テラーノベル
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「兄さん、後で少し時間取れる?」
蓮がそう切り出したのは、今日予定していた撮影がひと段落した頃だった。
ブラックのマスクを脱ぎ、映像チェックをしていた兄の隣に立ち、静かに声を掛ける。
「……わかった」
一瞬驚いたように目を見開いた凛は、少しの間を置いてから静かに頷いた。
その横顔を盗み見て、蓮は小さく息を飲む。
撮影中は気付かなかったが、どこか覇気がないように見える。
――そんな顔をさせているのは、自分だ。
本当は薄々気付いていたのに、気付かないふりをしてきた。
気付いてしまえば、今まで通りに振る舞う自信がなかったから。
だがもう、逃げるわけにはいかない。
「今夜、お前の家に行くから。それでいいか?」
「えっ……あ、あぁ。うん。わかった」
いつもと変わらぬ調子で告げられ、蓮は躊躇いながらも頷いた。
「あれ? なんかあったんです? 雰囲気、ちょっと暗くないですか?」
重苦しい空気を切り裂くような呑気な声が背後から飛んでくる。
顔をひょこっと覗かせたのは、新しく入ってきた銀次だった。
凛はほんの一瞬だけ視線を向けたものの、すぐに興味を失ったようにドリンクを片手に控室を出て行ってしまう。
「……あれ? 凛さん、ご機嫌ナナメ? いや、あの人のクールさはいつものことか」
すっかり現場にも慣れたのか、銀次は気楽そうに首を傾げつつ凛を見送り、それから蓮へ視線を向けた。
正直、今は一人になりたい気分だ。
だが、新人の彼を無碍に扱うわけにもいかず、蓮は苦笑を浮かべながら言葉を探した。
「まぁ、兄さんにも色々あるんじゃないかな」
「そうなんっすね。相変わらず読めないなぁ。カッコいいのに勿体ない。でも、あのミステリアスさが凛さんの魅力でもあるのか……」
銀次は顎に手を当てて、ひとり納得したように頷いている。
確かに、兄弟である自分ですら何を考えているのか掴めないのだから、他人からすれば相当難解な人物に映っているのだろう。
「……兄さんにも、いい理解者が出来ればいいのに」
ふと零れた言葉に、自分でも「都合のいい考えだな」と胸の奥が痛む。
複雑な想いを抱えたまま、凛が出て行ったドアを見つめていると、銀次が不思議そうに首を傾げた。
「今夜、ケリを付ける」
そう打ち込んで恋人に送信したメッセージを見つめながら、蓮はソファにぐったりと凭れかかっていた。
緊張で体が強張り、時計ばかりが気になる。針は午後九時を回っているのに、凛が来る気配はまだない。
(……やっぱり、俺が聞き間違えたのかな)
自分の家に来ると言っていた“気がした”。だがもし勘違いなら、相当恥ずかしい。
それでも連絡がない以上、きっと来るはず――そう自分に言い聞かせる。
そんな思考がぐるぐると巡っていると、不意に玄関のチャイムが鳴った。
ハッとして立ち上がり、慌てて声を掛ける。
「あいてるから、入って」
「……あぁ」
短いやり取りにさえ緊張が滲む。
「悪い。水を一杯くれないか?」
扉を開けて入ってきた兄は、わずかにアルコールの匂いを纏っていた。
蓮はキッチンへ急ぎ、水を手渡す。
「遅いと思ったら……飲んで来てたんだ」
「元々、今夜はお前と約束していたからな」
凛はそう言うと、コップの水を一気に飲み干した。
「だったら、違う日でも良かったのに」
「……素面でお前と話をしろと?」
その一言に、蓮は返す言葉を失う。
兄は、きっと自分が切り出そうとしていることに気付いている。
だからこそ――飲み会のあった今日を、あえて選んでやってきたのだ。
「……それで、話というのは?」
突然、凛の方から切り出され、蓮は驚いて息を呑んだ。
どう切り出すか、兄を傷つけずに済む方法ばかり考えていたのに――まさか向こうから促されるとは。
「あ……、えっと……」
「まどろっこしいのは無しだ。手っ取り早く済ませよう。それで?」
腕を組み、急かすように視線を向けてくる。
決心していたはずなのに、いざ本人を前にすると足が竦む。胸の奥を掴まれるように苦しくて、口が思うように動かない。
「単刀直入に聞くけど……兄さんは、僕のことをどう思っている?」
「……いきなりだな」
直球すぎる問いに、凛はわずかに目を見張った。
だがすぐに冷静さを取り戻し、淡々とした声音で返す。
「それは――兄弟としてか?」
感情を一切感じさせない声色。
その無表情に、蓮は一瞬怯みかけた。けれど、ここで退いたらまた同じだ。
大きく息を吸い込み、覚悟を決める。
ナギの言葉が頭の中で反芻される。
――兄を解放できるのは、自分しかいない。
怖い。もし伝えれば、兄は傷つくだろう。自分も、今の関係に戻れなくなるかもしれない。
それでも今日言わなければ、兄はずっとこの想いを抱えたまま、一人で苦しむに違いない。
それだけは、嫌だった。
兄には幸せになって欲しい――その一心で、蓮は真っ直ぐに兄の瞳を射抜いた。
「そうじゃなくて、一人の人間として、どう思っているのか知りたいんだ」
凛からの返答はない。重苦しい沈黙が流れる。
どの位経っただろう。ほんの十数秒の気もするし、もっと長い時間が経った気もする。
「お前は、俺の弟だ」
漸く口を開いたかと思えば、凛はそう静かに答えた。
「それだけ?」
「……あぁ」
「本当に? 他に、何か思う事ない?」
「無い」
即答で返されて、蓮は唇を噛んだ。そんな筈はない。だって……。
「嘘だよ」
「何故そう思う?」
兄の声が僅かに低くなる。これ以上余計な詮索はするなとでも言いたいのだろう。だが、ここまできて引くわけにはいかない。
「兄さんは優しいから、僕に今まで気を遣ってくれただけなんだろ? 自分の気持ちを押し殺してさ」
「何の話だ?」
「僕はどうにも人の気持ちには鈍いみたいで、ずっと気付かなかったんだ。兄さんが僕の事をどんな風に見ていたかなんて」
「……だから何の話だと聞いている」
兄の声が僅かばかり荒くなる。それでも構わずに蓮は言葉を続けた。
「ナギのお陰で漸く気付いた。このままじゃ良くないって。だから、ちゃんと話してよ。兄さんの気持ち」
「くだらん。急に呼び出すから何事かと思えば……」
凛が苛立たし気に舌打ちをして、蓮を睨み付けくだらないとばかりにはき捨てるとソファから立ち上がった。
「何を勘違いしているのかは知らんが、お前は俺の大事な弟だ。それ以上でもそれ以下でもない」
それだけ言うと、そのまま玄関へ向かおうとする。このまま兄を行かせてしまったら、この関係はきっと修復のしようのない程こじれてしまう。なんとなくそんな気がした。
「兄さんは……そうやって意地張り続けて、ずっと一人で生きていくつもりなのかい?」
「っ……」
ドアノブに掛けた手がぴたりと止まり凛が、一瞬言葉に詰まる。
「……お前には関係無い事だ」
「あるよ。だって、僕は兄さんの事が好きだ。だから、本心を知りたい。血が繋がってるとかそんな事は抜きにして、一人の人間として、僕は兄さんと向き合いたい」
凛は何も言わなかった。
ただ射抜くような眼差しで蓮を見つめ、その沈黙は、壁に掛けられた時計の秒針の音さえ耳障りに感じるほど重くのしかかる。
それは蓮の不安を際限なく煽り続けた。
これは完全に自分のエゴだ。そもそも凛は、自分の気持ちを知ってほしいなんて思っていないのかもしれない。
それでも――このまま兄に本心を偽らせたまま行かせたくない。
どうか、その重い口を開いてほしい。
祈るような気持ちで見つめ続ける蓮に、やがて凛はわずかに眉を寄せると、長い沈黙の末に口を開いた。
凛の独白
自分が蓮に抱く感情が、いつから普通のものではなくなっていたのか──思い返しても、はっきりとは掴めない。
最初はただ、可愛い弟だと思っていた。口下手で不器用な自分とは違い、蓮は器量がよく、何でもそつなくこなす。天使のような笑顔と、彫刻のように整った顔立ち。幼い頃から周囲と一線を画す存在で、自慢の弟だった。
泣き虫で、寂しがりやなその子が、何でもないことで俺にすり寄って来るたびに、心が浮くような幸福を覚えた。成長するにつれて彼の佇まいには色気が増し、小学生の頃から周囲に「妙に妖艶だ」と囁かれるほどだった。
何度も“悪い虫”を駆除した。だがそれは単に弟が可愛いからというだけではない。知らぬ間に、蓮が誰かに攫われるのを、決して許せないという感情が湧き上がっていたのだ。
思春期になって芽生えた浅ましい欲望は、消えるどころか深まっていった。弟を犯したいと願ったことは一度や二度ではない。その身体を組み敷いて、自分だけのものにしたいと、幾度も思った。
この気持ちは絶対に悟られてはならない。もし「兄ちゃんなんか嫌いだ」と言われたら、自分はきっと堪えられないだろう。だから、気付いた瞬間から、自分の感情に蓋をした。
──実の弟をそんな目で見るなんて、絶対にしてはならないことだと。常識や世間体がその蓋を支えてくれている間はまだ良かった。
だが現実は残酷だった。あどけなさを残した少年が、美しい青年へと変わっていくにつれ、自分の中の感情はどんどん肥大化していった。
日に日に強まる独占欲と情欲。逃げ場を求めて飛び込んだのが、役者という世界だった。舞台に没頭し、演技に打ち込み、必死に自分を保とうとしたのは、ただ一つ──蓮を“自慢の弟”のままにしておきたかったからだ。
だが、どれだけ懸命に抑えようとしても、蓮は無邪気に懐いてくる。封じていた感情がいつ暴走するかわからない恐怖に、夜ごと震える自分がいる。それが、何よりも怖い。
少しでもこの気持ちを隠すために、中学を卒業すると同時に実家を出た。
――なのに、蓮はよりにもよって自分と同じ道を選び、同じ世界へやって来た。
その頃の蓮には、誰か想う相手でもいたのだろう。本人に確認したわけではないが、行き場のないやるせなさを埋めるように、ひたむきに演技へとのめり込んでいった。
舞台に立つ蓮は、しなやかで美しい。元々の器量の良さに加え、人を惹きつける天性の演技力。
それを目にするたび、才能の差を突き付けられるようで、嫉妬や劣等感が胸を蝕んだ。
自分は人の何倍も努力を重ね、何年も掛けてようやく人並み以上になったというのに、蓮は努力の痕跡すら見せず、あっさりと飛び越えていく。
昔からそうだった。何をやっても簡単にこなしてしまう天才肌。しかもカリスマ性まで備えている。――悔しいが、彼に勝てる要素など、自分には一つもなかった。
それでも。困ったときは真っ先に自分を頼ってくる。蓮に必要とされるのは、どうしようもなく嬉しかった。
ならば、せめて良き兄であり、良き相談相手でありたい。そうやって生きていれば、いつかこの浅ましい想いも消えるのではないかと信じてきた。
……それなのに。
ここに来て「本音を知りたい」と言い出すとは思いもしなかった。
自分はまだ、蓮の理想の兄のままでいたい。
なのに、今さら何故……。
ずっと蓋をしてきた思いを暴かせようというのか。それで蓮がどう思うかなど、分かり切っているはずなのに。
だが、真剣な瞳で見据えてくる蓮は、ただ真っ直ぐに凛の答えを欲していた。
「――俺の本心なんて、知ってどうする」
深い溜息を吐きながら、凛はゆっくりと蓮に歩み寄る。
唐突な行動に、蓮が一瞬だけ身を強張らせた。だが、もう後戻りはできない。
目の前で立ち止まった凛は、両手で蓮の頬をそっと包む。
触れた肌の温もりが、あまりにも心地よくて。――手放すなど考えられない。ずっと、自分の側に置いておきたい。
だが、それは叶わぬ願いだと分かっているから。
「兄さん……?」
戸惑う声に、凛は自嘲めいた笑みを浮かべた。
「お前は本当に……。俺のペースを崩すのが上手いな」
「……えっと……何が……?」
何を言っているのかわからないと言った風に、蓮が首を傾げる。
その仕草が酷く幼く見えて、凛は苦笑しつつ蓮の身体を引いて抱き寄せた。
ふわりと微かに香る柔軟剤はいつも彼が使用していたものとは違う。恐らくはナギの好みに合わせているのだろう。
その事に気付いて、凛は僅かに眉を顰めた。
弟が……蓮が自分の知らない所で変わっているのが何だか寂しくて、胸が締め付けられるように痛い。
ずっと側にいると思っていた弟の存在がこんなにも遠く感じる日が来るなんて思いもしなかった。
「……」
「兄、さん? あの……」
「蓮……。俺は、お前が思っているような出来た人間じゃない。頭の中で何度犯して啼かせてやったか……。その身体を犯し尽くして……。俺にしか頼れないようにしたいと、何度思ったか知れない……」
蓮の背中に回した腕に、力を込める。蓮は硬直したように動く事も出来ずに、ただ呆然と凛の言葉を聞いていた。
それはそうだろう。ある程度は覚悟してはいただろうが、兄弟だと思っていた相手からいきなり性的な目で見られていたなんて言われたら、誰だって混乱するに決まっている。
怖がられるのは本意じゃない。だが、ここまできて止める事などできないのだから仕方ない。
「今だってそうだ。こんな無防備に俺を煽って……。今すぐ此処で抱き潰してもう二度と離したくないと言ったらお前は承諾してくれるか?」
抱き締められたまま、蓮は身体を強張らせ、言葉を失っていた。
沈黙だけが流れる。答えなど聞くまでもなく分かっている。――YES以外の答えなんて聞きたくないのに、それでも凛は敢えて蓮にそう問いかけた。
凛はそっと長い溜息を吐き、腕の力を解いた。
胸の奥に渦巻くどうしようもない衝動を押し殺し、わずかに視線を逸らす。
「すまない。おかしな事を言った」
そう呟いて、凛は静かに蓮から距離を取った。
「……ま、そう言う事だ。俺の本心なんて聞いたって気持ち悪いだけだろ」
「兄さん……」
きっとこれで、今までどうりの関係ではいられなくなる。だが、それも仕方ない。
「もう、俺に関わるな」
それだけ言って踵を返そうとした瞬間、グッと腕を引かれて凛は足を止めた。
「……なんだ」
「兄さんはどうしていつも自分の感情を押し殺して完結しようとするんだ……」
「仕方ないだろ。実の弟に邪な感情を抱く方がどうかしてる」
蓮の言葉に凛は自嘲気味にそう吐き捨てた。だが、蓮は納得いかないと言った様子で首を横に振る。
「僕の答えも聞かないまま、勝手に自己完結しないでよ」
「……っ」
真っすぐにこちらを見てそう言い放つ蓮に、凛は言葉を失った。
そんな事を言われたら、もしかしたら、なんて期待してしまいそうになる。だが……夢を見てはいけない。
蓮がそんな目で見ている相手は自分ではない。頭ではわかっているのに、それでももしかしたら、と思ってしまう自分がいる。
「確かに僕は兄さんの要求を受け入れることは出来ないけど、気持ち悪いだなんて思わない。むしろ、兄さんも一人の人間だったんだってわかって安心したというか。……なんならむしろ、話してくれてちょっと嬉しかったし」
そう言ってふわりと微笑む蓮を見て、凛の心臓が大きく跳ねた。
そうやって無防備に人の心を掻き乱すような事を言って……。一体、何のつもりだ。
蓮の真意がわからずに、凛はただ黙って蓮を見つめ返した。
「そんなに警戒しないでよ兄さん。僕、人を好きになるってどういうことか最近まで全然よくわかってなかったんだ」
「……」
「物心ついた時から大抵のものは手に入ったし、なんなら好意を寄せられるのは当たり前だと思ってる節すらあった」
凛は何も言えなかった。それはある意味事実であるからだ。蓮のモテ具合は半端なものではないのは凛もよく知っている。悪い虫が付かないように目を光らせていないと、直ぐによからぬ奴らが群がって来る。そんな蓮が、実は恋をした事が無いなど、誰が想像するだろう。
だが、なぜ今その話を自分にするのだろうか?
「僕は両親からも、そして兄さんからも愛情を一身に受けて育ったし、それを疑った事も無かった。自分が望めば何でも手に入れることが出来る。自分の事を好きにならない奴なんていない。って天狗になってた時期があって。好きになって当然って、今思えば笑っちゃうくらい歪んでるし怖い話なんだけど……。でも、たった一人だけ、手に入らない奴がいてさ……。かなりソイツに執着していた時期があって、まぁ、最終的にはフラれちゃったんだけどね」
蓮の言葉を凛はただ静かに黙って耳を傾ける。一時期、廃人のようになっていた時があったが、当時はなんだか聞いてはいけないような気がして敢えて深く追求しようとはしなかった。
そのうちに吹っ切れたのか、前を向くようになっていたのでもう自分の中では終わった事なのだと思っていたのだ。
「フラれるって、凄く胸が痛いんだよね。苦しいしさ……。僕は一度逃げたんだ。自分の感情を認めるのが怖くて……。ちゃんと向き合おうとしなかった。だから、気付いた時には既に相手にはパートナーが出来ててさ、もう、笑うしかなかったよね。沢山後悔したし、悔やんでも悔やみきれなくて、酷い手段に出た事もあったけど、結局そいつらの仲を引き裂くことなんて出来なくってさ、逃した魚は大きいってこの事を言うんだって思ったよ」
蓮は、まるで他人事のように淡々とそう語る。だが、その目はどこか遠くを見つめているようで。凛はそんな蓮をただ見つめる事しか出来なかった。
そして、蓮は一呼吸置いてから再び口を開いた。
「でさ、結局何が言いたかったかと言うと……。思ってるだけじゃ、いつか絶対後悔する日が来る。フラれるのは怖いし、辛いけどさ……その先には絶対、新しい出会いがあると思うから。だから、その……」
そこまで言って、蓮は急に口ごもる。そして、少し逡巡した後、意を決したように再び凛の目を真っ直ぐ見つめた。
「兄さんには、いつまでも僕に執着してないで、前を向いて生きて行って欲しいんだ。そしていつか、僕じゃない誰かと新しい恋をして、幸せになって欲しい……。これは僕の本心だ」
蓮の言葉に、凛は言葉を失った。
まさか、そんなことを考えていたなんて思いもしなかった。
目の前の弟はただ真っ直ぐに、凛の未来を案じている。その視線に射抜かれ、胸の奥底で燻っていた暗い感情がわずかに揺らぐ。
(――俺に、お前以外を愛せる日が来るのだろうか)
凛は答えを見つけられないまま、ただ静かに蓮を見つめ返すことしか出来なかった。
「……簡単に言ってくれる」
「ごめん。兄さんにとっては、きっと、身を切られるよりも辛い言葉だと思う。コレは完全に僕のエゴかもしれない。でも、先に進まなきゃ。何時までも立ち止まってたって仕方がないだろう?」
凛は深い溜息を吐き、天井を見上げてじっと目を閉じた。
何時までもこのままでいいとは流石に凛だって思ってはいない。ただ、長年秘めて来た思いが叶わなかったからと言って、直ぐに切り替えられるほど、容易い想いではない。
「はぁ……なんで俺は、お前の兄貴なんだろうな……」
兄弟ではなく、ただの同級生とか、幼馴染だったのなら良かったのに。何度そう思った事か。もしそうだったなら。こんな苦しい思いをすることもなかったし、蓮を傷付ける事だってなかっただろう。
叶わないとわかっていても、そんなもしもを考えずにはいられない。
「……蓮、悪いが、酒持って来てくれないか」
「え……? いいけど、飲んで来たんだろう?」
「いいから」
今日はもう何も考えたくない。酒に溺れて全てを忘れてしまいたかった。
蓮が部屋を出て行ったのを確認して、凛はソファに深く身を沈める。
「前を向いて……か」
蓮の言葉が、まだ耳に残っている。蓮は、凛が自分と違う誰かを好きになる日が来ると信じている。
だが、恐らくそんな日は来ない。凛が好きなのは今も昔も蓮だけだ。
その気持ちが変わる日がいつか本当に来るのだろうか?
「……いい加減、弟離れしないといかんなぁ……」
そう呟いて、凛は目を閉じた。蓮の言うとおり、何時までも立ち止まっていたら、きっと何も変わらない。いつかは前を向いて進まなければならないのだ。
自分には、その覚悟が足りなかっただけなのかもしれない。
「蓮、俺は……」
そこまで口にして、凛は言葉を飲み込んだ。
続きが、どうしても出てこない。
本当は“お前だけだ”と叫びたいのに、声にならない。
この思いを告げた瞬間、すべてが壊れてしまう気がして――。
静まり返った部屋に、時計の針の音だけが響く。
凛は深く息を吐き、手の中の空虚を確かめるように拳を握りしめた。
(……やはり俺は、一生この想いを抱えたまま生きていくんだろうな)
胸の奥がずしりと重くなる。
それでも、蓮の言った「前を向いて」という言葉が頭から離れなかった。
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