お兄さんの、きっと挿れたら……凄く気持ちよさそう……。俺のココに早く突いて……奥まで欲しい」
「な、ナ……ギ……っ」
腰に響くような低い声と淫らな揺さぶりが、蓮の理性を容赦なく削っていく。
はぁ、と色っぽい吐息を零しながら腰をくねらせる姿は、ただの挑発では済まされないほど淫猥で――蓮の我慢をあっさり吹き飛ばしそうだった。
「でも……ダメ」
ナギが一転、意地悪く笑みを浮かべる。
「お兄さん、シたくないみたいだし。――喧嘩の理由、ちゃんと話してくれたら……少しくらいは、シてあげてもいいよ?」
「~~っ……!」
布越しに尻たぶで強く擦られ、蓮の息が詰まる。
一瞬、獲物を狙うように見せるその目つきに背筋が震えた。
これは“お仕置き”だ――そう告げるような年下の挑発に、蓮は降参だとばかりに苦笑するしかなかった。
「……わかったよ。話す。……でも、その……怒らないか?」
「俺が怒るようなこと?」
ナギが目を細め、期待と不安をないまぜにした表情で見下ろす。
「え、まさか……凛さんとエッ――」
「大丈夫! それはまだ無いから!」
「……まだ?」
一瞬でナギの顔色が変わる。
「ってことは……いつかそうなる可能性があるってこと?」
「……僕は無理だ。でも、多分兄さんは……」
蓮は一度、強く目を伏せ、唇を噛み締めた。
「兄さんは……そういう対象として、僕を見てる気がする」
――そう口にしてしまうと、胸の奥に沈めていた重苦しさが一気に現実味を帯びて襲いかかる。
「……そうなんだ」
「ごめん。変なこと言って……気分悪くしたろ?」
こんな話を聞かされて、ナギがいい気分になるはずがない。
蓮がすまなそうに項垂れると、ナギは小さく息を吐き、そっと耳元に唇を寄せた。
「何となく、そうじゃないかとは思ってたけどね」
「え……?」
驚いて顔を上げると、ナギは苦笑しながらコツンと眉間を小突いてきた。
「凛さんがお兄さんをそういう目で見てるんじゃないかって、薄々わかってた。ていうか、今まで気付かなかったお兄さんが鈍すぎ」
「うっ……」
正論過ぎて、ぐうの音も出ない。視線を逸らす蓮を見て、ナギはにやりと意地悪な笑みを浮かべた。
「し、仕方ないだろ! まさか自分の兄貴がなんて、考えもしなかったし……」
「うっわ、凛さん可哀想。あれだけ露骨だったのに」
「そ、そう……なのか?」
蓮が困ったように眉尻を下げると、ナギはちゅっと鼻先にキスを落とした。
「でも……よかった」
「……え?」
「お兄さんが、そこまで見境のない人じゃなくて。――もしそうだったら、俺……」
言葉を区切り、視線が下へと動いたかと思うと。
次の瞬間、ナギの手がギュッと蓮の根元を握り込む。
「このチンコ、ちょん切ってた」
「いっ……!? お、おい、ナギ!」
突然の痛みに声を上げる蓮を前に、ナギは握ったまま、にっこりと微笑んだ。
その笑みは甘さを含みつつも――どこか本気の色を帯びている。
「……隠し事してた罰。俺、嫉妬深いから」
蓮が痛みに表情を険しくするも、ナギは一向に力を緩めてくれる気配はない。
「凛さんがネコかタチか知らないけど……。お兄さんは俺のなんだから、よそ見しちゃ嫌だし?」
「するわけないだろ。 僕がどれだけナギの事好きだと思ってるんだ!」
「わかってる。わかってるけどさ、嫌なんだよ。 俺以外の人がお兄さんの事を狙ってるなんて。考えるだけでも嫌なのに、ライバルが凛さんだと思うと……どうしようもなく不安で仕方がないんだ」
やっと手を離してくれたかと思ったら、今度は蓮の首元に顔を埋めてしまう。
もしかしたら、自分は想像以上にこの年下の恋人に愛されているのかもしれない。
可愛い独占欲を前にして、理不尽だとは思いつつも思わず頬が緩み、ナギの柔らかい髪に指を通した。
「バカだな。いくらなんでも、うっかり流されるほど僕は馬鹿でもないし、手あたり次第手を出すほど悪食でもないから安心しなよ」
「……じゃぁ、銀次君は?」
「えっ?」
「え、じゃなくて。銀次君」
不意に出て来た名前に、蓮はギクリと顔を強張らせる。
「銀次君って、昔好きだった人に似てるって前言ってたでしょう? 実際、どうなのかなぁって」
不安の混じった瞳で見つめられ、蓮の口からは失笑が洩れた。
「……前にも言ったと思うけど、彼は別人だってちゃんとわかってるし、もう何も思ってないよ……今はキミ一筋だって」
「本当に?」
疑うようにナギが覗き込んでくる。その瞳には拗ねと不安がないまぜになっていて、蓮は思わず苦笑を漏らした。
「本当だよ。ナギ以外に好きになる人なんていない。だって……」
言葉を区切り、ナギの頬にそっと触れる。
指先に伝わる温もりを確かめながら、蓮は真っ直ぐに見つめ返した。
「俺には、ナギが一番大事だから」
「……っ」
ナギの瞳がかすかに揺れる。
その一言を聞いただけで、今まで張り詰めていたものがほどけていくように、彼の肩から力が抜けた。
「……ズルい。そうやって真顔で言うと、疑えなくなるじゃん」
小さな声でそう呟き、ナギは蓮の胸に顔を埋めた。
耳元に熱い吐息がかかり、くすぐったくて愛おしい。
蓮は微笑みながら、その柔らかな髪に指を通し、今度は自分から額を寄せてそっと触れ合わせる。
「信じていいよ。俺はナギだけのものだから」
「……ほんとに、絶対だよ?」
「うん。絶対」
「……そっか」
ナギはまだ何か言いたそうだったが、蓮の素直な返答にホッと安堵の溜息を洩らすと、甘えるように頬を摺り寄せてきた。
「だったら、いいや。銀次君がお兄さんに迫ってきたらどうしようとか、色々考えちゃった」
「流石にそれは無いだろ」
蓮は苦笑しながら、ナギの髪をくしゃりと撫でる。指の隙間から零れる銀糸は絹のように柔らかく、心地よい感触に自然と目を細めた。
「……うん。大丈夫、大丈夫だよね」
自分に言い聞かせるように呟いたナギは、不意に蓮の唇を奪う。小さな音を立てて触れるだけのキス。けれど、そこに込められた気持ちは真剣だった。
そのまま身体を滑らせ、腹の上に跨ると、ナギは少し落ち着きを取り戻しつつある蓮の熱を指でなぞった。
「ごめん。俺が変なこと言っちゃったから……」
「仕方ないさ。僕もちゃんと話すべきだったし……それに、ナギに愛されてるってわかって嬉しかったからね」
「そりゃそうだよ。俺はお兄さん一筋なんだから。……天然タラシな恋人がいると苦労するんだよ?」
「酷いなぁ。僕だって、君一筋なのに」
「今は、でしょ?」
悪戯っぽく笑うナギに、蓮も苦笑を返す。
「――今夜は、俺にリードさせてよ」
囁きと同時に、ナギの指先が蓮の服のボタンをひとつひとつ外していく。
唇を舐める仕草、熱を帯びた視線。すべてが誘惑で、抗うことなどできなかった。
喉が自然と鳴り、萎えかけていた熱が再び昂ぶりを取り戻していく。
その反応に満足げに目を細めたナギは、指でそっと扱きながら、今度は自分から深く口付けを重ね――そして唇を、ゆっくりと下へと滑らせていった。