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だが、今月の満月はあいにくの雨だった。
天気ばかりは仕方がないが、資金を増やすことができなかった静香は落ち込んだ。
この能力は、間宮一族の女性にしか現れない特殊能力。
しかも全員に受け継がれるわけではなく、数代に1人しか現れない稀有な能力だ。
静香の前は曾祖母だったが、曾祖母は若くして亡くなってしまったらしい。
この特殊能力は己の命と引き換えだから、絶対に他人には教えないようにと祖母に教えられた。
両親は見目麗しい姉にその能力があると信じ、幼いころから姉だけに最高の教育を施し、蝶よ花よと愛でてきた。
だが、姉に能力の片鱗はなく、事業にも失敗し、立ち行かなくなったところで嵯峨家からの縁談があったのだ。
甘やかされて育った姉が、他家に嫁ぐなどできるはずもなく、結局直前で逃げ出してしまったが。
子どもの頃から能力がないと決めつけられ、姉の影に隠れていた私の方にまさか能力があるなんて、誰も思わなかったのだろう。
あっさり姉の身代わりで嫁入りが決まり、両親からは嫁いでから一度も手紙はない。
もちろん書類上の夫もこの別邸に現れることはなく、本当にお金のためだけの政略結婚だったとよくわかる。
誰にも必要とされない人生だったが、診療所でようやく一人の洗濯係として認めてもらえたような気がした。
「頼む、助けてくれ! 息子が、息子が……!」
いつものように洗濯をしていた診療所に、突然激しい足音と悲鳴が響き渡った。
運び込まれたのは、建築現場で足場の下敷きになったという十歳の少年。
ぐったりとした身体は土埃と血にまみれ、顔色は真っ青だ。
「……ひどい。内臓をやられているじゃないか」
駆け寄った婦長が苦渋に満ちた声を漏らす。
この診療所には、高度な外科手術を行う設備も、高価な薬もない。
もちろん優秀な医者もいない。
「うちでは……」
華族が利用する病院であれば、もしかしたら助かるかもしれないが、こんな小さな診療所では何もしてあげられないと婦長は目を伏せた。
「頼む、頼むよ」
周囲の看護婦たちが絶望に顔を伏せる中、少年の呼吸は浅くなっていく。
「シズ! 包帯、ありったけ!」
「はい!」
静香は乾いたばかりの包帯をあるだけ箱に入れ、急いで運ぶ。
刻一刻と死が迫る少年を目の前にした静香の手は恐怖で震えた。
「すぐ治してくれるからな」
少年の父親は泣きながら意識がもうろうとしている少年に話しかける。
もう返事をすることもできない少年の姿に、静香は涙が止まらなかった。
この子はまだ生きようとしているのに、ここの設備では救えない。
静香は、震える手で懐に隠した『特殊真珠』の場所に触れた。
これは自分の自由を買うためのもの。
だが、今、目の前の命を救えるのはこの真珠だけだ。
また作ればいいと思えるほど簡単な作業でもなく、苦しみも痛みもある。
それに今月のように雨だったら作ることができない。
私が真珠を持っていると、作れるのだとバレたら、一生奴隷のように働かされるかもしれない。
「頼む、目を閉じるな。おい、がんばれ」
自分の未来、自由、そして平穏。
人の命と天秤にかけること自体、間違っているのかもしれない。
でも、自分の幸せも諦めきれない。
だが、少年の父親の血を吐くような慟哭を無視できるほど、静香の心は枯れ果てていなかった。
「婦長! すり鉢はどこですか?」
このまま飲ませたら効果が出るまで時間がかかってしまう。
割って少年の口に含ませなければ。
「早く貸してください!」
すり鉢とすりこぎ棒を借りた静香は胸元から5㎜程度の小さな特殊真珠を取り出す。
ひと思いに真珠を砕くと、欠片を手に取った。
「これを口に」
「お、おう。薬か? すまない」
少年の父親は急いで口に突っ込み、水を飲ませる。
「うそ……」
「奇跡だ……」
どす黒かった傷口がみるみるうちに塞がり、止まらなかった出血が嘘のように引いていく。
死の淵にいたはずの少年の頬にうっすらと赤みが差し、すぐに呼吸が安定した。
「……父ちゃん……?」
少年の掠れた声が、静まり返った室内を震わせる。
父親は声を上げて泣き崩れ、奇跡を目の当たりにしたスタッフたちは言葉を失って立ち尽くした。
「……よかった」
力が抜けた静香はその場にへたり込む。
「……あんた、何を飲ませたんだい……?」
「以前、えっと、お医者様にいただいた、秘薬? です。これ一個しかなくて……」
婦長に聞かれた静香はとっさに嘘をつく。
私も驚きましたと静香は目を泳がせながらぎこちなく答えた。
「ありがとうございます、ありがとうございます!」
助かった少年の父親が静香の手を握りしめて号泣する。
真珠はまた作り直せばいい。
でも、どうしよう。
もうここにはいられないかもしれない。
せっかく居場所ができたのに。
これからここに来る人たち全員を治すことはできない。
でも一度治してしまったからには、また期待されるはずだ。
少年が無事でよかったが、静香は絶望の淵に追い込まれた。
「……随分な騒ぎだな、何事だ?」
低く、よく通る声を聞いた瞬間、静香の背筋に戦慄が走った。
#大正時代
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